新潟の民話を作ろう

どんな検索ワードでこのブログが引っかかっているのかアクセス解析を見ると、思いのほか多いのは、

「いちばんはじめはいちのみや」のわらべうた系の検索です。『覗き眼鏡の口上歌』をあちこちに追記しておきました。

他には「新潟 かみしばい」とか「紙芝居クラブ」があり、その他に「紙芝居舞台」でも探してこられる方も多いです。舞台では、すずき出版が扉の無いタイプを発売された様子で、これも該当ページに追記しておきました。
それから、「新潟の民話」「新潟の昔話」でも多いですね。

昔語りはあちこちでやられている様子がありますし、学校などで要請も多いのです。しかし、大人の思いが風船のように膨らんでやたら長くなったり、使われないし想像もできないような道具のオンパレードでは、今の子どもに手の届くものではないのです。すると、子ども文化になりにくい。子ども文化にならなければ、次の世代につながっていかない、ということではないかと、自分では思っています。

 民話は今現在もふつふつと作られている、という見方をすれば、民話の形式を参考にしながら今の状況を話しにできないでしょうか。特に新潟だったら拉致のこととか地震の事とかね。中越地震の「シロ」の犬の話は映画にもなったし、そういうのが口で語れるといいね。ただ、関係者の方が聞いて不愉快になるようなものはだめなんでしょうね。
 以前、拉致のことについて、うさぎに例えてこのブログに書いたことがあります。削除しちゃったけどね。拉致については、私を含めて関係者が「他にも」民話の会にいるのだから語れると思うんだけど。ブログの「15号のキャンパス」を書いた時は怖くて書けなかったけど、あの時、早口の声を聞いたとき「これは日本語じゃない」って思ったんです。でも図書館資料じゃないから、図書館では語れないんだね。 
 
 外国のお話についても困っています。外国の名前や道具はまだ受け入れられるとして、翻訳文そのままの語尾を何とかしたいものです。読んでいると「中学生の翻訳みたいだな」と思うような言い回しもあちこちにあり、他の人は変に思わないんだろうかと不思議でした。「はなし口調」にすればいいよな、ちょっと日本のお話っぽくなるけどな。
 でも、大工と鬼六などは外国の神話が日本の昔話になったのだから、そういう日本の語り口にしてもいいよね、と思っています。「聞いた話・読んだ話を人に伝える気持ち」に「えーいっ」とワープすればいいんだよね。語り手たちの会の機関誌『語りの世界』№47のP35の「聞いた話を伝えるレッスン」の写真をじーっと眺めると自分もその気になってきます。(たまにPRもしなくちゃなー)
国際子ども図書館も会員になっているのだから、新潟市の図書館でも機関誌を定期購読してくれるといいなと思うけど、言いにくいけどダメモトで今度頼んでみよう。「新潟は民話の宝庫」と言われながらも、現状ではかなり淋しい状況です。図書館のせいじゃないかなー(すいません、頼みにくくなっちゃうね)。
 ピンチをチャンスに変えるのは、民話を更新していくことではないかと思えてならないのです。

そういえば国際子ども図書館で「児童サービスについて」の会議があってあちこちの県立図書館の人が集まるようなことが書いてありました。今日、探したけどみつからなかったので、私の見間違いだったのかも。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 『えかきうた... ぬりえ紙芝居... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。