■カンダタのブログ■

日々の雑感+コラム、現在不定期更新です。

真の女好き

2005年05月24日 18時41分38秒 | Weblog
「ほぼ日刊イトイ新聞」に糸井重里氏がこんなことを書いていた。

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ぼくはわりに焼き魚や煮魚をきれいに食べる。
きれいに食べるとほめられることもある。
ほめられるときに、ついでに、
「魚が好きなんだねぇ」とうれしそうに言う人もいる。
魚は好きだけど、しみじみ言われると
真の魚好きに悪いような気もする。

ぼくは、魚をきれいに食べることに憧れて、
魚好きになったように思う。
魚の料理を食べ終わった皿がきれいだったりすると、
たいへんにかっこいい。
そういう皿を自分の前に置きたくて、魚好きになってきた。

魚好きが魚をきれいに食べるというのは、ほんとうだ。
魚の好きな人は、「これは食べない」という部分を、
明確に認識している。
だいたいは、一部の例外を除いて「頭」と、
これまた一部の例外を除いて「骨」と「しっぽ」だ。
で、それ以外はぜんぶ食うと決めているのだ。
しかし、ハンパに魚の好きな人には、
「これは食べない」部分の境界があいまいなのだ。
はらわた、血合いの部分、皮など、
食うのか食わないのかはっきりしないままで、
箸を進めているのである。
だーから、ゴミなのか食物なのかあいまいなまま、
魚のはらわたや血合いや皮や、皮のついた肉が、
ぐちゃぐちゃになって溜まっていくのだ。
結局、それは汚くなって食べづらくなり、ゴミになる。
魚の好きな人の食べ残しは、頭と骨としっぽしかない。
だから、食べた後の皿がきれいなのだ。

おまけに、類推しやすい法則を考えついたぞ。
もてる男は、「これは手を出さない」という
格別に苦手な種類の異性以外は、ぜんぶ食べようとする。
もてない男は、手を出すのか出さないのか、
自分でもよくわかならないままぐずぐずしていて、
そのうち、ぐちゃぐちゃになって自分がゴミになる
‥‥ッてなことは、言えるんでないかい?
あ、仕事なんかも似たようなことが言えそうだぞ。
「好きこそものの上手なれ」って、そういうことだったのか!

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ああ、だから私はもてないんだなー
境界線がハッキリしないもんな。

そこで迷うことはかなりの時間の無駄ですよね。
しかも、最初にキチッと判断しておかないから食べないとわかったときに
無駄な罪悪感を感じることになります。

、、、ホント無駄だわ。
魚の食べ方あまりきれいじゃないしな、、、

そういえばこないだ斎藤孝氏が
「私は真のギョウザ好きだからギョウザであればなんでもいいんです。
で、真の女好きかどうか考えたんですが、、、そうではなかったようです(笑)」
と言ってました。

私も真の女好きではないので境界をハッキリさせて迷わないようにしようと思いました。

、、、でもそうすると「俺はマグロのトロしか食べない」みたいなことになるんだよねー

やっぱりもてる人ってどの部分もうまく料理しておいしく食べる方法を知ってるような気がしますね。