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第2話(2)

 掃討作戦開始(2)

 本作戦に参加した掃海部隊は、掃海母艦“はやせ”、掃海艇“みくら”、“こうず”、“しきね”、“にいじま”それと補給艦“ときわ”の6隻より成っている。

 掃海艇はすべて「はつしま」型で、基準排水量440トン、主要寸法は全長55m、幅9.4m、深さ4.2m、喫水2.5mだ。
主機はディーゼル2基、2軸で1440馬力、最高速力は14ノットだ。
20ミリ多銃身機関砲と掃海装置一式を装備している。

 船体は木製だ。
乗員は約45名で、大塚の所属する“にいじま”には47名が乗っている。

 1991年4月、日本掃海部隊はペルシャ湾に向け、本土を離れた。
1万3千キロの長旅である。

 掃海艇は、本来沿岸で活動するもので、外洋航海には向いていない。
艇の揺れに苦しみながら、10ノットの低速で、マラッカ海峡を抜け、インド洋を横断し、アラビア海に入った。

 砂漠から吹き付ける強風で生じた、2メートルを超えるうねりの中を進む。
「これは手痛い歓迎だな。」
「しかも、砂塵で遠くがよく見えない。」

 出航から1ヶ月後、ペルシャ湾の入り口のホルムズ海峡に到達した。
海峡を通る日本関連のタンカーは、今でも日に10隻は下らない。

 ペルシャ湾の入口にあるドバイのアル・ラシッド港に入る。
港にはアメリカ第5艦隊の空母“ニミッツ”はじめ、各国の艦艇が停泊していた。
ドバイは、砂漠の中に突然出現した未来都市のような大都会で、我が掃海部隊の補給地になる。

 寄港中に掃海艇の磁気チェックなどの整備や補給、掃海に関する情報収集を行った後、クウェート沖の作戦海域へと向かった。

 ペルシャ湾の奥に近づくにつれ、座礁したタンカーや砂漠から立ち上る何条もの黒煙が目に入る。

 戦闘が終わっているとはいえ、戦場の雰囲気は色濃く残っている。
「明日から掃海具による掃海にかかる。各員ベストを尽くせ!」

 参考図:「写真集・湾岸の夜明け作戦全記録」、神崎宏他、朝雲新聞社、1991
     
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