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英語で読む海戦史(38)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter ⅩⅡ Atlantic (August 1943―June 1944)
38.
After this convoy attack, Doenitz decided to call off surface warfare for his U-boats and kill time until he could get new and deadlier submarine types into production. One of his time-killing operations was an unsuccessful attempt of 13 U-boats, between June and October 1943, to mine harbor channels from St.John’s Newfoundland to the St.Johns River, Florida. Two of the boats were lost, and their total bag ( including that of the mines ) was four merchant ships and gunboat Plymouth. But they certainly gave a much-needed scare to Eastern Sea Frontier, which was getting careless after nine months’ enemy inactivity in its teeming waters.

Doenitz also tried a summer bliz in the Caribbean and off Brazil. U-615 spent the second half of July prowling about Curacao in search of tankers. In a space of nine days she beat off attacks by a dozen aircraft and a PC, and sustained such serious damage that when destroyer Walker, dispatched from Port of Spain, sighted her on August 7, the skipper, knowing that his time was up, ordered all hands into life rafts, and grimly took his boat down for the last time. Walker rescued 43 of the crew. For the Germans, this Caribbean blitz was a disaster. Ten U-boats in six weeks sank only 16,231 tons of shipping, a bag that would have been considered small for one boat in 1942. Five U-boats were sunk in the Caribbean and two more never got home.

(訳)
第12章 大西洋の戦い(1943年8月―1944年6月)
38.
この船団攻撃の後、デーニッツはUボート群の戦いの中止を決定した。  そして、最新鋭タイプの潜水艦が建造されるまで、時をかせごうとした。  時をかせぐ作戦の一つは1943年の6月から10月にかけて行われた、ニューファンドランドのセントジョーンズからフロリダのセントジョーンズ川にいたる港湾水路に機雷をばら撒くことだった。  しかし、その試みは失敗に終わった。  2隻のUボートが失われたが、彼らのあげた獲物は、機雷によるものも含めて4隻の商船と砲艦プリマスだけだった。  しかし、彼等は確かに、混雑した海域での9ヶ月間の敵の不活発さに油断していた東部海域前線に、大いに必要な警告を与えた。

デーニッツはまた、カリブ海とブラジル沖で夏季電撃戦を試みた。  U-615はタンカーを求めてカラカス付近を7月の後半、徘徊した。  その9日間にU-615は、1ダースの航空機と1隻のパトロールボートによる合計12回の攻撃を撥ね返した。  しかし、潜水艦は、ポートオブスペインから急派された駆逐艦ウオーカーにより見つけられた8月7日にひどい損害をこうむった。  艦長は最後の時がきたことを悟り、全乗組員に救命いかだに乗るよう命令し、最後に自分の潜水艦を悲痛な面持ちで沈めた。  ウオーカーは43人の乗組員を救助した。   ドイツ人にとり、このカリブ海電撃戦は大失敗だった。  6週間で10隻のUボートの沈めた船は、たった16,231トンだった。 それは1942年に1隻のUボートが沈めたトン数より小さかったと考えられる。  5隻のUボートがカリブ海で沈められ、さらに2隻が国に帰れなかった。

(注釈)
            Uボートの戦果がピークに達した1942年、1年間のUボートによる連合国商船撃沈数は1,150隻、627万トンで、損失Uボートは87隻だった。  1隻のUボートを失うかわりに、7.2万トンの商船を沈めたことになる。  本文の1943年夏のカリブ海の戦いでは、1隻のUボートを失うかわりとして、0.2万トンの商船しか沈められなかった。  対潜水艦戦能力の向上により、Uボートの退潮が決定的になった。
〔参考文献:デビット・メイソン著「Uボート」、サンケイ出版〕

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