世相と心の談話室

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無意識(1)=フロイトの精神分析理論にみる無意識①

2005年04月14日 09時43分20秒 | 心理学的な話
精神分析とは

無意識の理論をみる前に、フロイトが創始した「精神分析」の話から始めます。「精神分析」とは、①人間の「無意識」を理解する方法、②心の悩みを治療する方法、③そこから分かった理論、といった3つの領域の総称です。人間の言葉や行動、空想、夢、心理的症状などの無意識的意味を理解しようとする方法が①です。無意識的意味とは、簡単に言えば自分では気づくことのできない意味です。これを明らかにする方法として、フロイトは「自由連想法」を用いました。また、言語表現で自分の感情を表すことが困難な子どもに対しては、遊戯療法などを用いて無意識的意味を理解しようとします。②については、クライエントの悩みを治療者が理解し、治療者はクライエントにそれの「解釈」を分かりやすく伝え、クライエントが洞察する(自分の気づかなかったことを受け入れる)という過程を経ます。そこでは、クライエントの「抵抗」という概念が重要視され、その「抵抗」がなくなるまで「洞察」は繰り返し行われます。クライエントは治療の助けを借り、自由連想法という技法を入り口として、現在自分の抱える症状や問題の行動などを話していくうちに、症状を形成する原因となっている過去の経験を蘇らせます。そして、その過去の無意識的意味を理解し、過去によるとらわれを解消して、未来へと踏み込んでいけるようにするのが②です。要するに、クライエントが自分の「無意識」に気づく。これが症状の治療へとつながるのです。
 ここでは、①と③の一部を主題として記述を進めていきます。

フロイトの無意識

 フロイトは、人の心を氷山に例え、意識に現われているのはほんの一部で、大部分は無意識下に隠れていて見えないとしました。フロイトが「無意識」という言葉を使うとき、大きく分けて2つの使い方があります。
 1つは、「局所論」と言われる理論で使われる無意識で、このとき「無意識」という言葉は名詞的に用いられます。局所論とは、人間の心を「意識」「前意識」「無意識」の3つの層に分けて考える理論です。例えば、会社に必ず遅刻してくる人がいたとします。彼には出勤時間は意識されています。「今日も遅刻した」ということも意識できています。しかし、出勤して初めに何をやるべきかを忘れていました。でもすぐにデスクに向かうと、それを(メモなどを見なくても)思い出しました。この思い出そうとすると思い出せる層を前意識と言います。ところが、遅刻の常習者となっている彼には、自分でも気づかない会社に対する否定的な気持ちがあります。このいくら思い出そうとしても思い出せない、抑圧された心の奥底の層を無意識と言います。
 無意識のもう1つの使い方は、形容詞的に用いられるもので、無意識の内容を指す場合です。「無意識的なもの」とも言います。無意識の内容は、直接自分では知ることができません。それは心理的症状や夢によって観察されますが、それらは「検閲」という作用を受けて歪んだものになっています。しかし、それらは無意識を知るための重要な鍵となるのです。フロイトは、無意識的なものは「エス」と呼ばれる心の領域にあると言います。

フロイトの心的構造論

 フロイトは、局所論を展開させて後に心的構造論を考案します。心的構造論とは、人間の心の働きを、「エス」「自我」「超自我」の概念とその関係性において説明した理論です。この3つは密接に関連し合い、自我がエスと超自我とのバランスを調整することで、私たちは普通の生活が送れるとされています。
(1) エス
 エス(es)とはドイツ語で、英語の“it” とほぼ同じ意味です。これは心の深奥部にあって、欲求のおもむくままに行動する本能的エネルギーの貯蔵庫です。この本能的エネルギーのことを「リビドー」と言います。フロイトの場合、このリビドーは性的エネルギーの色彩が濃いものとなっています。エスは自らの欲求を満たすことだけを目指す働きをし、これを「快楽原則」と言います。フロイトは「エスは混沌、沸き立つ興奮に満ちた釜である」と言っています。エスは快楽原則のもとで、欲動を満足させる動きをするわけです。
(2) 自我
 自我とは、自分を自分と認識している心の働きで、自我はエスの一部でもあり、現実社会に適応するために変化させられたものとも言えます。自我は「現実原則」に従って動きます。現実原則とは、自分の欲求をすぐに満たそうとするエスとは違って、現実にあった方法で自分を満足させる傾向を言います。フロイトは自我とエスとの関係を、馬とそれを操る騎手に例えています。つまり、馬がエスで騎手が自我にあたり、自我は馬であるエスの欲求を調整する役割をとっています。
(3) 超自我
 超自我は、自我に対して行動の規範を突きつけ、自我が従わない場合、自我を罰する働きをします。それによって、劣等感や罪の意識が生まれ、緊張や不安が発生するのです。超自我は、過去における、両親や重要な人物からの道徳的影響を受けた結果つくられます。
(4) 局所論と心的構造論の関係
 エス、自我、超自我と、意識、前意識、無意識との関係は複雑です。上図のように、自我は、局所論で言うと、意識と同一のものではなく、無意識的なところがあります。超自我にも無意識的なところがあって、無意識的な部分が大きいエスと密通して自我を罰するところがあります。

