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海賊王、モーガン(3)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

Morgan, the king of buccaneers(3)
 On their side, the Spaniards declared that as the new country was all theirs, and they reserved the trade entirely to themselves, any ship belonging to another nation found beyond the line-Pope Alexander’s line-was a smuggler or pirate; and they habitually hanged or made slaves of all the strangers they could catch there. They laid down the rule that, without any reference to the relations of Spain to France or England in Europe, there was no peace beyond the line, and they acted on it.

 This of course led to the continual fighting, more or less irregular, but always ferocious. The civil wars in England and in France sent out great numbers of ruined and desperate men-desperadoes-who established themselves in Hayti and lived by hunting the wild cattle and preying on the Spaniards.

海賊王、モーガン(3)
 他方スペイン人は、新大陸は自分たちのものであり、それとの交易も自分たちが保有しており、教皇アレキサンデル線を越えて発見された他の国の船は、いかなる船でも密輸船か海賊船だ、と宣言した。  そして、彼らはそこで捕まえたすべてのよそ者を縛り首にするか、奴隷にするのを常とした。  スペイン人はフランスやイングランドに対し、スペインとの協議なしに、“線”を越えての平和はない、というルールを定め、それを実行した。 

 この事は当然不定期な激しい戦いを絶えず、引き起こした。  イングランドとフランスの内戦が多数の絶望した破産者-無法者を国外に送り出した。  彼らはハイチに定住し、野生化した牛を狩ったり、スペイン人を略奪したりして生活していた。

(ひとこと)
 バカニーアは国の支配を離れた流浪の民、よく言えば自由民だった。  スペイン人が持ち込んで野生化した家畜を狩猟して燻製にしたものを寄航する船乗りに売ったり、ときには略奪したり、スペインの植民地を襲ったりして生計を立てていた。  日本の倭寇やロシアのコサックとも相通ずるものがある。
〔参考図:石島晴夫著「ヘンリー・モーガン」、原書房〕
     
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