梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

そのおはなしは、嘘か事実か、真実か。

2022-02-18 14:41:29 | 雑記 Communis2022

 

コミュニケーションやらジャーナリズムに関する書籍に若いころから接していると、「うわさ話」に興じる経験はできずじまいです。ターゲットになったことはあります。某企業に勤務していたころ、或る現象に尾ひれがたくさんついて面白いほど論拠のないストーリーが組み立てられ、まことしやかに語られていました。或る日、素直な方が直接お尋ねしてくれたことから、発覚。大笑いしました。が、しかし、ケースによってはひとのこころを傷める、あるいは、いのちをも脅かしてしまうリスクをはらんでいます。

「うわさ」と呼ばれるものは、「流言」「都市伝説」「ゴシップ」「デマ」という4種があります。「流言」は、社会の広範囲に広がる時事的かつ一過性のメッセージを言います。「都市伝説」は、物語として楽しまれる類のメッセージ。具体的な名称などを伴ってはいますが、複数の地で名称を変えただけの話が存在します。「〇〇を訪れたふたりは必ず別れる」など。ターゲットとして体験したものは、「ゴシップ」です。身近な人や芸能人に関するおしゃべりです。やっかいですが、会話の促進剤になるという特性を持っています。最後が、「デマ」です。「デマ」は、悪意のある情報を捏造して、意図的に伝えることです。送り手、メッセージ、チャネルそして受け手といったコミュニケーション行為を構成する各要素を操作することによって伝播や拡散のメカニズムが発生します。

かつて、湾岸戦争へと突き進む影響力を持った油まみれの水鳥の写真がありました。また、イラク軍兵士がクウェートにおいて、新生児の命を奪っていると証言したナイラという少女がいました。いずれもフェイクもしくは実在しない少女でした。仕組まれた情報は、マスメディアそしてジャーナリストたちも巻き込んで、世界は戦争へと舵をきり、日本の某首相も莫大な資金を拠出しました。

近年、ソーシャルメディア隆盛により、フェイクニュースはさらに加速度的に拡散されています。ワクチンの陰謀説、トイレットペーパーの買占め、ねずみ講などなど。

なかには、確かに一般人では確認できないこともあります。しかし、新しい情報に接する際、なんらかの意思決定をする必要があるものについては、なるべく複数のリソース(発信元)をあたり、ものごとの真偽を確認するようにしています。

なお、メディアや日常会話の中で「みんなが言っている」という言葉を耳にします。この言葉を聴くと、必ず「みんなって、誰?」と自分自身に問うようにしています。

 

 

追記:「うわさ」の分類には、複数の分類法があります。

 

参考図書

辻大介・是永論・関谷直也『コミュニケーション論をつかむ』有斐閣,2017。

総務省「誤情報やフェイクニュースの流布」『情報通信白書 令和2年版』

鳥海 不二夫「データから見るデマ拡散の構造」『コロナ時代のソーシャルメディアの動向と課題 科学技術に関する調査プロジェクト報告書』国立国会図書館,2021。


パブロフのワンちゃん?

2022-02-15 09:35:10 | 雑記 Communis2022

 

或る日、薬局での会話を聞く機会がありました。

処方薬を待っていたのは、3名です。

「液状の薬Aは、検査の前日夕食後に飲んでください」「はい」

「薬Bは、毎朝飲んでくださいね」「はい」

薬剤師の方の「指示」に対して、とても素直に返事をなさって、何のお尋ねもなくお薬を受け取っておられました。この光景を観ながら、「だれひとり、『なぜ?』を訊かないのだなぁ」と思っていました。このやり取りは、わたくしには「指示→受容」つまりは「刺激→反応」というなんだか受け手側に主体性のないコミュニケーションのようにみえました。似たような事例は、あちらこちらに散見されます。

かつて老後2000万円問題が物議をかもしたことがあります。マスメディアにより拡散されたきらいがあり、なによりメディア関係者がこぞってとり上げていました。(最近みません)取り上げる側のメディア関係者の何名が、原本を確認したのでしょうか。単に、表層的かつ単一の試算のみをさもたいそうなことのように取り上げるメディア関係者の見識を残念に思いました。いろいろな考え方があってよいとは思いますが、私的には、単独の試算としては、定められた条件下での試算としてよくできているというのが実感でした。ただし、試算の目的により価値は異なると考えます。また、マスメディアにより少なくとも「老後資金について不足が発生し、長期的な準備が必要」とのメッセージにはなったかもしれません。

コミュニケーション行為において、送り手も受け手も、主体性を鍛えないと情報に踊らされてしまいます。以前、事実確認さえなく激高する上司がおりましたが、情報に接すると「思い込み窓(筆者の造語です)」を全開にして、感情を先に動かしてしまい強く反応してしまう、性能の良い瞬間湯沸かし器のような方が多々おられます。

「なぜ、前日の夕方に飲むの?」

「なぜ、老後資金が話題になっているの?」

「なぜ、2000万円足りない?」

わたしたちは、かつて多くのひとが接したであろう5W1H(5W2Hとも)を把握することが苦手なようです。島国、日本。高コンテキスト社会。そういった国特有の文化が背景にあろうとは思いますが、知れる限りの世界情勢を鑑みると、なんだか危うい国民性だなぁとは思います。主体性を持たないことに気づいてもいないわけですから。

 

次回は、「うわさ」を取り上げます。

 


