◆神代の案内人ブログ

…日本の古代史についてのブログです。…他の時代もたまに取り上げる予定です。

◆天照大神とはどんな神様(その8)

2013-12-04 16:11:45 | ◆天照大神とはどんな神様
 『素戔鳴尊請曰さく「吾、今,教を奉はりて,将に根国の就なむとす。故、暫く高天原に向て、姉と相見て後に永退と欲ふ」とのたまう。伊奘諾尊「許」と勅ふ。乃ち、天に昇り詣つ。・・・其の瓊玉を持ちて天に昇ります時、溟渤之を以て皷盪ひ山丘乃が為に鳴咆き。此則ち神性健雄が使之然なり。天に上詣る時、天之鈿賣命これを見て、日神に告言す、天照大神素より其神の暴悪を知め、来詣之状を聞に至て、乃ち勃然に驚動て曰はく「吾弟の来所以は豈善意を以ってならんや、必ず当に我が高天原を奪とする心なるべし」とのたまう。・・・乃ち御髪を解いて御髻に纏ひ、御裳を縳て御袴と為し・・・』と書紀と同じく、女髪を解いて男のあげまきにした。スカート状の裳を結んで袴とした。左右の腕に防護用に多くの瓊を巻いた。背中に靭を負い、肘当てをし、弓はずを振りたて、剣の柄を強く握り締め、力一杯庭土を踏んだので、膝迄足が潜ったが、それを淡雪の如く蹴散らし、全身に怒りを表して「何しに来た」と怒鳴りつけた、と同じ文で述べてある。
 『素戔鳴尊對へて曰はく「吾元黒心無し、阻父巳に厳勅有り。永に根国に就なむとするに、如姉と相見ずば、吾何能敢去らむ。・・・是以て雲霧を跋渉て遠より来参つ。」
と続き「お前は邪心がないと言うのか。何を以ってそれを証明するのか」の問いに『素戔鳴尊對曰ふ「請、姉と共に誓約て、中に必ず當に子を生べし、如し吾所生む、是女者ば濁心有為し可以べし、若是男者ば清心有為し可以べし」とのたまう。』
と互いに剣と瓊を噛み砕いて,三人の女子と、五人の男子が生まれた。素戔鳴が男を生んだので清い心であると、話が収まったと、おなじ筋となっている。この文筋が現今、姉弟は夫婦であった等の説を生み、又、神話とは愚にもつかないお伽話であると信用されない。実際のところ其の通りだと思う。和解し互いに淋しく別れたのに、旧事も話が突然にくるりと変わる。そして素戔鳴の例の悪逆非道である。
『天照大神、素戔鳴尊に謂て曰く、「汝、猶黒き心有り、汝と相見欲ず」とのたまい、乃ち天戸窟に入りまして盤戸を閉じて幽居す。故、高天原皆暗し』
と記されてある。
 先に進み、神代神話で最も有名な天の磐戸の記述を比較考察していきたい。
日本書紀第一巻
 『時に、八十萬神、天安河邊に會ひて、其の祷るべき方を計ふ。故、思兼神、深く謀り遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を聚めて、互いに長鳴せしむ。亦手力雄神を以て、磐戸の側に立てて、中臣連の遠祖天児屋命、忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇の眞坂樹を掘じて、上枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中枝には八咫鏡を懸け、下枝には青和幤、白和幤を懸けでて、相興に致其祈祷す。又猿女君の遠祖天鈿女命、則ち手に茅纒の矛を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧みに、作俳優す。亦天香山の眞坂樹を以て鬘にし、羅を以て手繦にして、火處焼き、覆槽置せ、顕神明憑談(かむがかり)す。』 
 猿女の君の天鈿賣命が茅を柄に巻いた小振りの矛を持ち、天戸窟の前に立ち、巧みな仕草で踊り、真坂樹の鬘や、蔦の手襷をかけ、かがり火を明々と焚き、桶を伏せた急拵えの舞台の上で、物に憑かれたように激しく踊り歌ったのだ。この部分を秀真伝と伝えと比較してみよう。
 世の中が真っ暗になり、驚いた和歌姫の夫君で、真の実力者の思兼命が、松明を掲げて任地である野州川から駆けつけて、皆を集め会議を開く。兵主命が「真栄木の上枝に瓊玉、中枝に真悉の鏡、下枝に和幇を懸けて祈ろう」と提案する。
