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クリミア・ハン国

1.クリミア・ハン国 

  13世紀半ば、チンギスカンの孫、バトゥ率いるモンゴル軍は

 ロシアを席巻する。

  その後、成立したキプチャク・ハン国に、ロシアは間接支配される。

 

  その支配は「タタールのくびき」と呼ばれ、2世紀半続いた。

 その間に、キプチャク・ハン国は内部分裂が進み、いくつかの国に分かれる。

 

  クリミアを含む黒海沿岸は、チンギスカンの末裔がハンの

「クリミア・ハン国」が支配した。

 住民の大多数はタタール人で、イスラム教徒だった。

 

 15世紀末、ロシアではモスクワ大公国が力をつけ、「タタールのくびき」

を断ち切った。

 そのころ、クリミア・ハン国は東ヨーロッパに進出したオスマン帝国の

属国となる。

 クリミア・ハン国の騎兵はロシア南部、ウクライナへの襲撃を繰り返す。

黒海北のステップ地帯には、ロシアの圧政から逃れた自由農民が

移り住んでいた。

 

 彼らはタタール人の襲撃から身を守るため、武装集団を作る。(カザーク)

力をつけたカザーク部隊はクリミア・ハン国や黒海沿岸のオスマン帝国領

への襲撃を行うようになる。

 

 参考図:Wikipedia、クリミアの歴史

          

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