梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

弔いは、温泉旅。

2021-12-23 05:26:32 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

 

「葬儀は、不要。そのお金で、おとうさんが好きだった熊本小国の温泉宿へ行ってくれ。みんなで行って、思い出話でもしてくれたら、いい」

マコちゃんは、そう言い残して、逝った。

穏やかで、美しい亡骸だった。

さて、マコちゃんの言うこともわからないではない。しかし、スーちゃんは、気が収まらない。それなりに葬儀を執り行いたいと言い出し、娘たちも親族も付き合った。これはこれで良かったのだろう。生前通ってくれていた患者さんたちが訃報を知って、駆け付けてくれた。

しかし、マコちゃんのメッセージは、娘が敢行した。姉妹、その家族、孫、孫たちの子どもたち、12,3名だったろうか。皆で、熊本へと車を走らせた。

晩年のマコちゃん、スーちゃんは、娘夫婦とともに、20年間ほど、毎年お正月を国内の温泉や心地よい宿で過ごすようにしていた。京都の老舗旅館Hや雲仙のH、武雄のT、名だたる旅館に滞在してきたが、マコちゃんが皆で行けと言ったのは、ただただ自然が美しく、シンプルで離れの家が点在する旅館だった。

満点の星空が見え、コミュニティスペースには、だれでも弾けるピアノが置いてあり、デッキには心地よいロッキングチェアがあった。飾り気のない空間とこころのこもった料理をいただけるこの宿が心地よかったのだろう。いつだったか食事制限に対応いただけるか確認したこともあった。その宿は、こころよく対応したいと申し出てくれたこともあった。宿では、孫やその子どもたちも楽しそうに過ごしていた。

ふたりが、何度も滞在した同じ宿の同じ離れの部屋。そこに、マコちゃんはもういない。夕食の献立を楽しそうに読むひとはいない。

いや、居た。スーちゃんのこころのなかに、娘たちのこころのなかに。マコちゃんが逝ってしまい、娘は類まれな治療技術がなくなってしまったのは残念でしかたなかったけれど、不思議と寂しいとは思わなかった。十分、こころのなかでマコちゃんは生きていた。十分、マコちゃんからいただいてきたという確信と誇らしささえ感じている。

或る人が母親を亡くした時、とても寂しい想いをしたという。天涯孤独の想いを味わったという。「耐え難いほどの悲しみだから、気をつけて」とその人は言った。しかし、娘は違った。寂しくないのである。すでに、いつもふたりはこころのなかに居て、笑っている。そして、十分すぎるほどの教育と幸福そして大切な自立するちからを娘たちに与えているのだから。