梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

いちばん日が当たる席に。

2021-12-22 06:27:10 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

 

「おかあさんのことを頼む。おかあさんを君の家のいちばん日が当たる良い席に座らせてあげてくれ。そして、おいしいものを食べさせてあげてくれ」

自ら死期を悟ったマコちゃんは、上の娘に言い残した。娘は、二つ返事で、マコちゃんの願いを受け入れ、約束をした。「必ず、守る」と。

晩年のマコちゃん、スーちゃんは、経済的にも精神的にもとても恵まれていた。

ふたりは、80歳を過ぎてなお来てくれる患者さんの治療を続けながら、時間を作り、日本中あちらこちらに旅をして、仲睦まじく過ごしていた。マコちゃんが先に逝ってしまったが、ひとり残すスーちゃんには十分なものを残していった。後に残る者も、かつてマコちゃんがあっさりと家督を捨てたように、スーちゃんが困らないようにと、全員、相続を放棄した。とてもすがすがしく、気持ちの良い始末だった。

マコちゃんは、スーちゃんをとても大切にしていた。スーちゃんの笑顔がいつまでも続くように、日々の笑いだけでなく、贈り物も欠かさなかった。娘ふたりはさほど宝飾品に関心はないが、スーちゃんは、お好きであった。スーちゃんが彼の地へ逝った折、ずいぶんと立派なものがあれこれと出てきたほどである。もっともスーちゃんもまた、マコちゃんのことが大好きであった。マコちゃんは長く闘病生活をしたが、一日も欠かさずに入院しているマコちゃんのもとに通っていた。時に3時間ほどしか眠らずに、ずっと、傍らに居た。

スーちゃんを支える思い出の中に、マコちゃんと過ごした寒い冬の夜がある。

その日、炬燵の中でマコちゃんはスーちゃんと手をつなぎ、握りしめて、こう言った。「今まで、長いこと。ありがとう」。この冬の日のマコちゃんの手のぬくもりと言葉が、何カラットだかのダイヤモンドよりも、長く、力強く、スーちゃんを支えた。

そういえば、マコちゃんの病状から、専門医がいない北九州ではなく、福岡の病院へ来ないかと誘ったことがあった。マコちゃん、スーちゃん、ふたりで我が家に滞在し、そこから病院へ通えばよいと話した。もちろん何か月、何年だろうが居てもらって、構わないとも伝えた。

「君たちに迷惑はかけたくない。しかし、お父さんのいのちは、お母さんのものだから、お母さんの意向も聞いてみて」

そうマコちゃんは、言った。

娘にとっては、ユニークでありがたい親であったが、その前に、相性抜群の良い夫婦であった。そして、自立し、自律した大人の夫婦であった。