◆神代の案内人ブログ

…日本の古代史についてのブログです。…他の時代もたまに取り上げる予定です。

◆神武以前三代記 第6章 秀真伝に纏わる僞書説に対する見解その4(最終回)

2012-08-30 15:33:59 | ◆神武以前三代記
 天照大神が思兼命に命じて枝・穂の管理を任せた鈴木歴は思兼命の死後そのお子の天手力雄命が引き継ぎます。瓊瓊杵尊の新田開発の巡幸の門出に際し(天孫降臨)、 手力雄命が是非巡幸の先駆けとして参加したいと強く要請され、その後を天二枝命が引き継ぎをされたのです。真栄木の植え継ぎは順調には行きませんでした。上記の一鈴の年数の事は脇に置いてその後の成り行きに文を進めます。秀真伝には49迄の鈴木は天照大神が植え、50鈴目の芽(穂)は自然に今の伊勢神宮の前身 精奇城 宇治の宮居 に生えてきました。つまり一時期、鈴木は二本存在したことに成ります。しかし49鈴の真栄木は二十年前折鈴となり枯れてしまいました。宇治の宮に自然に生えた50目の鈴木も前の年に枯れて、その年には鈴木は一本も無く、既にこの世には受け継ぐべき大君も穂もないのです。どう対処するか、これは国の大事です。天二枝命は考えた挙句答えを出します。「広く穂を植え継ぐ尊い君を探して国々を回りましょう」。春日翁神もこれに賛成し、大物主が物部と春日神の協力を要請しました。そして大々的に年月をかけ国々を探しますが成果は上がりません。大物主の積葉命が質問すると「苗木も植え継ぐ君も全くない、日々徒労のつみ重ねで悩んでいる」と答えが帰ってきました。「春日神、貴方がお植えになられるのが良いのでは」の質問に春日神は「これは大君がきめるのが務めです。私は臣家、恐れ多い事です」と困り顔です。「月読尊のお子である伊吹戸命はどうでしょうか」と別の提案が出されますと、傍にいた伊吹戸主の妻田奈子姫が「伊吹戸は唯の臣、前例が有りません。その責は武仁君(神武天皇】の他におられないと思いますが」と申します。積葉命は又春日神に再び質問をされました。「49鈴が折鈴となり20年が経ちその後の50目の鈴の伸びはどうですか」、「6万年がきて既に枯れ失せてしまった」、天二枝命は「真栄木がないことになり、今後キエヤ歴で年数を数えるしかありませんが、歴の名も変えるのかどうかですが」と言いますと田奈子姫は「長寿でおられるが春日神が新しい名を付けられるのが良いでしょう」。春日神は「では天(あ)鈴(すず)としよう」と申され、田奈子姫も他の神も良い名前ですと賛成し、歴の名は天鈴と決定され、その年は天鈴21年と正式に決まります。田奈子姫は別名市杵島姫と言われ現在の厳島神社の主祭神で、市杵島が訛って厳島と言われる様に成ったと私は考えて居ます。上の記述よりその以前は鈴木歴は鈴木歴とキエヤ歴を併用していた事が解ります。キエヤ歴は耳新しい名前ですが神武天皇以後この歴で秀真伝も書かれ後年の日本書紀・古事記も上古はこの歴で書かれて居る筈ですが、知識不足で此の事に関しては全く知りません。若し健康に恵まれ、又、機会もあればこのキエヤ歴の上古の歴史の解釈を試みたく思っておりますが、今回の神武以前三代記は此のあたりで終わらせて頂きます。

―完―

参考にした本
完訳 秀真伝 上・下巻:鳥居礼 ;八幡書店
日本書紀 上:坂本太郎ら校注:岩波書店
古事記:西宮一民校注:新潮社
記紀原著 ヲシテ 上・下巻:池田満:展望社
先代旧事本記:大野七三:批評社
太古日本の史実を考古学で探る:舩越長遠:冬青社


<あとがきにかえて>
 神武以前三代記に如何に感じられたでしょうか。評価も人様々と思います。理論的であると御感じの方が少しでもおいでなら私として喜びを越えて感謝の念で一杯です。次回より神武天皇より第九代開化天皇までを語る題し私論を述べさせて頂きます。欠史八代説に対する持論。及び十代崇神天皇の御宇、問題の渦中の箸墓古墳の建立に関する私論を以前述べましたが、再び提起させて頂きます。ご期待頂ければ幸甚です。


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