梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

シャム猫と尾長鶏

2021-12-15 06:52:48 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

今から半世紀以上前、我が家には、珍しい動物たちがたくさん居た。

ふっくらとしたキャメル色の胴体、途中からグレーへと色が変わり、墨色の長い尾を軽やかに垂らしている。赤い鶏冠が映える尾長鶏。現在は、天然記念物であるが、当時、我が家に居た。

また、うつくしい肢体で優雅に歩くシャム猫。そして、大型のプードル犬サブちゃん。サブちゃんは、毎月、近所の日本電信電話公社(当時)に電話代を支払いに行ったり、買い物かごを口にくわえて市場に買い物に行っていた。ひとり、いや、一匹で、である。毎月、同じ担当者の人にしかお金を渡さなかったという。

こうしたペットたちの数々は、おそらくは患者さんからいただいたのではなかったか。確認することはすでにかなわないが、ひょっとすると、受け取らなかった治療費の代わりにいただいたものやもしれないと想像したこともあった。とにかく、分不相応あるいは家屋不相応と言えばよいだろうか。高価な動物が複数いた。さらに、迷いネコやら食用にもできる鶏たちも仲間に加わっていたので、小さな鍼灸院にあるさらに小さな裏庭は、さながらミニミニ動物園であった。

近所の子どもたちもたまにミニミニ動物園に来ていて、自慢げに紹介した記憶がある。

マコちゃんは、動物が好きだった。というより、生きとし生ける者が好きだったのかもしれない。

娘が小学生の頃、学校で飼っていたウサギの飼育係になったことがあった。マコちゃん、餌をやり、小屋の掃除に行くのに、ついてきた。当時、生徒の父親がウサギ小屋に一緒にやってくるのは珍しいことだった。父とともに差し出す人参を食べるウサギの姿に<幸せ>を覚えた。

あるいは、或る日、迷いネコのミイちゃんは、顔にマジックで落書きをされ、片足を折られて、家に戻ってきた。マコちゃんに聞きながら、数日間、つきっきりで看病したが、あの世へ行ってしまった。自分と同じ人間の仕業が悔しいやら悲しいやらで <怒り>を覚えた出来事もあった。

マコちゃんの動物好きのおかげで、幼いころからちいさないのちたちが身近に居て、彼らの生態に触れる機会が多かった。どの動物も、繊細だった。そして、人間よりも速く短く、いのちを閉じていった。異なるいのちとともに暮らして、その生死を身近に感じていく。娘がふたりとも自分自身を含めてひとびとの感情の動きに敏感なのは、これら時に豪華で美しく、時にか弱い生きものたちのおかげではないだろうか。