世相と心の談話室

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児童虐待について

2005年04月06日 10時45分48秒 | 世の出来事放談
《児童虐待に関するアメリカ的考え》
 児童虐待というと、大人が子どもに理不尽な暴力を振るう残酷なイメージがある。この言葉は、もともと英語の“child abuse”を訳したものだが、abuseには、「親密な間柄で、一方が他方を不適切、または不公平に扱っている状態」という意味がある。したがって、“child abuse”とは、「親が自分自身の欲求の満足を求めて子どもと関わるときに生じる、子どもの乱用」(『子どものトラウマ』講談社現代新書)といった意味になる。本来、“child abuse”の中には、子どもに対する暴力だけでなく、精神的なダメージ、不適切な扱い、養育的無関心なども入るのであろう。その点で、日本とアメリカでは、児童虐待への考え方が随分違っている。
 カリフォルニア州の場合は、子供を殴ったり、叩いたりすると、全て虐待と見なされる。子供が言うことを聞かないからと頭を軽く叩くことも、厳密に言えば虐待になってしまう。アメリカでは、それだけのことでも刑法で裁かれ、懲役刑を受ける可能性もある。人前で子供を罵ったり、日本的感覚で謙遜の意を込めて自分の子供を悪く言うことも、アメリカ人には精神的虐待と受け取られることもある。親と子供が一緒に入浴すると、性的虐待の疑いをかけられる。専門家はアメリカで暮らす限り、子供の年齢に関わらず、親子で入浴することは避けるべきだと話している。同様に、親が裸や下着姿を子供にさらすことも、性的な虐待と見なされる。また、アメリカの警察は家庭内のトラブルにすぐ介入してくる。それゆえ、児童虐待の事実を早期発見しやすいと言えるかも知れない。これらのことが良いかどうかは分からないが、日本人の感覚とは相当なズレがある。
 アメリカは児童虐待についても先進大国。虐待件数が格段に多いので、その研究や予防とアフターケア体制は相当進んでいる。それゆえ、(児童虐待に対するアメリカ的考えが全て正しいとは思わないが)、学ぶべき点は多いのではないだろうか。
《児童虐待が生じる社会的要因》
 日本において、児童虐待の件数は平成10年頃からうなぎ登りに増えている。(上のグラフ参照)児童虐待防止法が平成12年5月より施行されたことにより、その数が表面化してきたということもあるが、逆に言うと、それまでいかに家庭内における児童虐待が潜在化していたかということにもなる。虐待に関心を持つ市民グループや行政の啓発活動、マスコミの報道などで、社会の関心が高まり水面下に隠れていたものが表に出てきたということである。児童虐待に関する相談や発覚は、家族、学校や幼稚園、保育園、病院、さらに近所から通報されるケースなどによる。そして、虐待そのものも増えている。若い親たちに育児の知恵や技術が不足していたり、育児の負担が重くのしかかっていることなどが原因として考えられる。祖父母など助けてくれる親族が近くにいなかったり、地域社会が弱体化し近所で子供を預かり合うといったことも少なくなったりしているのも遠因だろう。3歳に達しない子供の大半は、専業主婦の母親がひとりで子育てをしている。特に都市部では、母親は孤立しがちである。父親の方も、経済状況の悪化などで雇用や収入が不安定な人が増えており、ストレスを子供にぶつける場合もある。
 現在、良く知られている要因としては、①望まない妊娠・望まれない子供への苛立ち②配偶者の出産・子育てへの不協力や無理解に対する怒り③育児に対する不安から来るストレス③再婚者の連れ子に対する嫉妬・憎悪 などが挙げられている。また、虐待を行う親の多くが、自らも虐待を受けた経験がある事が知られている。しかし再婚者や被虐待者だった保護者が、必ずしもそうなる訳ではない。それにも関わらず、ある種の社会差別を被ったり、本人のコンプレックスになるなどの付随的問題も発生しており、これらの状況におけるケアをより困難なものにしている。
《児童虐待の分別》
 児童虐待を分別すると次のようになる。
1・身体的虐待・・・肉体的な苦痛を与える行為
  体を叩くなどの暴力、逆さ吊りにする・溺れさせる・布団蒸しにする等の体に苦痛や傷を与えるという  もの。時には命が奪われるケースがある。
2・情緒的虐待・・・精神的な苦痛を与える行為
  絶えず言葉で馬鹿にする・否定する・怒鳴る・叱るなどで 子どもを積極的に否定して子どもの心に深  い悲しみや脅え、辛さ等の苦痛を与える事。
3・性的虐待・・・性的な関与
  養育者や身近な人が、 子どもに性的な接触や行為をしたり、 子どもに性的な行為を要求する事で、レ  イプに至る場合も含む。児童ポルノ産業もこれと密接に関わっている事は否定できない。
4・身体的放置
   子どもの健康と発達と保護、最低限の衣食住の世話などを放棄する事。
5・情緒的放置
  情緒的な拒絶・突き放し、無関心等、 子どもとの情緒的な関わりを放棄する事。パチンコに熱中して  子どもをかまわない親の姿のなかにも、これが垣間見える。
  ※4・5のケースについてはネグレクトと呼ばれる。
《児童虐待防止法》
児童虐待防止法の概要は次のようになる。
(1)児童相談所の職員らは虐待のおそれがある家庭に立ち入り調査し、警察官の援助を求めることができる(2)児童相談所長は親の意思に反して、施設に入所させた子供の親の面会や通信を制限できる(3)虐待した親は、児童福祉司によるカウンセリングを受けなければならない――などと定めている。
また、学校の教師や医師、弁護士などに、虐待を早期発見する努力義務を課した。それに合わせて、相談所などへの通報を促すために、職務上知り得た情報について、守秘義務違反などの刑事責任を問わないとする免責規定も設けた。