対立時のコミュニケーションパターン

2022-02-11 16:38:37 | 雑記 Communis2022

何度もこのカテゴリーに登場している宮原教授の書籍の中に、「対立処理のコミュニケーションパターン」についての記述があります。記載内容のバックボーンとなる論文は確認できませんでした。しかし、自身の対応をチェックする際に役立ちそうな内容なので、ここにご紹介します。

宮原教授によれば、ひととひとが対立した際に、ひとがどのような行動に出るかは、予測できると言います。「相手への関心度」と「自分の利益に対する関心度」という2軸によって、対立処理を5つのパターンに分類しています。

独裁型

意見を通すことが最重要あるいはゴールと考え、相手の考えには耳を貸さない。結果として、人間関係に支障をきたしても仕方がないと考えるパターン。

 

お人好し型

自分の意見は出さずに、相手に合わせます。人のいうことを良く聞くために人に好かれます。しかし、いつもこの型ですと、八方美人とも評されます。

 

回避型

自分の意見は出しません。目の前の問題にかかわりたくないというタイプです。

 

妥協型

相手と自分の主張の中間点をとって両者が落ち着く。相互に譲り合うパターン。時間的には最も効率が良いパターン。しかし、結論は、妥協の産物のため、果たして相互に納得ずくの結論かどうか、不満が解消されているかどうかは不明です。

 

問題解決型

時間と手間、多種多様なコミュニケーション­能力が必要となります。双方が徹底的に問題を分析し、相違点を明らかにするとともに議論を重ねて最良の意思決定をすることを目指します。

 

 

以上です。

もちろん、対立の中身によって、あるいは、対立の背後にあるコンテキスト(文脈)によって、個々どのパターンが予測できるのか、あるいは、自己の対応としても有益か、あるいは、有効かは変わるものと思います。

自身の経験として、頻繁に感じたことがあります。「意見」に対して反証材料を準備して伝えたつもりが、「人格」への否定になって届いてしまうことが多い、と。学界でさえ、激高する方をみたことがありますから、ビジネス界でも実は頻繁に起こっていることやもしれません。

宮原教授が提示している対立処理のコミュニケーションパターンは、受け手の出方を予測して、自己のスタイルを設定し、不要な場所で感情論に陥ることを避ける手立てにはなりそうです。


コミュニケーションをデザインしよう。

2022-02-10 10:33:06 | 雑記 Communis2022

1冊の本に出会ったことがきっかけとなり、短大生のためのコミュニケーション論の演習を組み立てたことがあります。元外交官でおられた北川達夫さんが日本に紹介したフィンランドの国語の教科書です。小学校5年生が対象でした。そこには、コミュニケーションモデル(2/1掲載)の各要素を楽しく伸ばしつつ、メディアリテラシーをきちんと養成していく工夫があふれていました。

短大で実際に行った演習は、次のようなものでした。

7名ほどで、チームを組み、ひとつの主張をめぐって、議論をしていただきます。

例えば、「紙の教科書は、要らない」。この主張をめぐり、7名はそれぞれの役割を引き受けます。教科書出版社の営業担当、デジタル出版に強いプロダクションの営業、長く紙媒体に頼って授業を進めてきた教員、生徒A、生徒B、生徒の保護者代表、PCなどデバイスの販売会社の営業などです。チームメンバーは、事前に下調べをしてから、議論に臨みます。参加者のネーミング、服装、背丈、業界や職場の状況などすべてメンバー自らが決めます。

学生たちは、役割が決まってからというもの、やたらにキラキラとしていました。

例えば「そもそも教科書の出版社って何よ?」「出版社の営業って?」「どんな服装してる?」電車に乗っても何をしても、役作りのための情報集めを開始しているからです。

さて、議論当日。相互に利害の違うひとたちが、ひとつの主張をめぐり意見を述べていきます。いかに自己の主張に理解を得るのか、反論への対応はどのするのか。なかなか白熱の議論が交わされていました。学生たちは、知らず知らずのうちに、「事実を調べる」「観察する」「想像する」プロセスを経て、「コミュニケーションをデザインする」経験をしていきます。

1冊の書籍から始まったこの取り組みでしたが、やりながら気が付いたことがありました。コミュニケーションは、デザインの対象で、そのデザイン力こそ日常に変化や笑顔を生み出す基礎ではないかと。

20代の頃、在籍していた広告代理店のトップが、よく言っていました。「君たちの仕事は、新聞広告を創ることでもなくCMを創ることでもない。クライアントとそのお客さまのコミュニケーションをデザインすることだ」と。新聞もテレビ、デジタルコンテンツもそのための手段であって、クリエイティブだなんだと浮かれている場合ではない(笑)と教えてもらったように受けとめていました。デザインは、なにも専門会社の人間がやるべきことではなく、だれもがちょっとした意識をもてば、簡単にやれることなのです。

 

 

参考図書

メルヴィ バレ , リトバ コスキパー , マルック トッリネン  著 , 北川 達夫 , 北欧文化教育総合研究所 , フィンランドメソッド普及会 翻訳『フィンランド国語教科書 小学5年生―日本語翻訳版 フィンランド・メソッド5つの基本が学べる』経済界,2007。

上記以外にも北欧の教科書については多く翻訳されています。ご興味がある方は、ぜひ読まれてください。楽しいやら感心するやら・・日本の教育は大丈夫か?と思えることに満ちています。