マコちゃんは、おしゃれなひとだった。いつからかは定かでないが、身に着けるものはたいていオーダーしていた。スーツ、コート、靴。質の良いものを購入して、何年も使う。几帳面なひとで、常に整理整頓をしていて、どこになにが置いてあるかも即座にわかる。
今も覚えていることのひとつに、何年も愛用していたオーダー靴の革鳴りの音がある。耳障りという方も多いが、娘には、家族でともに歩いたときに父の足元から聞えてきた思い出の音である。日常の手入れはすべて自分でやっていたので、ひょっとすると靴クリームがやや足りずに革がしなっていたのかもしれない。キュキュッというあの音を聞くと、マコちゃんを思い出す。
「安物買いの銭失いって言うやろ。あれは、真やね」
そう言っていた。おかげで、娘も父に倣い、質の良いものに目が留まるようになった。とはいえ、お財布に限りはあるから、留まるにとどめることも少なくない。
転じて考えると、マコちゃんはよく<質>を観ていた。<質>の話をしていた。
娘は、大学を卒業してアパレルメーカーに就職した。企業グループで最上級とされるブランドを担当することになった。デザイナーの名前を冠したそのブランドには、確かに目を見張るものがあった。全国展開しているにもかかわらず、一つの型はわずか20着程度。検品では、メインのデザイナーの目に適わない縫製は、容赦なくはじかれた。企画、パターン、縫製、、服作りに関わるプロフェショナルがいつも戦々恐々としていた。いまなお商品管理部の張りつめた空気を覚えている。
いまやファストファッションが生活のいたるところに存在し、そのメーカーが<質>を訴求する。本来、<質>には、コストがかかる。作り手の費やす時間そして心、技術を含めたコストである。マコちゃんの靴の音を思い出すたび、ファストファッションが上質だと訴えるコピーに、違和感を覚えている。目利きを育てる可能性が失せていく一抹の不安を感じている。<上質>に<ファスト>は、なじまない。
「分をわきまえる」
物事には、なんでも最適な「分」というものがあるように思う。さて、自身の<質>は、いかばかりか?重要なのは、質の高低ではない。最適と言える「分」を見つけ、生涯かけて「わきまえ方」を学んでいくことである。