私は今度初めてイギリスに行くが、
しかし、まったくの初めてでもない。
今から20年くらい前、母と甥二人の四人でイタリアに行ったときのことである。
そのときイタリアの空港のストでイタリアに着陸することができなくなり、
幸いなことに?、イギリスのロンドンに一泊する機会が得られた。
着いたのが夜だったから、ツアーの他の乗客の大半はホテルでやすんだと思うが、
私の母はそんな大人しいことをする人ではなかった。
「ピカデリーサーカスに行って夕食を食べよう」と言う。
私はピカデリーサーカスがロンドンのどこにあるかもしらなかったが、
航空会社の手配してくれたホテルの最寄り駅をしっかり頭に叩き込んでから地下鉄に乗った。
駅の案内板の路線図でピカデリーサーカスを探してから乗ったのである。
地下鉄を降りて地上に出ると、赤い二階建てバスが走っているのが印象的だった。
あまりうろうろして迷子になると困るから、近くにあったハンバーガー屋さんに入った。
私は初めてのイギリスで、何でも珍しかったから、
店内で揚げ物をしていた経営者と思しき男性に写真を撮っていいかと尋ねると
「ノー」と言われたことを覚えている。
なぜ「ノー」と言ったのだろう。企業秘密でもあったのだろうか?
ハンバーガーが出来上がって、大きなテーブルにつくと、
目の前にとっても可愛い高校生くらいの女の子二人が座っていた。
あまりにも綺麗でかわいいので、またしても私は写真を撮っていいかと尋ねた。
二人はパッと顔を赤らめた。
色白の顔が赤らむと、ますます綺麗に可愛く見えた。
と同時に、私は驚いた。
そのころは日本でも写真を写されるときに顔を赤らめるような純情な高校生はいないと思うのにと。
アメリカの映画などで、白人のませた女子高校生の様子を見たりしていたせいか、
このイギリスの高校生と思しき少女たちの純情そうな様子が印象的だった。
たぶんどこの国でも、こういう純情な子もいれば、映画で観たようなスレタ子もいるのだろうが・・・。
とにかくハンバーガーを食べた私達は、ホテルに戻ろうと、また地下鉄に乗ったのであったが、
夜の地下鉄の駅には黒人の人が思った以上に多かった。
何かで、地下鉄に乗るのはブルーカラーの人が大半というのを読んだような記憶があったが、
そのせいだったろうか。
そして地下鉄に乗ると、
当時の私と同年配(50歳過ぎだった)くらいと思しき黒人女性が、
どういうわけか、私に親しみを込めた顔を向けていたことが忘れられない。
微笑みかけていたような・・・。
あれは何だったろう?
白人の国で、黒人と同じく白人ではない黄色人種の私に対する親近感だったのか。
あるいは、単なる物珍しさだったのか。
といっても、黄色人種も、それほど珍しがられるほど珍しくもなかったろうに。
ツアーであっても、外国に行くと、こういう人間模様がおもしろく思えることが多い。
*
・ピカデリーサーカスだけは記憶あり未だ行かざるイギリスなれど
・絵葉書でしか見しことのなき赤き二階建てバス見きロンドンで
・カメラ向けられてその顔あからめる高校生を撮影したり
・われの顔親しみ込めて見つめゐし黒人女性の顔わすれざり
・黒人も黄色人種も異人種の異国イギリス白人の国
・ほり深く白き肌もつ白人の前に出づれば色付き肌は
・よくなきと言はれる人種差別はも見た目ちがへば差別うべなふ
・白人のやうに八頭身なりし義母は気位いと高かりき
・スタイルがよくて何でも着こなせる人でありにきわが姑は
・イギリスやフランス人を真似義母は帽子を被りハイヒール履き
・赤んぼを寝かせて映画観に行きし若きしうとめ洋画が好きで
・身を飾ることに散財せし義母を義父の姉たちよく思はざり
・義母きらふ義父の姉たち甥の子の妻の私を愛しくれたり
・美人には美人の誇りありありてその誇りにて嫁を虐めて
・田舎から嫁ぎこし嫁わたくしの虐められつつ仕へし月日
*
今思い出せば、当時の母は現在の私の年齢よりほんの少しだけ上です。
このころの母は、
ときどき胸が痛くなるから用心のために身内を連れて海外旅行をするようになっていました。
母が脳梗塞で倒れたのが、この数年後だったから、こうした海外旅行のさなかでも
脳梗塞を起こす危険もあったのですね。
このイタリア旅行では、
ベニスの観光が終わってから、また高速艇に乗ってベニスをあとにしようとする段になって、
母がいないことに甥たちが気づいて、二人で探しに戻ったというハップニングがありました。
なんとか二人が探し出して、ぎりぎり舟に間に合ったのでしたが、もし乗れていなかったら
大変なことになるところでした。
あのころから、母は少し耄碌していたのでしょうか?
