個人情報が売買されたと、盛んに騒いでいるようです。お客様の情報だから、神経質にやるのでしょう。それで個人が利益を得ているのはちょっとひどいね。
これを逆に見て、情報を発する側の個人情報はどうでしょう。ベネッセが自分の電話番号を示さずに、お客様から電話番号を集めたらそりゃちょっと困る。
同じように、私たちが事業をやるときのチラシに、問い合わせ先の電話番号がなかったら、ちょっと困るでしょう。
私は、読み聞かせ団体が自分たちの情報を示さずに、「おはなし会に来てね」と誘うのは、これと同じことだと思っています。覆面をしたまま人を呼び込むような、後ろめたさを感じます。
家庭文庫もそう。自分たちの連絡先を示さずに、子どもを集めようという神経にはちょっと違和感があります。家庭文庫であれ不特定多数を相手にするのなら、自分たちの情報公開に努めなくちゃいけない。そして、図書館がそれを黙認したまま、「家庭文庫をしている(していた)先生」と持ち上げることを批判したいと思います。そして、現場の調査をするでなく、論文を発表するでなく、名誉職にしがみつく人を見極める目を、私たちも持ちたいと思います。
同じように、自分の連絡先を示さずに、本についていろいろ教えたり、交流していこうというのは、「自分に賛同する人には連絡先を教えるけど、異論を言う困った人には教えないわ」的な、傲慢さを感じるのです。自分の世界に閉じこもり、気の合う仲間でやっていけば、公益性などふっとんでしまうでしょう。 同じ仲間や聞きに来てくれる相手に誠実に向き合おうという気持ちがあれば、おのずとそういうことに気づくんじゃないかと思います。
何より、なまなましい語りの現場に出ていくためには、そういう「違う相手を受け入れる、うまく利用する」といった図太さも必要です。そのための訓練だと思えばいい。自分達が心地いいユートピアから、キビシイ現実に進む楽しさもあります。
まず、自分のことを明らかにして意見を聞ける状態にしてから、物事を進めるべきではないか。 図書館にくっついて、「苦情は図書館へ」では、いつまでたってもお上のぶら下がりでしかない。