先日、ボランティアの研修会に出ました。
図書館自体が「ステップアップ」に躍起で「より良いボランティアを目指す」方々が多いのも仕方がないかと思いますが、私はどちらかというと、聞き手と同じ高さを探し当てて自分も近づいて行くという気持ちの方が大きいのです。それで、ステップアップというより、今のボランティアの状態がどんな様子なのか、また、他の人の考えにも、興味があって参加しました。
会場では「私たちは書店員じゃないのよ」という発言に驚きました。ボランティアでも書店にお勤めの方が何人もおられるし、書店ライブで書店員にお世話になっている人も多いでしょう。何より、同じ地域の人間として、共に生きている仲間だと私は思っていましたから。
どこがどのように違うかと言葉の端から想像すると、「絵本を読み散らかす」ところがマズイらしいし、どうしてマズイかというと「自分たちは絵本の楽しさを伝えるためにやっている」から「一冊の本をきちんと読まないボランティア(この場合はブックスタートの場合らしい)がいるから」のようです。
では、逆に考えると「書店員は読み散らかし」「絵本の楽しさを伝えていない」というふうにも捉えることができます。
前置きしますが、私は、権力者の発言は、公にされていいと思っています。何々協議会の委員とか、絵本講師、とかもです。かつてあった新潟市美術館の騒動を思い出してください。職員や、評論家や、かかわった事業主の名前も公開されましたし、発言内容も公開されました。権力者というのはそれだけの責任があるのです。昨今、安保法制の問題の時に、「言いたいことを言ってあたりまえだ」と発言した議員がいましたが、世の中の厳しい批判を受けました。権力者が反論を封じるというのは、あってはならないことなのです。世の中にはいろんな人がいて当たり前ですが、立場をわきまえて民主主義の原則と人間尊重くらいは押さえていてほしいです。
さて、その書店員云々問題に戻ります。
子どもの読書推進計画に、「学社民の融合」というのがあります。お互いにリスペクトし、それぞれの個性や同じところを見つけて共にやっていこうという意識の言葉です。だから、書店員と私たちは有給であるなしにかかわらず、融合していくといいかなと思っています。
それから、配布書類の「Book start News letter」No.47 をご覧ください。「『してあげる』『使命感』は禁物です」とあります。「赤ちゃんに合わせて自由に楽しく」ともあるのです。
「絵本の楽しさを伝えるためにやっている」とちょっとした立ち位置の認識は大切ですが、こういう時は高みから降りて使命感なく共に楽しめばいいし、赤ちゃんの御機嫌が第一です。
発言者のために弁護も少ししますが、図書館が「使命感刷り込み満載」のボランティア講座をずっとやってきた結果ですし、彼女が依存している別のナントカ委員の「書店員嫌い」の現れかも知れないと思っているのです。「使命感」を刷り込んできた図書館司書に、洗脳を解くようなプログラムを使えと一生懸命言い続けたのですが、次々とガチガチ頭のボランティアが現れますね。その発言の場には数名の職員もいました。使命感刷り込み講座をやってきた結果、現状はこういう状態なのだと、気づいていただけたでしょうか。
ブックスタートだけでなく、どの現場においても、読み聞かせボランティアは、もっと普通のボランティアでいいと思いますよ。「時間や期限を守る」「声をしっかり出す」「本の特質を見つける」くらいの指導でいいと思います。あとは他のボランティアと同じように、「見返りを求めない」とか「相手のニーズに合わせる」とか。
最近、「図書館情報学」系統の『児童サービス論』(金沢みどり/著)(学文社)を読みました。こんな本も出ているのに、新潟市の図書館は過去の権威が大好きで、そっちばかり向いているように思えます。