図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
絵本の原画は「本物」か?
田島征彦・田島征三の新津美術館原画展見学のお誘いに「本物を見に行こう」というタイトルがついていました。
そのタイトルをつけた方の気持ちを尊重します。そして、こんな意見もあると、言わせていただきます。
「本物」があるということは、偽物もあるということでしょうか。その方の本物がその作家であっても、他の人は違う見方をします。人の好みは多様ですので、芸術表現のある種のものを取り上げて「本物」というのは、すこし視野が狭いと思います。
それから、「原画が本物である」という見方に対しても、私の考えを言います。
絵本の「本物」は、印刷されて綴じられた状態の、最終段階のものではないでしょうか。見る人が手で触ったりよだれをたらしたりして楽しめる状態が、本来の姿だと感じています。印刷色見本を見て、作家は検討を重ねるのではないかと思います。
美術館にあるものが「本物」ならば、図書館にある膨大な資料は一体何物でしょうか。利用者が楽しみ笑い、気持ちを寄せ、大勢の職員が吟味した、それらの本は、あなたにとっては一段低いものだったのでしょうか。
いいたい放題で欠点を見つけて指摘し、なにか楽しいことがあったのでしょうか(ごめんねちょっと感情入ってます)
真偽を追求して無理に一つのことに集中させるより、あれもこれも共に対等に受け入れていける状態を楽しみませんか?
集団読み聞かせをする人が嫌われるのは、「私たちって本物を知ってるのよ」という匂いをプンプンさせていたせいもあると感じています。
どうか、これから、中央図書館等で原画展をされるときは、「本物」という表現をされないよう、私からのお願いです。
絵本講座でよく説明がある「絵は大人の鑑賞に堪えるもの」というようなことですが、これはおかしいですね。子どもに見てもらうのならば、
「絵は、大人の鑑賞に堪えなくても、子どもの鑑賞に堪えるもの」とした方がいいと思います。
そのタイトルをつけた方の気持ちを尊重します。そして、こんな意見もあると、言わせていただきます。
「本物」があるということは、偽物もあるということでしょうか。その方の本物がその作家であっても、他の人は違う見方をします。人の好みは多様ですので、芸術表現のある種のものを取り上げて「本物」というのは、すこし視野が狭いと思います。
それから、「原画が本物である」という見方に対しても、私の考えを言います。
絵本の「本物」は、印刷されて綴じられた状態の、最終段階のものではないでしょうか。見る人が手で触ったりよだれをたらしたりして楽しめる状態が、本来の姿だと感じています。印刷色見本を見て、作家は検討を重ねるのではないかと思います。
美術館にあるものが「本物」ならば、図書館にある膨大な資料は一体何物でしょうか。利用者が楽しみ笑い、気持ちを寄せ、大勢の職員が吟味した、それらの本は、あなたにとっては一段低いものだったのでしょうか。
いいたい放題で欠点を見つけて指摘し、なにか楽しいことがあったのでしょうか(ごめんねちょっと感情入ってます)
真偽を追求して無理に一つのことに集中させるより、あれもこれも共に対等に受け入れていける状態を楽しみませんか?
集団読み聞かせをする人が嫌われるのは、「私たちって本物を知ってるのよ」という匂いをプンプンさせていたせいもあると感じています。
どうか、これから、中央図書館等で原画展をされるときは、「本物」という表現をされないよう、私からのお願いです。
絵本講座でよく説明がある「絵は大人の鑑賞に堪えるもの」というようなことですが、これはおかしいですね。子どもに見てもらうのならば、
「絵は、大人の鑑賞に堪えなくても、子どもの鑑賞に堪えるもの」とした方がいいと思います。
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