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第5話(2)

 喜望峰(2)

 帰路は風と海流に恵まれ、順調だった。

 数日後、大きな岩山の岬を見つけた。
アフリカ大陸最南端の岬だ。
ここに最後の石柱を立てる。
「我々が嵐の最中に見落とした岬だ。“嵐の岬”と名付けよう。」

 8月、我が船隊の補給船を係留した、アンゴラ南部のポルトアレクサンドルについた。
9ヶ月ぶりである。
船は見つかったが、乗務員6人のうち3人は原住民とのトラブルで死亡した、との報告を受けた。
損傷していた補給船は、荷物を他の2隻に移した後、焼却された。

 帰路途中のガボンのロペス岬では、難破したポルトガル船の乗務員を、乗船させた。
また、補給のため立ち寄ったギネーのエルミナでは、ポルトガルの現地総督から金の贈り物を贈られた。(エルミナは金と奴隷の貿易地だった)


 こうして1488年12月、16ヶ月と17日間の航海の後、我が船隊2隻はリスボンに凱旋した。

 後日、私はジョアン国王から“インドへの道を開いた”という名誉と多大な褒賞を受けた。
船隊の幹部と乗務員にも褒賞が与えられた。
一方、私が名付けたアフリカ大陸最南端の“嵐の岬”は、アジアの富を得る希望の入口として、ジョアン国王により“喜望峰”と改められた。
 
参考図:「図説ポルトガルの歴史」、高野悦子編、河出書房、1993
     
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