世相と心の談話室

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竹島問題

2005年03月25日 11時44分06秒 | 世の出来事放談
竹島問題
 竹島は、日本の隠岐島から北西約157Km、韓国の鬱陵島(うつりょうとう)から約92Kmの位置にある。この孤島は2つの小島と岩礁で構成されている火山島で、面積は日比谷公園ほどの大きさしかない。当然人は住んでいないし、植物すら生息しない。
 この孤島が領土問題となる理由は、 排他的経済水域の問題があるからだ。排他的経済水域とは、「主権は及ばないが(他国の船の航行などは自由という意味)、その水域の地下資源や水産資源などを優先的に利用できる」水域のこと。竹島が日本の領土であるのとないのとでは、この排他的経済水域の範囲がかなり違って来る。特に漁業に及ぼす問題は大きなものがある。
 現在、新漁業協定で、竹島周辺の海域は「日韓暫定水域」とされ、両国の漁船の共有水域となっているが、韓国側がかなり有利な条件となっている。竹島は韓国本土に近く、竹島のすぐ近くには韓国領の鬱陵島があって、そこで補給ができるからである。しかも韓国が占拠する竹島には、韓国の猟師は着岸できるが、日本の猟師が近づくと韓国警察に拿捕されてしまう。この暫定水域自体、日本のほうに大きく食い込んでいて、日本の漁業には不利だと言われている。
 このような理由と、もともと竹島は日本の領土であることが国際的にも認められていたという事実を掲げて、島根県が今年の3月16日に「竹島の日」条例を可決し、政府に領有権主張を強力にするようアピールした。それに対して韓国が「日本の再侵略開始だ」と猛反発しているのである。
 島根県が今年になってこの条例を可決した1つのきっかけは、竹島が島根県に編入されてちょうど100周年になるからである。竹島が日本の領土であるという事実は、次のような歴史的経緯から明白である。

 鬱陵島は西暦512年以来、韓国の支配下にあった。しかし、李氏朝鮮(1392-1910)は、鬱陵島への渡航を禁じる政策をとった。これには大きく分けて2つの理由があり、国内的には税金を逃れて島に渡るものが後を絶たなかったことと、対外的には倭寇による襲来から島民を守る為であった。この無人島政策は1438年から1881年まで続けられた。17世紀初頭、米子の海運業者だった大谷甚吉(おおやじんきち)が、航海中に暴風に遭い、無人島になった鬱陵島に漂着した。彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、1616年に江戸幕府(1603-1868)から鬱陵島への渡航許可を受ける。鬱陵島はその発見から「竹島」と呼ばれるようになった。大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採などを行い、両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。当時鬱陵島へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。大谷、村川両家は、この竹島(旧・松島)の経営をも手がけていた。竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用されアシカ猟を行っていた記録も残っている。江戸幕府は松島に対する渡航許可も1656年に出している。
 1905年、明治政府は竹島を島根県に編入し国際法的にも日本の領土になった。しかし日本の敗戦後、GHQは竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、日本の行政権から外した。これを口実に1952年1月18日、李承晩(イ・スンマン)韓国初代大統領は海洋主権の宣言ライン、いわゆる「李承晩ライン」を設け、韓国は竹島周辺海域の水産資源を得る事になる。これが日韓の竹島問題の始まりである。
 領土の確定には、先占理論というのがある。①先にどの国のものでもないその土地を見つけ、かつ②先にその土地領有の意思を公的に示したこと、の2つを満たした場合、その土地はその国の領土になるというものである。歴史的事実は、このどちらも満たしていると言える。

 しかし、韓国側からの反論として、1905年の前年、韓国は日本と第1次日韓協約を結ばされ、財政権・外交権が事実上日本に奪われ、保護国化していた。従って、1905年の日本竹島領有に対して、異議申し立てができる状態ではなかった、というものがる。日本の強制力が働いていたため反論の余地がなかったというのである。それならば、現代この問題が持ち上がっている時点で、きちんとした国際法的な場で白黒をはっきりさせるべきであろうが、それに韓国側は応じようとはしてないようである。要するに、国際司法裁判所で国際法的な判断をしてもらうことだが、1954年に日本側はその要請をしたが、韓国側は応じていない。
 
 この問題は、やはり国際司法裁判所の判決に委ねるべきであろう。それまでは、日本政府は毅然とした態度で「竹島は日本の領土である」ことを主張すべきである。外務省も次のように日本の立場を明示している。

  1.我が国の一貫した立場
  (1) 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である。
  (2) 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこ     のような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではな     い。(注:韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同     島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていない。)

しかし、この問題の背景には、根強い日韓関係の歴史問題が潜んでいることも無視できないであろう。
1961年、韓国では政変が相次ぎ、クーデターにより朴正煕(パク・チョンヒ)が政権を握った。彼は凄まじい人権抑圧を行うと同時に、日本の資本を受け入れて高度経済成長を実現した。それは「漢江(ハンガン)の奇跡」とよばれるほどの成長ぶりで、韓国は一躍NIES(新興工業経済地域)となる。この経済優先の独裁政治を開発独裁という。朴政権は、日韓交渉では、とりあえず竹島問題は置いておき、どれだけ日本から金を引き出せるかに絞って、早期妥結を狙って交渉した。その結果、・日本は有償、無償の援助を韓国に行う。韓国は日本に賠償請求をしない。・日本政府は「不幸な歴史」に「遺憾の意」を示す(椎名外相がコメントした。)。・李承晩ラインは、廃止する。沿岸から12カイリまでの線を、両国の漁業水域とする。などということで両国がまとまり、これをベースに「日韓基本条約」が1965年、締結され、日韓の国交は正常化されることになった。
 その朴正煕が1979年に暗殺され、クーデターと光州事件鎮圧で大統領になった全斗煥(チョン・ドファン)もまた、人権抑圧しながら経済発展を実現し、貿易収支を黒字化させ韓国を先進国の一員にまで押し上げた。今は民主化されて先進国になった韓国で、「あの開発独裁は、あれでよかったのか?」という意見が噴出している。朴正煕や全斗煥のやり方はよかったのか? 大事な領土問題や、賠償請求権を放棄してまで、経済発展を優先させ、日本としっかり議論しないまま国交正常化したのはよかったのか? そんな議論が起こっている。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領も、こうした歴史の「清算」を進めることを明言しているようで、朴正煕政権下でのさまざまな疑惑を国会で追及していくことも提案している。朴正煕政権下で結ばれた日韓基本条約も見直そう、という声も上がってきているようである。
 一方、日本の側からすると、韓国のこうした動きに対して、完全に「負の歴史清算」問題は棚上げにしている感があり、北朝鮮に対しても、韓国に対しても、重要な外交問題でこの点を指摘されると及び腰になってしまう。竹島問題を機に、「負の歴史清算」問題を少しでも解決できるような韓国との交渉を日本政府に求めたい。竹島問題が、もし国際司法裁判所で裁かれることになれば、明らかに韓国側が負けるであろう。しかし、韓国側としても、何の見返りもなく判決に応じるのは面子が許さないはずである。1つには、小泉首相の靖国神社参拝の公式行事を止めることである。それを内外にしっかりと表明し、「竹島が明らかに日本の領土であり、平和を目指す日本が、竹島の領土確定を契機に再侵略することはあり得ない」ことを明言するべきである。あの何ら国益をもたらさないパフォーマンスより、島根を初めとする日本海側の漁民の生活を守る方に重点を置いてもらいたいものである。








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