世界各地の古代遺跡にストーンサークルが度々紹介されますが、一年の季節の巡りを天文学的に究める研究施設と言われています。よく言われる日時計は一日の時間の移りを知る術であり、その他色々と言われています。長い年月の記録、十年、百年はどのように計っていたのでしょうか。秀真伝二十八紋にこの長期の年数を記す術の始めが記述されていますが難解です。鈴木歴と云いました。誤認を防ぐため秀真文を片仮名に訳しその儘書きのべてみます。
神武天皇が踐祚(せんそ)され大君が代わったのに宮の50鈴目の真(ま)栄(さか)木(き)が折鈴となり、暦が中断去れた儘になり六代目の大物主の櫛(くし)甕(みか)玉(たま)命(みこと)と天二枝命二人が伊勢に行きどうすればよいか天児屋根命(春日神)に色々と質問をしました。・・・『ヲキナコタエ コノスズワ アメツチヒラク トコズチノ ミヤノマサカキ アエ千エニ サクスズトナル ウエツギノ 五百ニイタレバ ミモハカリ ヨロトシミチテ 五百ツギノ アマノマサカキ トシノホノ トトセニハ五キ 六十トシニ 三タノブエトノ ヒトメグリ アクルトシナル 三タノアエ ナレバ二エト キアエヨリ エトホヲカゾエ ヒトエダ六十 十エハ六百 百エハ六千 千エハ六万オ アマモリノ ヒトメグリゾゾ・・・』 秀真伝の長歌に慣れて居ないと意味は全く通じないと思います。慣れている心算の私にも半分ぐらいしか解りません。私なりの解釈を試みますと、[春日神の翁が答えますには『天地を開かれた国常立つ尊が自分の御殿に榊の苗をお植えになりこの木は六万年経ち枝が千本になると枯れる。これを折(さく)鈴(すず)と云う。代々植え次いで五百に成り五(い)百(も)継(つ)ぎの天の真(ま)栄(さか)木(き)と云うことにした。この榊は一年目に穂(芽)が出、十年で五枳(ごき)伸び六十年で三咫伸び一枝となり歴を繰り返す。次の年から二枝に成る。一枝60年、十枝で600年、百は6000年、千枝で六万年で一鈴の終わりで次の年から二鈴目となる】。 八咫の大蛇を例に取ると、咫は昔の長さの計り方で、手を一ぱいに広げ親指と中指の長さで、人により差が有りますが大体は成人で20糎、八咫の大蛇(オロチ)は胴回り160糎の超巨大の蛇となります。五枳(ごき)は一咫の半分で約10糎でしょう。この方法ですと榊の木は60年で60糎しか伸びず、十年ではわずか十糎です。60年の間、春に出た尖端の芽だけを残し、次に又、尖端部分の芽だけ残すの繰り返しで、61年目の芽をやっと二枝目として数える事と成り、極めて非合理的です。榊(秀真伝には真栄木ときされているがここでは榊とする)は盛んに枝別れして60年には既に枝は1000を優に越えている筈です。枝の先の芽だけを残し他の芽は取り去ってしまうので木が殆ど枯れてしまうでしょう。この秀真伝の記述は説明不足のため多様に読みとられ、詳しい手順は解りません。秀真伝には過去二千年に近い長い時間の間に多くの翻訳者が注釈を加えて写本を世に出してきました。初めに大田田根子、大鹿島が景行天皇に奉呈した原本の現今までの保管は不可能であり、若し存在すれば真意が解り、他の考えも成り立つったと思いますが、一鈴六万年と数えるには、そもそも科学は勿論、歴史の観点から云っても常識を超えます。 以下述べるのは私の単なる試みですが、始めの一年は穂(芽)が一つ、二年目には尖端に芽が一つ、枝の部分に芽が二つで計三個、三年目には9個・・・六年目には1093の枝と穂(芽)になります。大まかに一鈴は6年、つまり鈴木歴の一万年は一年、 とすれば世界の年譜と一致し何の抵抗も無く、納得も容易です。秀真伝は神代の聖書に近い超古典と考えます。なればその弱点となる時の表現は解明されなくてはなりません。秀真伝の研究は今後絶え間なく続くと考えます。何時の日か多くの精密測定器具の駆使により厚く地表を覆う樹林の下に秘められた超古の歴史が説かれる日が来る事を信じて疑いません。故に私は上記の私考を主張する者では決してなく、単なる一つの思い付きとでもして置きたいと考えます。
◆◆電子書籍を出版致しております。◆◆
↓
「木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について」(100円)
