さきほどの記事を書いてから舌の根も乾かないけれど、
いまGooブログさんが知らせてきてくれた昨年の今日の記事を読んで、
やはりブログをやっていてよかったと思った。
昨年の今日は、「村形明子さんの思い出・・・昨日の記事の続き」と題して、
昨年9月に亡くなった畏友、村形明子さんのことを書いている。
読者のハイジさんの娘さんが村形さんの学友のブログを探し出してくれて教えてくれたから、
その「白象の気まぐれコラム」について書いているのである。
その記事のタイトルは
「日本におけるフェノロサ研究の第一人者として知られる学友・村形明子さんを悼む 」
である。
書いた私は忘れていたわけではないが、思い出したということは、やはり忘れていたことになるのだろうか。
せっかくだから、その「白象の気まぐれコラム」の最近の記事を読ませていただいた。
そうすると、
ことし後期高齢者になられたはずの白象さんは相変わらず元気にあちこち行っていらっしゃるご様子。
村形さんもご存命なら、やはり今頃またあちこち行かれていたろうと懐かしく思った。
彼女は京大名誉教授という凄い肩書の人ではあったが、
不思議に気が合って、仲良くしていただいた。
だけでなく、私の母とも気が合って、
晩年は、私より、むしろ私の母と仲良しだった。
ああ昨年の夏までは二人とも生きていたのにと、感慨深い。
村形さんも独身で一人暮らしの人だったから、私とはお互いに孤独を癒しあうことができたのに・・・。
ブログやっていたおかげで、こうして彼女のことを懐かしく思い出すことができた。
いまGooブログさんが知らせてきてくれた昨年の今日の記事を読んで、
やはりブログをやっていてよかったと思った。
昨年の今日は、「村形明子さんの思い出・・・昨日の記事の続き」と題して、
昨年9月に亡くなった畏友、村形明子さんのことを書いている。
読者のハイジさんの娘さんが村形さんの学友のブログを探し出してくれて教えてくれたから、
その「白象の気まぐれコラム」について書いているのである。
その記事のタイトルは
「日本におけるフェノロサ研究の第一人者として知られる学友・村形明子さんを悼む 」
である。
書いた私は忘れていたわけではないが、思い出したということは、やはり忘れていたことになるのだろうか。
せっかくだから、その「白象の気まぐれコラム」の最近の記事を読ませていただいた。
そうすると、
ことし後期高齢者になられたはずの白象さんは相変わらず元気にあちこち行っていらっしゃるご様子。
村形さんもご存命なら、やはり今頃またあちこち行かれていたろうと懐かしく思った。
彼女は京大名誉教授という凄い肩書の人ではあったが、
不思議に気が合って、仲良くしていただいた。
だけでなく、私の母とも気が合って、
晩年は、私より、むしろ私の母と仲良しだった。
ああ昨年の夏までは二人とも生きていたのにと、感慨深い。
村形さんも独身で一人暮らしの人だったから、私とはお互いに孤独を癒しあうことができたのに・・・。
ブログやっていたおかげで、こうして彼女のことを懐かしく思い出すことができた。