吉原(JR吉原駅南口前公園)ー三島(三島大社)
今日のコース地図
昨日訪れた清見寺の前を通り、明治時代の政治家、西園寺公望の別邸「坐漁荘」で休憩。この建物は老朽化のため愛知県の明治村に移築されたが、その後、再現され公開されている。
そして国道の歩道を歩きいて山側の道に入り、薩埵峠を目指す。
右下に海を見下ろしながら急な上り坂をあえぎながら歩いて峠へ。
峠からは海を隔てて、冠雪した富士山の姿がくっきり見えた。
日韓のウオーカーはそれぞれ、富士山をバックに記念写真に納まっていた。
峠からこんなに素晴らしい富士山が見えたのは2013年の第4次以来で、10年ぶりだった。
薩埵峠の道は、江戸時代に朝鮮通信使が通るために整備された峠道で、それより前は、海沿いの危険な道しかない場所だった。
峠から尾根道歩いて行くと、朝鮮通信使の衣装を着た、少年・少女通信使が「お疲れさまでした」と迎えてくれた。
そして峠の見晴らし台では地元の清水区の人たちが冷たいお茶などで歓迎してくれた。
峠からは夏ミカンの大きな実がなる果樹園の道を下り、由比宿へ向かった
由比宿からはひたすら東海道を歩いて富士川を渡り、富士市役所へ。
富士市役所では市の歓迎を受けて記念写真を撮り、ゴールの吉原宿へ向かった
今日は静岡での交流日、まず静岡県庁を表敬訪問した。
駿府城のお堀端を通って静岡県庁へ。
歓迎式には出野副知事が出席。お互いに記念品の交換が行われた。
正使役の金テホさんは「富士山の力で東京まで日韓共生の考えを伝えていきたい」とあいさつ。副知事は「東京へ無事にゴールしてください」とエールを送った。
そして電車で清水区にある清見寺に移動した。
清見寺は臨済宗妙心寺派の古刹で、歴代の朝鮮通信使が毎回訪問したお寺。山門に掛けられている「東海名區」の扁額は第8回の上通事(通訳)、玄徳潤の揮毫になるもの。
清見寺の由来などを、一條住職から聞き、朝鮮通信使の研究家、小幡倫宏さんの解説で、本堂の欄間に数多く掲げられている、通信使が書き残した詩文の木製の扁額を見学した。
そして「寿司弁当」の昼食をとり、山門下の階段に並んで記念写真に収まった。
今日のコース図
藤枝駅で市の幹部が出席して出発式
デイリー参加のウオーカーも元気に歩き出す。
雨の予報もあるため、今日も雨対策して。
岡部宿の松並木を過ぎると、横断幕を広げて岡部宿の人たちが歓迎してくれた
日韓の小旗に送られて、宇津谷峠へむけて歩き出した
宇津谷峠は江戸時代は難所の峠越えだったが、明治9年に最初の有料トンネルとして開通した。
トンネルを抜けて下ると、昔ながらの旧街道の家並みが続いていた
昼頃には青い空が広がり気温んも上昇。
昼食場所は「日影」が特等席
安倍川を渡ると、民団静岡本部のチャンゴの演奏が迎えてくれた。
静岡市の葵区役所で休憩後、東海道を歩いて、JR清水駅にゴールした
今日のコース図
今日もお天気は雨模様。
掛川駅で受付をして出発式。「世界に平和を」の地図に署名が行われた
「世界に平和を」のコース地図に久保田崇市長(中央)が署名。
今日も空模様は良くないが、一面緑の丘の茶畑に来ると雨は上がってくれた
「グリーンロード」を歩いて「小夜の中山」峠へ向かう
峠の接待茶屋では名物の水あめと昔ながらの柏餅が差し入れられ、ほっと一息ついた
峠からの道は急な下り坂とあって、サポート車のマイクロバスが伴走してくれた
お茶畑の風景を堪能した後は、石畳の上り道が続いていた
金谷宿に入ると、小川の飾られたたくさんの鯉のぼりが歓迎してくれた
黄色い花が咲く大井川土手から、歩行者専用の橋をわたって、昔の「川渡し人足」の寄せ場に着くと宿場の関係者や、島田市の染谷絹代市長が「歓迎」の横断幕を掲げて熱い歓迎してくれた
そして夕暮れのJR藤枝駅にゴールした