扉を閉めても

ほんぽーと中央図書館では、おはなしの部屋を使う時、扉(可動式パネル)を閉めてやる団体と開けたままでやる団体があります。

閉める理由の第一は、おはなしの集中度が上がるようにする、ということ。それから、おはなし会の音が子どもの読書するスペースに漏れないように気を使ってというのも一つ。それから、人が話しているときに中座するというのはマナー違反なのでそれを教えるために、途中で出入りできないようにするというのも理由の一つでしょう。「おはなしはこわれやすい」ので、周囲の静けさで語り手の心の安定を保つため、というのも大きな理由。
 
 この場合、部屋から出たい人は、本を一つ読み終わった後に扉が開くのでその時に出入りするようにします。小さい子がぐずった時は、お母さんはいたたまれずに途中でもそっと退出されますので、そんなに厳密なものではないと思っています。
 図書館ではおはなし会としてやり始めたときにそのように指導され、それがボランティア入門セオリーとして伝えられてきました。国際子ども図書館でもそのようにHPに書かれています。

 反対意見もあります。聞き手を外で待たせるのは失礼ではないか。扉を閉め切ってしまうのは子どもにとって閉じ込められるようで不安なのではないか。そもそもそんなにきっちりと聞くスタイルにする必要があるのか、という疑問です。また、会によっては、会の主宰者が読み聞かせて、それ以外の人がドアの開け閉めをする習慣があると以前聞きました。傍から見ると驚きですが当人にとっては違和感がないのかも知れません。
そんなことで、扉の状態については各団体お互い干渉せずそれぞれの判断でやる、というのが現状です。

 当会は、公園紙芝居の流れを汲んで、オープンスタイルをとっています。聞く子、聞かない子、意味もなく近くにいたい子。10メートル位は離れているであろうフロアの椅子に座って画面を眺めている人もいます。演じ手も、演台横から聞き手の集まっているあたりを見て、おはなしのへやの境目を意識の中に入れて、声の大きさの調整をしています。

 先日、当会の会員さんが、扉の閉まっているおはなしのじかんの時に、児童室のフロアにいたそうです。ところがおはなし会の中の音が筒抜けだったそうです。例えば「あったとさーあったとさー」などのように語り手の数人が一緒に声を合わせて絵本の言葉を囃すように唱えることがあるのですが、そういう類の時です。
 つまり、可動式パネルを閉めていたとしても、ちょっと元気よくやれば、音は普通に周囲に響き渡るということで、周囲の静粛を保つつもりが実際はそうはなっていなかった、ということでしょう。逆に、「扉が閉まっているから大丈夫」と安心して、「それなり」の声を出していたのではないか、とも推察しています。悪気はないのに、つらいことです。
 
 なんだか、図書館集団読み聞かせの方法を象徴しているように思えてなりません。強引な例えかも知れませんが。自分たちは良かれと思ってやっているが、客観的に判断する視点がないために、全て水の泡・・・みたいなものでしょう。

 ここでも「情報公開」に向かうことを、一方的に語らせてもらいます。批判をいただくときの材料にするために、何をやっているのか見えるようにしたらどうか、ということです。自分たちも姿をさらして批判の声を聞く、それ以前に、「おはなしの世界」の外に広がる普通の生活に視線を飛ばすということ。
 そうですね、なかなか批判の声は聞こえてこないです。しかし、前述の会員さんは皮肉交じりに結構いろいろ言っていました。文字にして書きにくいですね。私などはこのようにブログに書くのですが、「お世話になっている図書館に失礼でしょ」と言われる。
 図書館員さえ「個人情報」を盾に、プログラムのチラシのファイルを見せてくれない。(以前はそうだった)。何を読んだかというのは「個人情報」だろうか。自分たち(司書)で入門講座をしているのに、その結果としてのおはなしのじかんのプログラム(使った本のリストファイル)は市民に見せられない・・・。何故だろう。
 プログラムをスケッチブックに書いて公開している館(これは図書館職員のおはなし会)もあるのに、何をそんなに怖れているのだろうか。 







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