(この書名をクリックされますと、詳細ページへとジャンプします。)
内容はこちらでも掲載していました「木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について」に若干の訂正を加えたものです。
ブログ・ホームページよりも読みやすいかと思いますので、まずは詳細ページの「試し読みページ」からご一読いただけましたら幸いです。
よろしくお願い致します。
◆本館「神代の案内人」ホームページはこちらです
神武天皇が踐祚(せんそ)され大君が代わったのに宮の50鈴目の真(ま)栄(さか)木(き)が折鈴となり、暦が中断去れた儘になり六代目の大物主の櫛(くし)甕(みか)玉(たま)命(みこと)と天二枝命二人が伊勢に行きどうすればよいか天児屋根命(春日神)に色々と質問をしました。・・・『ヲキナコタエ コノスズワ アメツチヒラク トコズチノ ミヤノマサカキ アエ千エニ サクスズトナル ウエツギノ 五百ニイタレバ ミモハカリ ヨロトシミチテ 五百ツギノ アマノマサカキ トシノホノ トトセニハ五キ 六十トシニ 三タノブエトノ ヒトメグリ アクルトシナル 三タノアエ ナレバ二エト キアエヨリ エトホヲカゾエ ヒトエダ六十 十エハ六百 百エハ六千 千エハ六万オ アマモリノ ヒトメグリゾゾ・・・』 秀真伝の長歌に慣れて居ないと意味は全く通じないと思います。慣れている心算の私にも半分ぐらいしか解りません。私なりの解釈を試みますと、[春日神の翁が答えますには『天地を開かれた国常立つ尊が自分の御殿に榊の苗をお植えになりこの木は六万年経ち枝が千本になると枯れる。これを折(さく)鈴(すず)と云う。代々植え次いで五百に成り五(い)百(も)継(つ)ぎの天の真(ま)栄(さか)木(き)と云うことにした。この榊は一年目に穂(芽)が出、十年で五枳(ごき)伸び六十年で三咫伸び一枝となり歴を繰り返す。次の年から二枝に成る。一枝60年、十枝で600年、百は6000年、千枝で六万年で一鈴の終わりで次の年から二鈴目となる】。 八咫の大蛇を例に取ると、咫は昔の長さの計り方で、手を一ぱいに広げ親指と中指の長さで、人により差が有りますが大体は成人で20糎、八咫の大蛇(オロチ)は胴回り160糎の超巨大の蛇となります。五枳(ごき)は一咫の半分で約10糎でしょう。この方法ですと榊の木は60年で60糎しか伸びず、十年ではわずか十糎です。60年の間、春に出た尖端の芽だけを残し、次に又、尖端部分の芽だけ残すの繰り返しで、61年目の芽をやっと二枝目として数える事と成り、極めて非合理的です。榊(秀真伝には真栄木ときされているがここでは榊とする)は盛んに枝別れして60年には既に枝は1000を優に越えている筈です。枝の先の芽だけを残し他の芽は取り去ってしまうので木が殆ど枯れてしまうでしょう。この秀真伝の記述は説明不足のため多様に読みとられ、詳しい手順は解りません。秀真伝には過去二千年に近い長い時間の間に多くの翻訳者が注釈を加えて写本を世に出してきました。初めに大田田根子、大鹿島が景行天皇に奉呈した原本の現今までの保管は不可能であり、若し存在すれば真意が解り、他の考えも成り立つったと思いますが、一鈴六万年と数えるには、そもそも科学は勿論、歴史の観点から云っても常識を超えます。 以下述べるのは私の単なる試みですが、始めの一年は穂(芽)が一つ、二年目には尖端に芽が一つ、枝の部分に芽が二つで計三個、三年目には9個・・・六年目には1093の枝と穂(芽)になります。大まかに一鈴は6年、つまり鈴木歴の一万年は一年、 とすれば世界の年譜と一致し何の抵抗も無く、納得も容易です。秀真伝は神代の聖書に近い超古典と考えます。なればその弱点となる時の表現は解明されなくてはなりません。秀真伝の研究は今後絶え間なく続くと考えます。何時の日か多くの精密測定器具の駆使により厚く地表を覆う樹林の下に秘められた超古の歴史が説かれる日が来る事を信じて疑いません。故に私は上記の私考を主張する者では決してなく、単なる一つの思い付きとでもして置きたいと考えます。
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