それじゃ、私が知らない場所で迷子になったりしても、不思議ではありません。
私の迷子になるのも、耄碌かなあ。
しかし、まったくの初めてでもない。
今から20年くらい前、母と甥二人の四人でイタリアに行ったときのことである。
そのときイタリアの空港のストでイタリアに着陸することができなくなり、
幸いなことに?、イギリスのロンドンに一泊する機会が得られた。
着いたのが夜だったから、ツアーの他の乗客の大半はホテルでやすんだと思うが、
私の母はそんな大人しいことをする人ではなかった。
「ピカデリーサーカスに行って夕食を食べよう」と言う。
私はピカデリーサーカスがロンドンのどこにあるかもしらなかったが、
航空会社の手配してくれたホテルの最寄り駅をしっかり頭に叩き込んでから地下鉄に乗った。
駅の案内板の路線図でピカデリーサーカスを探してから乗ったのである。
地下鉄を降りて地上に出ると、赤い二階建てバスが走っているのが印象的だった。
あまりうろうろして迷子になると困るから、近くにあったハンバーガー屋さんに入った。
私は初めてのイギリスで、何でも珍しかったから、
店内で揚げ物をしていた経営者と思しき男性に写真を撮っていいかと尋ねると
「ノー」と言われたことを覚えている。
なぜ「ノー」と言ったのだろう。企業秘密でもあったのだろうか?
ハンバーガーが出来上がって、大きなテーブルにつくと、
目の前にとっても可愛い高校生くらいの女の子二人が座っていた。
あまりにも綺麗でかわいいので、またしても私は写真を撮っていいかと尋ねた。
二人はパッと顔を赤らめた。
色白の顔が赤らむと、ますます綺麗に可愛く見えた。
と同時に、私は驚いた。
そのころは日本でも写真を写されるときに顔を赤らめるような純情な高校生はいないと思うのにと。
アメリカの映画などで、白人のませた女子高校生の様子を見たりしていたせいか、
このイギリスの高校生と思しき少女たちの純情そうな様子が印象的だった。
たぶんどこの国でも、こういう純情な子もいれば、映画で観たようなスレタ子もいるのだろうが・・・。
とにかくハンバーガーを食べた私達は、ホテルに戻ろうと、また地下鉄に乗ったのであったが、
夜の地下鉄の駅には黒人の人が思った以上に多かった。
何かで、地下鉄に乗るのはブルーカラーの人が大半というのを読んだような記憶があったが、
そのせいだったろうか。
そして地下鉄に乗ると、
当時の私と同年配(50歳過ぎだった)くらいと思しき黒人女性が、
どういうわけか、私に親しみを込めた顔を向けていたことが忘れられない。
微笑みかけていたような・・・。
あれは何だったろう?
白人の国で、黒人と同じく白人ではない黄色人種の私に対する親近感だったのか。
あるいは、単なる物珍しさだったのか。
といっても、黄色人種も、それほど珍しがられるほど珍しくもなかったろうに。
ツアーであっても、外国に行くと、こういう人間模様がおもしろく思えることが多い。
*
・ピカデリーサーカスだけは記憶あり未だ行かざるイギリスなれど
・絵葉書でしか見しことのなき赤き二階建てバス見きロンドンで
・カメラ向けられてその顔あからめる高校生を撮影したり
・われの顔親しみ込めて見つめゐし黒人女性の顔わすれざり
・黒人も黄色人種も異人種の異国イギリス白人の国
・ほり深く白き肌もつ白人の前に出づれば色付き肌は
・よくなきと言はれる人種差別はも見た目ちがへば差別うべなふ
・白人のやうに八頭身なりし義母は気位いと高かりき
・スタイルがよくて何でも着こなせる人でありにきわが姑は
・イギリスやフランス人を真似義母は帽子を被りハイヒール履き
・赤んぼを寝かせて映画観に行きし若きしうとめ洋画が好きで
・身を飾ることに散財せし義母を義父の姉たちよく思はざり
・義母きらふ義父の姉たち甥の子の妻の私を愛しくれたり
・美人には美人の誇りありありてその誇りにて嫁を虐めて
・田舎から嫁ぎこし嫁わたくしの虐められつつ仕へし月日
*
今思い出せば、当時の母は現在の私の年齢よりほんの少しだけ上です。
このころの母は、
ときどき胸が痛くなるから用心のために身内を連れて海外旅行をするようになっていました。
母が脳梗塞で倒れたのが、この数年後だったから、こうした海外旅行のさなかでも
脳梗塞を起こす危険もあったのですね。
このイタリア旅行では、
ベニスの観光が終わってから、また高速艇に乗ってベニスをあとにしようとする段になって、
母がいないことに甥たちが気づいて、二人で探しに戻ったというハップニングがありました。
なんとか二人が探し出して、ぎりぎり舟に間に合ったのでしたが、もし乗れていなかったら
大変なことになるところでした。
あのころから、母は少し耄碌していたのでしょうか?
それじゃ、私が知らない場所で迷子になったりしても、不思議ではありません。
私の迷子になるのも、耄碌かなあ。