1795年、ポーランドは消滅した。
地図上から消えただけでなく、ポーランド語は公用語として使うことを禁止された。
ロシアに併合された地域ではロシア語が、プロイセンに併合された地域ではドイツ語が公用語となった。
これを嫌った数千人のポーランド人将校や政治家が国外に亡命した。
その亡命先の一つ、フランスはポーランドを併合したロシア、プロシャ、オーストリアと敵対していた。
亡命者らはフランス皇帝になったナポレオンに、ポーランド復活への援助を期待した。
その意図のもと、ドンブロフスキ将軍は、北イタリアでポーランド軍団を組織し、ナポレオンに協力した。
報われぬ闘いの中、この軍団の将兵は祖国再生を夢見て、歌を作った。
”ポーランドいまだ滅びず
われら生きてある限り
暴力にて奪われしものは
軍刀にて取り返さん
進め、進め、ドンブロフスキ
イタリアの地よりポーランド目指し
君の指揮のもと民衆と合せん”
この歌は親から子へ、子から孫へと歌い継がれ、ついに今日の国歌になったのである。
参考図:「ポーランドの歴史」、イェジ・ルコフスキ、創土社、2007
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