3.ソビエト連邦の一員として
ソビエト連邦の一員(クリミア自治ソビエト社会主義共和国)となった
クリミアは、一挙にスラブ化、ロシア化が進む。
農業の集団化が進められ、タタール人などの少数民族は抑圧された。
第二次世界大戦では、クリミアは独ソ両軍の激しい闘いの舞台となった。
1942年にドイツ軍が占領し、2年後ソ連軍が奪還する。
この戦いで多くの兵士、市民の犠牲を出したロシア人、ウクライナ人
にとり、クリミアの地は特別な意味を持っている。
(日本人にとり、広島が特別の意味を持っているように。)
第一次世界大戦後、ソ連におけるクリミアの位置づけの変遷を示す。
クリミア自治ソビエト社会主義共和国(1921年)
ロシア共和国のクリミア州(1945年)
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(1954年)
クリミア自治ソビエト社会主義共和国(1991年)
ロシアとウクライナの間を、揺れ動いていることがわかる。
この間のクリミアは、保養地や観光地として栄えた。
また、海運や工業も発展し、人口は倍増する。
参考図:Wikipedia、クリミアの戦い