『語りの世界』49号へ投稿

NPO法人語り手たちの会の機関誌 『語りの世界』49号(2009年12月1日発行)へ投稿

●語りの現場から(2)
ボランティアによるおはなしのじかん

        石倉恵子  本会会員・新潟県新潟市・新潟かみしばいクラブ代表

 新潟市の図書館でボランティアがおはなし会をする時は、「ボランティアによるおはなしのじかん」と広報されます。ところが、盛んなPRの甲斐なく、ストーリーテリングのおはなしのじかんは聞き手が極端に少ない状態が長く続き、各団体とも図書館での発表をやめ、学校訪問や「大人向け」と仲間内に限定することで過ごしてきました。
 一方、私は紙芝居の活動を本格的に進める中で、子ども文化というものの見方を知りました。停滞する語りの活動に何か盲点はなかったかと思いをめぐらせた時に、取り入れるものは子どもの文化ではないかと思い当たり、細い糸をたぐるような気持ちで試してみたのです。子どもがもともと持っている文化に沿わせていってはじめて、子どもは遊びとしてそれを受け入れるのではと考えました。中央図書館が新築になったのを契機に、「図書館員の真似をする」のでなく「ボランティアによる工夫のある」おはなし会を試してみました。

 まず、会場設営です。土に見立てた茶色い布を敷き、段ボールのたくさんの切れ端にセロファンで炎をつけて薪にし、鍋を置き、たき木オブジェ(写真)にしました。『決定版日本の民話事典』日本民話の会/編(講談社)で見つけた「だんだん語り」という子どもの語りの場のスタイルを真似てみたのです。対面をやめて火を囲むようにしたので、子どもにとってはキャンプファイヤーのようでもあります。また、部屋の入口の扉を半分開き、途中で出入り可能にして、より気楽なスタイルにしました。茶の間で囲炉裏を囲んだ昔の語りも、生活が優先だったはずで、眠い子は眠り、手で悪さをし、遅れてきた人は障子戸のすきまから入り、それらを見守りながら古老は語り、子ども達は語りの場に混じっていたのではないかと思うのです。目線を合わせて清潔かつ完璧に語ることも大切ですが、緊張して聞くところに子どもは楽しみを見つけるかどうか、ずっと疑問でした。ゆるやかな語りのある居場所の安心感は、話の内容は忘れてもおじさんの声だけは覚えているという街頭紙芝居の語り場と同じものでもあると感じています。

 演目は、各自が可能な限り複数の話を用意しました。私は一話につき複数の本を参考文献として図書館に申告しました。八つ切り画用紙で三角柱のスタンドを作り、タイトルを紙に墨で太く書いてそれに貼り、語り手の後ろに並べ、聞き手にその中から選んでもらうようにしました。語る人の前にたき木を一本立てかけ、目印にします。

 当日は、入館者も、部屋に入る人も多く、見た目の面白さから子どもたちもオブジェの近くに寄って囲むように座ってくれました。語り手もおはなしの椅子から下りて体が自由になり、暗記した話でも語尾が微妙に緩やかになっていきました。知っている話だよと喜んで、私の口もとを見て真似をしながら自分も口を動かしている女の子がいました。「トイレの花子さん」をやってみた時は、聞き手の男の子が「僕はこんな話を知っているよ」と話しだそうとしました。
幼児も来るような不特定多数の場所では、短く語りやすくすることで相手にとっては聞きやすく覚えやすくなるはずです。まず自分が工夫しなくては相手に楽しんでもらえないのだと思います。

 また、学校訪問についても工夫しました。学校は勉強の場所だからと、息詰まるほどの潔癖さでプログラムを作る形式から、私たちは「聞き手選書型」とネーミングして、めいめいが本を複数持ち込み、子どもに選んでもらいながらプログラムをその場で組み立てるライブ形式を作りました。
 事前に仲間内で検討することも大切ですが、考えてみれば、大人が気持ち良く感じるものだけあればいいわけでなく、誰かが責任を引き受けさえすれば、あいまいな部分があったほうが子どもにはとりつきやすいものです。また、子どもの文化に照らし合わせる姿勢を見せることによってボランティアが信頼され、子どもとの交流も生まれます。高学年の教室で受けた「イライラ感」もなくなり、スリルや笑いが生まれました。また、これを発展させて、市立図書館での「いっしょによもうよとしょかんのほん」という事業になり、おろおろと失敗しながらも、ボランティアは子どもといっしょに本を読み合う時間も持てるようになりました。すべて発展途上のものですが、その都度その場で変化しながら人と関わっていくスタイルは、責任を引き受けながらもその都度再話しながら変わっていく語り方と同じだなあ、と感じています。

 今年の冬、報道された村上春樹のエルサレムスピーチを読みました。子どもという壊れやすい個性を今のシステムに負けない力に育てるのは、ボランティアがシステム側に立つことでなく、子どもという卵の側に立つことだと理解しました。「大人の鑑賞に耐えること」より「子どもの鑑賞に耐えること」と発想を変え、状況を整理し、作りながら語り、それらの場を作り、卵の側に立つ普通のボランティアでいたいと思っています。
                      以上

 
・・・・一年くらい前から『語りの世界』には「再話と語り」についての特集が始まっていて、色々な人の論文がたくさん掲載されています。語り(昔話や創作話)をやる人にとっては必要な情報を取ることができ、なによりいいところは、今現在進行中の研究がわかることです。
 以前、白根図書館長をしていた方が、「機関誌を読んで勉強している」と発言したその機関誌に書かせてもらえて幸運でした。数冊手元にありますので、後で図書館に寄贈する予定です。・・・・
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« おはなしのじ... おはなしのじ... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。