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第4話(1)

渡河(1)

 1944年1月中旬、連合軍は、やっとドイツ軍の主防衛線、グスタフ・ラインに到達した。

 ここにドイツ軍は2ヶ月をかけ、アペニン山脈を越えてイタリアを横断する、100マイルにわたる強力な防衛陣地を構築していた。

 特に、地中海側のアメリカ軍を主力とする第5軍の前面には、モンテ・カッシーノ(カッシーノ山)を要とする要害が立ち塞がっていた。それは、ローマに通ずるルート6を、がっちり押さえていた。これを抜くことができれば、戦車を有効に使える、リリ峡谷が開けており、ローマまで僅か80マイルだ。

 しかし、この戦区は守るに最適、攻めるに最悪の地形だ。
要害群の前面には水量を増したラピド川が流れ、その渡河地点はモンテ・カッシーノや周辺の高地から丸見えなのだ。さらに、ドイツ軍はラピド川を氾濫させたので、川の手前は1Kmにわたり、膝まで沈む泥の海になっていた。

 1月20日、カッシーノの前面で第36師団によるラピド川渡河作戦が開始された。

 ゴトー達、第100大隊が所属する第34師団は、4マイル程離れた地点に待機していた。
霧が立ち込めている。
ズズズン、ドドドン
7時30分、弾幕砲撃が始まった。腹に響く、太鼓を叩くような連続した弾着音が聞こえる。
南西の方向が、霧を通して一面の橙色になった。鋭い閃光が目に飛び込む。

 皆、固い表情になり、黙り込む。
明日は、あの炎の中に行かなければならないのだ。
「さあ、装備の点検だ。」軍曹が皆の尻を叩く。

 1時間半ほどの砲撃の後、明らかに別な音が混じる----敵の砲撃だ。

 このすさまじい音の競演は、断続して2日間続いた。
第36師団は、敵の固い所に飛び込む形になり、兵員の1/3を失う大損害を受け、撃退された。広い地雷原と敵の正確な砲撃、架橋の失敗、堅固なトーチカ陣地などが失敗の原因だが、なにより作戦の稚拙さが目立った。(戦後、クラーク将軍は第36師団在郷軍人会から、この失敗の責任を問われ、訴えられることになる。)

     
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