プログラムにこだわることの愚かしさ

問題点
① プログラムを作りなれていない講師が講座をつとめることがある。

   限られた場所でしかおはなし会をやったことがない講師の理論が図書館員に教育され、それを受けた人が現場のボランティアを指導するわけだから、各種の現場にあわないのは当たり前です。しかし現場の人は忙しいし「自分は経験不足だ」と思い込んで先輩のいうことを聞こうとする。困った循環がおこります。
 用意した本とかけ離れた年齢の子どもが多かったらどうするのか。きっちりプログラムを作って、当日都合がつかない人やトラブルがあったらどうするのか。「這ってでもでてこい」との言葉も聞きました。

② 「本の受け取り方は受け手によってさまざま」だという基本的な認識を無視する講師がいる。

 例えば『おおきなかぶ』を、「昔話」に区分する人、「ことばあそび」に区分する人、さまざまです。後者の人の感性もおもしろいものとして尊重されるべきでしょう。ここから想像や進化がはじまります。どの本もさまざまな面を持っていますし、ある特徴が強い本もある。
 それを認めないで、自分の評価や好みや感性が誰にでも通用すると思っているようです。ちょっと変わった形にすると「まとまりのないプログラム」、基本どおりにすると「つまらないプログラム」、と評する家元。それを真に受けるその下の司書たち。これではお笑い芸人のネタになりそうですね。

③ 「おはなし会はおけいこごとの発表会ではない」と言いながら、いつのまにか発表会になっている。

セオリーは「おはなし会の核になる本を選び、それを引き立てるような並べ方をすればいい」でしたよね。音楽のコンサートもそういうプログラムで作られているのでしょうね。そういうやり方もあるでしょう。
 でも、「アラカルト」と言うのでしょうか、一曲一曲が独立して間にトークなんかが入るやり方もあります。これなら途中退席しても入っても楽しいし気楽だ。

 問題視したいのは、核になる本が、どうもある種限定されている様子があるからです。長く読み継がれた本とでもいうのでしょうか、いい家柄の家系を絶やさないよう庶民が奉仕するようなクサさが見え隠れする。
 『ぐりとぐら』だって図書館の読み聞かせで使われるのは年一回くらいで、お客様も数組なのであり、その流れでも貸し出しNO1であれば、わざわざ読み聞かせに使う必要もない。それよりもこれから古典になりそうな本を応援するためにもこれからの本を取り上げるほうがいいと思います。
 
 また、発表会だから妙な緊張感が部屋の中を支配するので、騒ぐ子どもを連れた親は近寄りがたいものがある。基本的にはどんな本なのかが分かればいいのに、つづけて40分聞かせることのほうに自分の腕と権威を見せようとするようになる。絵本を使い「おはなし会」として一斉に聞かせようとした過去のその時点に、誤りがあったような気がします。どんなプログラムも「いいプログラム」と思う人もいるし、そうでない人もいるのです。いいプログラムを作るために本を選ぶという、本末転倒な状態になっていきます。
 聞き手は、ただ面白い本に会いたくて集まってきたのではないでしょうか。

聞き手選書でやった学校の読み聞かせでは、どの子も本を選びたがった。会員さんの感想です。役をあてられた子は、時間がかかっても「どれでもいい」とは言わず、どれかを指差しました。子どもがはっきり意思を示した瞬間であり、私はとてもうれしい。本と人を結ぶというのは、受け手の意思を尊重することから出発するのではないかと思うのです。


④ 本を差別するときの格好の場になっている。

 本の良し悪しを説明するのはちょっと大変だし、マズイことらしいとの認識も広がる昨今、嫌いな本をよけるためにはプログラムではねればいい。
「これはプログラムに入らないわね」と先輩格の人の嫌いそうな本をさりげなくはずすことができる。ものは言いようなのである。その時点で聞き手より先輩の意思を尊重するようになる。先輩というのは能力も高く人格もそれなりにあるので、なんとなく心を寄せる存在でもある。
 しかし、権力者に近い順であったりすると、自由な発想や想像を封じこめ、従わないものがいじめの対象になりやすい。新潟の例を思うと、長岡でそれが始まらないことを祈ります。先輩格の人間が、目障りな会員をたたくときの格好の手段になり、「あなたのためを思って言っている」などといくらでもいい逃れやすいのです。「あなたのため」は眉唾ものでもあるので、気をつけましょう。

⑤ それでも「プログラムのあるおはなし会」をしてくれ、という依頼ならば、それに対応しなくてはいけない。依頼時間に納まり、長いものが続かないよう、たまに息抜きがあるよう、程度のくくりで大丈夫です。「プログラムはゆるやかに」というような講師の講座が九州であったようだ。中身は分からないけどね。その問題点に全国あちこちで気づきが始まっているんじゃないでしょうか。
 いろいろ追求するほど息苦しくなり、先輩と趣味が同じ人しか会に残れなくなり、偏向した宗教のようになります。どうぞ、気をつけてください。

だいたいさー、何々のあとに何を読むかどうかでモメるのって、傍からみると、それ自体がお笑いでないかい?図書館の利用者はそんなセコイことにかまっていられるほど暇じゃないし、そんなこと望んでいるとは思えないよ。

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