 面会や通信を一時制限できる「親権停止」や、福祉関係者の住居立ち入り調査権を認めている。調査を妨げた場合の法定刑は20万円以下の罰金。施行3年後に見直すことになっていたが、具体的な時期は決まっていない。また家庭内だけでなく、保育園、幼稚園、児童養護施設内のものも児童虐待に含まれる。こうした子どもが病院を受診した場合、診察した医師は、担当でなくとも速やかに警察に通報する義務がある。(「児童虐待の防止等に関する法律」においては、発見した者全てが児童相談所等に通報の義務がある(第5条)と定められている。)児童相談所の権限・機能を強化するのが狙い。
 しかし、いずれも家庭内や施設内などの閉鎖環境において行われている事もあり、その大部分が暗数となっている。児童を保護する児童相談所にしても、事実関係の調査中に親権を盾に両親が保護した児童を連れ去ったり、醜聞を恐れて引越しをしてしまう、児童が親を庇おうとして被害を訴えたがらない、両親の親が介入して児童を親元に戻してしまう等の問題もあって、手遅れになるケースも少なくは無い。
子どもの救済、保護を担当するのは、児童相談所であるが、特に緊急を要する場合は、警察がまず加害者である側から児童を引き離して保護し、その後に児童相談所に事態の収拾を預ける事もある。児童相談所では、それぞれのケースを調査し、親に対するアドバイスや援助を行ったり、児童に必要な医療措置を手配したり、必要な場合には、親権の停止や児童養護施設への児童収容を手配する事もある。近年増加する傾向にある日本国内の児童虐待に的確に対処すべく、従来は育児全般に関する相談を受け付けていた児童相談所だったが、2003年9月に厚生労働省は「児童虐待と非行問題を中心に対応する機関」とする位置付けの変更を決定した。
しかし、その児童相談所の数と専門的な職員の数が極めて少ないのが現状である。県によっては1箇所しかなかったり、、大都市部では、東京11箇所、神奈川10箇所、愛知10箇所に対して、児童虐待件数が全国一の大阪府は8箇所である。(平成16年6月1日現在の厚生労働省提供資料)わずか2,3箇所の違いと思うかもしれないが、きめ細かなケアが必要なこの種の問題の性質や大阪の特異性から考えて、少ないと言わざるを得ない。
児童相談所に専門的な知識を持たない一般職が配属されているのも珍しくない。虐待を発見しても人手が足りず、対応が遅れることもある。なかには、虐待を行っている親から脅迫されたり暴行されそうになったりした職員もいる。児童虐待防止法が施行されても、原則として鍵などを壊しては家の中に入れないので、どうしても限界がある。
 相談所の処理の大半は、子供が親元にいるままでの「面接指導」になるが、相談に来るように言っても強制力はない。親から虐待を受けた子の約2割は、親元から離されて児童養護施設に入る。しかし、児童養護施設は、子供の心の傷を癒すのに十分な体制が組まれているとは言えない。そして、虐待防止法施行後も、親に対しての指導が行われていないのが実態である。
《児童虐待対処の課題》
 相談員の増員など、相談所の体制強化を急ぐべきである。さらに、市町村や地域とのネットワークの拡充も大切である。民生児童委員や近所の人などに、虐待のあった家庭の見守りをしてもらうといったことも必要となる。要するに、コミュニティーの強化である。
 親が変わらないと、虐待は潜伏したまま続いてしまう。変わるためのサポートが必要である。アメリカで広く行われている「親業教育」や、公民館や児童館などに子供を集めて遊ばせる「子育てグループ」作りなどの推進、地域ぐるみの子育て支援が必要である。
児童虐待対処の課題を整理すると
(1)「児童虐待防止法」を早期に強化改訂すること。
(2)児童相談所及び、その他の児童福祉関連組織の拡充を早期に達成すること。
(3)被虐待児の精神面、生活面のケア体制をコミュニティーで確立する体制をつくること。
(4)児童虐待の加害者となる親に対する精神面、生活面のケア体制を確立すること。
(5)家庭内での児童虐待が事件に発展するのを「瀬戸際防止」するために、虐待行為が軽
微な家庭へのケア体制を確立すること。それには、「許し合いのコミュニティー」による「開かれた相談」体制が不可欠である。
以上の5点になるかと思われる。
 児童虐待。そう遠くない昔までは、こんな現象は考えられなかったのに、なぜこんな事態になったのか。都市化、核家族化、経済的困窮、夫婦仲・・・背景は多様で、事情はケースによって異なる。それに「家族」という名の壁が社会的な繋がりを阻んでいる。「他人の家庭に口を出すな」的意識が、児童虐待を行う側にも、それを見て見ぬ振りする側にもある。児童虐待は個人の問題の集積ではなく社会問題である。「子どもは親の鏡」とは、教育現場でよく使われる言葉である。それを私なりに「子どもは親を見、親を真似て育つだけでなく、親は子どもへ自分を投影して子を育てている」と解釈している。親の社会的地位、親の社会的な価値観、親の社会的な欲求や不満などを子どもに投影しながら、子どもと接しているということである。そんな親は社会的影響を受けている。言うなれば、「家族は社会の鏡」である。児童虐待は、そんな社会の影の部分を背負って起こる悲劇なのである。
 虐待を繰り返す親へのカウンセリングを行っている相談員は言う。――多様なケースの共通項から、おぼろに浮かんでくる1つの加害者像がある。「愛されたことがなく愛し方が分からない」親たちの群れだ。――

 今回、このページでは、児童虐待とその対応における実情を述べたが、日を改めて、「心理学的な話」のコーナーで児童虐待の心理面について述べてみたいと思っている。

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