経済論と力動論

 エスには本能的エネルギーのリビドーがあります。フロイトは、このリビドーの量は個人によって異なるが一定で、それが移動したりたまったりすると考えました。
 例えば、異性を好きになったとします。リビドーはその異性に向かいます。このとき、リビドーが「備給された(カテクシス)」と言います。「備給」とは「充当」とも訳されている 概念で、リビドーが特定の感情や思考、対象などに注がれることを意味します。一方、好きになった異性に向けられていたリビドーが自分に向かうと、極端に自分の身体を気にしたりします。一方、これとは逆に、対象から今まで向けてきた興味・関心を切り離し、リビドーを引き上げることを「逆備給」と呼びます。これは、臨死患者などがこの世への未練を断ち切って安らかな最期を迎える、いわゆる死の受容における重要なプロセスとされるものです。このように、リビドーはまるで経済における貨幣のように働いているので、この考えを「経済論」と呼びます。
 また、フロイトは、人間の心のなかで起こる意味ある事柄(心的行為)を、リビドーの動きとして心的構造論のなかで説明しています。「心のなかで起こる意味ある事柄」とは、夢や思い違い、悩みといった類です。それらの現象は、エスや、超自我の無意識的な部分から発せられるリビドーが自我に与える力関係から起こってきます。このような考えを、精神分析における「力動論」と呼んでいます。
 フロイトの精神分析理論を理解するには、「局所論」「心的構造論」「経済論」「力動論」といった枠組みが必要となります。

防衛機制

 防衛機制を考える前に、不安とは何かを知っておく必要があります。不安は、エスが発する欲動の動きと、超自我の発する行動規範と従わない場合に自我を罰しようとする動きのせめぎあいによって生じます。不安は、より深刻な事態の発生を回避しようとして生じる心性です。自我はこの不安を知覚すると、不安から自分を守るために色々な方法を用います。これが防衛機制と言われるものです。防衛機制の多くは、幼児期の弱い自我が、不安から自分を守るためにとった方法によって形成されます。それらは、ほとんど意識されない部分で生じる自我の働きです。次に防衛機制のいくつかを見ていくことにします。
(1) 抑圧
 人間の心には、苦痛な感情や欲動、過去の嫌な経験などを抑えこもうとする働きがあります。これが抑圧と呼ばれるもので、自我がとる防衛機制の1つで、他の防衛機制にも関係している働きです、抑圧されたものは無意識化されます。つまり、思い出そうとしても思い出せないように、自我が抑圧したものを意識から締め出すのです。ヒステリーなどの心的障害では、主にこの抑圧が強く働いています。
(2) 隔離
 隔離とは、自分の経験や考えと気持ちが切り離されていることです。例えば、つらい体験を話すとき、悲しい気持ちを感じないで他人事のように淡々と事実だけを話すといった場合に見られる防衛機制がこれです。強迫神経症のクライエントがよく働かせる防衛機制が、この隔離だと言われています。
(3) 反動形式
 反動形式とは、自分の思っていることと全く反対の態度をとることです。例えば、嫌いな人に対して過度に愛想良く接したりするのがこれです。このような防衛機制は、日常生活でもしばしば見られるもので、社会生活に適応するための条件とも言えます。
(4) 昇華
 昇華とは、満たされない欲求を社会的に受け入れられる方向に置きかえることです。例えば、攻撃したいエネルギーをスポーツに注ぐことで、社会的に認められる方法にすることなどがこれに当たります。
(5) 否認
 不安、苦痛などの現実を否定して認めないことを否認と言います。ある事柄が起きても事実を正確に評価せず、過小評価してしまうのも否認の一種です。
(6) 投影
 投影とは、自分の気持ちを自分以外のものへ向け、相手が、本当は自分が感じている気持ちを持ち、自分に向けていると考える状態を指します。例えば、自分が相手を嫌っているのに、相手が自分を嫌っていると思うことがこれに当たります。
(7) 同一視
 相手の態度や行動、服装などを取り入れて自分のものとすることが同一視です。例えば、異性から愛されたいと思う人が、相手と同じ物を持つといったことがこれに当たります。
(8) 合理化
 自分のとった行動や態度を正当化するために、言い訳をしたり、論理的な説明をすることを合理化と言います。
 防衛機制を理解する場合、留意すべき点は、これによって私たちは社会に適応しているのであり、防衛機制そのものは障害に当たらないということです。防衛機制は、自我が不安から身を守る大切な手段です。しかし、常に防衛機制を用いていると、自我の柔軟性が乏しくなります。また、防衛機制が強く働くと、日常生活に支障をきたします。防衛機制は、その働きの恒常化や増強によって社会生活に支障をきたすものになったとき、初めて心理的障害として問題とされるのです。その場合は、幼児期の不安な体験を整理し、安定した自我を育てることが必要となります。
                                   (次ページ②に続きます。)
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