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第4話(4)

 祖国回復の願い(4)

 1914年に第1次世界大戦が始まった。
ドイツ、オーストリアとロシアは交戦状態になった。

 当時、ポーランドはドイツ、オーストリア及びロシアに分割占領されていた。
そのため、ポーランドの若者は、その地域を支配する国に徴兵され、ポーランド人同士で戦う羽目になった。


 この状態を悲痛な思いで見ていた、アメリカ在住のポーランド人ピアニストがいた。
イグナツィ・パデレフスキである。
“ポーランドも自分の国を持ち、自分の運命は自分で決められるようにならなければ!”

 パデレフスキは、ポーランド出身の著名なピアニストで作曲家だった。
19世紀末、ワルシャワ音楽院を出、ベルリンやウィーンで修業をした。
その後、ピアニストとしてデビューし、ウィーン、パリおよびロンドンでのピアノ演奏会を成功させ、名声を得た。

 また、ピアノ曲の作曲家としても名をあげ、大交響曲「ポーランド」を作曲した。
このような音楽活動を行いながら、パデレフスキは長年にわたり、ポーランド独立を支援する活動を続けた。


 1917年、ロシアで11月革命が起こり、誕生したソビエト政権はドイツと休戦する。
ロシアは撤退し、ポーランドはドイツに占領される。
そのドイツ、オーストリアも、翌年、連合国により倒された。
ドイツでは革命騒ぎが起き、大混乱に陥る。

 そのような混乱の中、パデレフスキはポーランド中部のポズナニ市を訪れ、市民に呼びかけた。
「今こそ、独立のチャンスです。」
「ドイツ帝国の鎖を断ち切り、私たちの政府を樹立し、より良いポーランドを創ろうではありませんか!」

 ヨーロッパにおける帝国は崩壊し、諸民族独立が相次いだ。
1918年末、ポーランドは独立を宣言する。(第2共和国)
123年ぶりの復活だった。

 パデレフスキは新生ポーランドで、10ヶ月の短い間ではあったが、初代首相を務めた。

 参考図:Web:「日本パデレフスキ協会」
     
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