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英語で読む海戦史(70)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter ⅩIII The Navy in the Invasion of France( 1944 )
70.
Vast, unprecedented, was the press of shipping. From Felixstowe on the North Sea, around the South Coast to Milford Haven in Wales, English harbors were crowded with ships. By 3 June almost every vessel assigned to cross on her own bottom-and there were 931 of them for the American beaches and 1796 for the British-was in her assembly port awaiting the word to go.

Would the capricious June weather of northern Europe allow it to go? Forecasts on Saturday June 3 were unfavorable, even alarming. By 0400 Sunday, when Eisenhower met the generals and admirals at Southwick House, it seemed hopeless. The Supreme Commander then postponed D-day from the 5th to the 6th of June, and vessels which had already started were recalled. At 9 o’clock Sunday evening all top commanders met in Southwick House. The weather chart still looked foul, but the staff meteorologist predicted moderating wind and sea for the 6th. If D-day were postponed further, it would have to be postponed for two weeks, when the tide would be right again for landing; that would never do. So, one hour before midnight 4 June, orders were issued to all ships of both Navies to sail to meet a 6 June D-day, and, at 0415 June 5, General Eisenhower made it definite with the laconic order: “O.K. We’ll go.”
            
(訳)
第13章 フランス侵攻での海軍( 1944年 )
70.
     船団の密集した様は広大で空前絶後だった。  北海のフィリクストウからウェールズのサウス・コースト付近からミルフォード・ヘブンにかけて、イギリスの港は船で埋まっていた。  6月3日までに地図に所在地を示されたすべての船舶は、出撃の合図を待ちながら集結港にいた。  それらの内、931隻はアメリカ軍の、1796隻はイギリス軍上陸の浜辺をめざす船だった。

     北ヨーロッパの不安定な6月の天候は上陸作戦を許すだろうか。  6月3日土曜の天気予報は歓迎すべきものでなく、むしろ不安にさせるものだった。  日曜の4時、アイゼンハウアーがサイスウイック・ハウスで将軍や提督と会合している時、天気は望みがないように思われた。  それで、総司令官はDディを6月5日から6日に延期した。  そして、すでに出航していた船は呼び戻された。  日曜日の午後9時、すべての上級指揮官達がサウスウイック・ハウスに顔をそろえた。  天気図では、まだ悪い状態のように見えた。  しかし、気象学者の参謀は、6日には風と波は和らぐと予測した。  もし、Dディがさらに延期されたら、潮汐が上陸に再び良くなる2週間後までも延期せねばならなかったろうし、そんなことはできなかったろう。  そこで、6月4日真夜中の1時間前、両国海軍の全艦船に6月6日Dディに集結するよう出航せよ、という命令が発せられた。  そして、6月5日4時15分、アイゼンハウアー将軍は明確で簡単な命令―“オー・ケー。  さあ、行くぞ!”を下した。
   

(注釈)
     上陸には穏やかな海象状況のほかに、2つの気象条件が必要であった。  一つは空挺部隊が発見されにくいため、月の出が遅いことだった。  もう一つは、上陸部隊にとり危険な水中障害物が目視できるように、干潮が夜明け直後に起こることだった。  この2つの条件を満たす月日は、6月5,6,7日を逃すと2週間後になった。
〔参考文献:コーネリアス・ライアン著「史上最大の作戦」、ハヤカワ文庫〕
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