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英語で読む海戦史(5)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter Ⅴ Destruction in the Atlantic
5.One of the most reprehensible failures on our part was the neglect of local communities to dim their waterfront lights, or of military authorities to require them to do so, until three months after the submarine offensive started. When this obvious defense measure was first proposed, squawks went all the way from Atlantic City to southern Florida that the “tourist season would be ruined.” Miami and its luxurious suburbs threw up six miles of neon-light glow, against which was silhouetted southbound shipping that hugged the shore to avoid the Gulf Stream. Ships were sunk and seamen drowned in order that the citizenry might enjoy pleasure as usual. Finally, on 18 April 1942, the Eastern Sea Frontier ordered waterfront lights and sky signs doused, and the Eastern Defense Command of the Army ordered a stringent dim out on 18 May.

(訳)
第5章 大西洋での破滅
5. 我がほうのもっとも非難されるべき失敗は、地域社会が彼らの海岸沿いの灯りを暗くすること、または軍当局が彼らにそうするよう要求することを怠ったことだ。この誰でもわかる防衛方法が最初に提案された時、大西洋岸の都市から南部フロリダまでの“うるさいやつら”は“観光シーズンが損なわれる”と大合唱した。マイアミとその瀟洒な郊外では6マイルにわたり、ネオンの灯火が輝いていた。そして、その灯火により、湾の潮流を避けるため岸辺に沿って航行する南行きの船を、シルエットとして浮かび上がらせた。市民がいつものように楽しむために(灯火は輝き)、船は沈められ、船員は海におっぽり出された。最終的には、1942年4月18日に東部海洋前線本部は海岸の灯りと空中標識を消すよう命令し、5月18日に陸軍東部防衛司令部は厳格な灯火管制を命令した。

(注釈)
 ドイツに占領されていたフランスの港から、アメリカ東海岸までUボートは何日間で航海したのだろうか。
○ Uボートの水上航海速力
 12ノット= 12×1.852 Km/時 = 22 Km/時 = 533 Km/日
○ フランス沿岸とフロリダ沿岸までの距離 約7,000Km
○ 航海日数 7000/533 = 13.3日~約2 週間
 水上を妨害されずに航行しても2週間の長い航海でした。現在のコンテナ船の航海速力は約20ノットなので1週間の航海です。
(参考文献:デビット・メイソン著「Uボート」、サンケイ出版)
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