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第5話(1)

 暴虐への抵抗(1)

 発足したポーランド第2共和国の前途は容易なものではなかった。

 東部国境をめぐり、ソ連と戦争になった。
それには勝利したが、国内では政治が安定せず、インフレが進み、混乱が続く。

 そのような混乱の中、1926年、ピウスツキ元帥がクーデターを起し、国家元首として独裁体制をひく。

 世界にまたもや、戦雲が立ちこめ始める。

 1933年、ドイツでヒトラーが政権を握る。
再びポーランドは、東からはスターリン・ソ連、西からはヒトラー・ドイツという2大強国から圧力を受けることになった。


 1939年、独ソ不可侵条約が結ばれ、世界を驚かせた。
その条約には秘密議定書が含まれており、ポーランド領土の両国による分割が取り決められていたのである。

 条約締結の直後、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まった。
続いて、ソ連も東から侵入し、ポーランドは独ソ両国により分割占領されてしまう。

 ポーランドは再び、地図上から消えてしまった。

 占領地の住民には、過酷な運命が待っていた。
ドイツ占領地域では、ドイツ本国編入地域とドイツ総督府管轄地域に分けられた。

 ドイツ本国編入地域では、ポーランド人は強制移住させられるか、殺された。
総督府管轄地域はドイツの植民地と見なされ、住民は生きるための最低限度の生活を強いられた。
反抗の芽となる将校や知識人、指導者らは抹殺された。

 一方のソ連占領地域はソ連邦に編入され、将校や政治的に問題のある知識人、指導者らは処刑されるか、シベリア送りになった。

 参考図:「World Weapon」N0.5、(株)デアゴスティーニ、2002.10.22
     
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