かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

阪神大震災から24年

2019-01-17 13:08:15 | ブログ記事
もう今日は既に二つも記事を書いてアップしたから、やめておこうと思ったが、

やはり書くことが記録になるから書く。

あの大震災のあったとき、私たちは大阪市内のマンションの最上階に暮らしていた。

地震の直後は、大阪は震度4と出て、家族で、それは違うと言いあった。

なにしろ、住んでいたマンションが倒れるかと思うほどの揺れだったし、
実際、リビングの食器棚は倒れて、大半の食器は割れてしまった。

娘の部屋では本棚が倒れて、娘が大量の本の下敷きになっていた。

とにかく起き上がることもできないほどの揺れであった。

地震のあと、しばらくは、少し揺れても、ものすごく怖かった。

現在住んでいる川西市内の家は、阪神大震災後に建て替えたものである。

地震で半壊になったので、もうひと揺れしたら義母が危ないと建て替えた。

私たち家族も、軽微と言えるかもしれないが、被災したし、義母も被災したと言えるだろう。

が、私の次男の奥さんの実家は、
神戸市の震災の被害の大きかった地域からも近い距離にあるが、
被害はなかったようである。

このことからして、地震というのは、近くであっても、被害は大きく違ってくるということだ。

川西市も被害はあったが、

しかし、

川西市の隣市である宝塚市の被害は、神戸市からは遠いにも関わらず甚大なものであったし、

同じく川西市の隣市である伊丹市の被害も大きかった。

伊丹市では阪急伊丹駅が崩壊したニュースを覚えている人も多いと思う。

宝塚市は、
阪急宝塚線の山本駅あたりとか
阪急今津線沿線の住宅が軒並み倒れていたことが記憶に残っている。

山が崩れて大勢亡くなったのは今津線沿線の仁川駅の近くだったかな?(←もう忘れかけている)

私の夫は、地震の直後にバイクで神戸市入りをして、
甚大な被害を目の当たりにしたようだが、
私は、気の毒すぎて、見に行くことはできなかった。

が、震災から24年経った現在、ほぼ跡形もなく片付いていることは驚異だ。

私は、後世の人たちのために、少しは被害の痕を残しておくべきだと思う。

しかし、そうこう言っているうちに、東海地震、南海地震は明日にでも起こるかもしれない。

*

★ふたむかし以上の地震でありければ痕跡さがすも困難となり

★忘れてはならぬ地震の記憶なり揺られた恐怖いまも身にあり

★語り継ぐことが困難なればなほ被災のあとは少し残さむ

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
地震 (ハイジ)
2019-01-18 01:52:39
日本は地震 大雨 災害多いですね。
明日は運命わかりませんね。
今を自由に有意義に楽しく過ごしましょう。
ハイジも明日は孫の幼稚園の江戸かるた遊びの結果を聞きに行くことにします。
娘の家で一緒に江戸かるた遊びができるかな。
彦根も今年は雪が降らず温かい冬で嬉しいです。
でも冬は冬。家から外に出るには理由が必要。
びこさんのツアー参加は良い方法ですね。
ハイジはドラえもんの「どこでもドア」が欲しいです。
家事ロボットも。
介護ロボットも。
夢は夢。
子供だと信じれたのに大人はア~。


返信する
ハイジさんへ (びこ)
2019-01-18 05:04:43
私も家の中に籠っています。しかも独りだから、一日中だれとも話しません。それで、せっせとブログを書いているところもあります。これが家族には不評なのですが、誰も遊んでくれないから仕方ないですよね。(苦笑)

それで思いついたのがツアー参加です。母が存命中は義務もあって毎月帰省していましたが、バスで帰省するのが楽しかったから、バスツアーに参加しようと思いついたのです。(笑)


これも足腰が弱ってきたら参加できなくなるので、今のうちにせいぜいあちこち行っておこうと思います。いつ天災に遭うかもわかりませんし。

ハイジさんはお孫さんと仲良くできていいですね。「江戸かるた」って、どんなかるたでしょう?

孫も大きくなると、それぞれ忙しくなるからなかなか会えません。せいぜい会えるときに会ってあげておいてください。

と言いながら、私は長男や次男の子には、あまり会いに行きませんが・・・。姑が行くと迷惑かなと遠慮してしまうのです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。