『鈿女らに 日陰蔓お襷 茅巻矛 朮お庭火 笹湯花 神座の殿 神がかり 深く議りて 思兼命 常世の踊 永幸や 俳優歌ふ 香久の木 枯れても匂ゆ しほれても良や あが妻 あわ あが妻あわや しほれても良や あが妻 あわ    
 諸神は 岩戸の前に光門鶏 これぞ常世の 永幸や 君笑み細く 窺えば 岩戸お殴る 手力雄命 御手取り出だし 奉る 兵主命が 注連縄に「な帰りましそ」』
 天鈿女命が狂ったようになって情熱的な踊りをした、戦前戦中教育の人は絶対に忘れない場面である。しかしその歌詞は誰も知らない。その歌詞がここに記されている。常世の踊 永幸や 香久木(橘の木)は枯れても良い匂いがする、大神がお隠れになっても、世の中が真っ暗になっても、常世の道は続いて居る、あが妻あわや(私は天地と共に、私の天地を妻にしょう)。
 完訳秀真伝の著者鳥井 礼氏はその様に訳している。正しい訳だと思う。多年秀真伝の研究に没頭されている氏は多分気づかれて居ると思う。しかし几帳面にその他のことは一切触れていない。松本善之助氏の著書も同じ意味である。凡人の私にはどうしても裏の、他の意味が見えてきてしまう。大昔の神々にも、多分私と同じ凡人が多かったのであろう。世の中が真っ暗になり、これから先がどうなるか、深刻の事態など忘れ、瞬時にしてあたりは大爆笑の場と化したのである。茅巻矛は男の性器に外見が似た小さな矛らしい。其れを下腹部に当て、動かしたりして、「香久木枯れても匂う、萎れても良や、あが妻(伴侶の人)あわ、あが妻あわや、萎れても良や」と恍惚状態で踊ったのだと思う。手力雄命は思兼命のお子であり、大男で大変な力持ちであった。戸を開け中から大神を引っ張りだし、兵主命が其の後に注連縄を張って、「二度とこの様な事をなさいますな」と大神を諭したのである。兵主命は天児屋命の父で後年の藤原氏の遠祖となる人である。
 先代旧事本紀を読んで見よう。例の如く、書紀とまったく同じと言ってよいほどの文脈が続く。
『復、天鈿賣命、手繦を天香山の天蘿を懸て、天香山の眞坂樹を以て鬘と為し、天香山の小竹の葉を以て手草と為し、手に鐸著たる矛を持て天石窟戸の前に立て庭燎を擧げて巧作俳優す。火處焼き覆槽置て踏登杼侶許斯、顕神明之憑談て胸乳を掛出、裳緒を番登に押垂る時に、高天原動て八百萬神倶に咲ふ。』
 書紀・秀真伝・旧事の三者比較の量が多ければ多い程、その相違が明確になる。しかし其の文量は莫大である。限られた紙面では不可能に近い。文意を深く確かめ、その焦点とする個所が色褪せぬ様、削るべき個所は除き、問題となるポイントを前面にだして、やっと天の磐戸に辿り着いた感じである。
 天照大神とは一体どんなお方であったろうか。私流の考察をまとめねばならぬ。
 その前に諸氏はいかにお感じであろうか。天の浮橋の上に立って、下界をかき回して、落ちる雫で島を作り、ついで次々と国を生み、最後に天照大神、月読尊、素戔鳴尊を生んだ。神話はお伽話と考え、何ら心にわだかまりがなければ、それも良いかもしれぬ。しかし此処に述べた三書は歴とした歴史の記録書である。その点を考えれば、遠い昔の事とはいえ、何かしらの当理性を求めるのは、国民としての心情だろう。
 戦前戦中の教育では伊奘諾・伊奘再の二神、天孫降臨は, どこか遠い遠い高い空の上の世界であった、しかし、それはせいぜい2000年か2500年前の世の事である。人類の長い進化の時間を考えれば、ほんの昨日のことである。日進月歩,科学は飛躍的に伸びても、人の性は何ら変わらない。神代とて、今と変わらない毀誉褒貶が絡む恋が有り、誇りが有り、恨みが有り、地獄も天国もあった筈である。秀真伝の記述があまりにも現世に似て、信憑性を疑う向きもあるやに思うが、隣の中国では前漢の時代で、この列島が未開の地であったとしても、それなりの社会機構の構成があるはずである、奇異と感ずることを奇異とせねばなるまい。


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