かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

私は「表現の不自由展」は認められない

2019-10-15 14:17:56 | ブログ記事
ブロ友さんが「『表現の不自由展』って、そんなに騒ぐもの?」
と書かれていたから、私は自分のblogに感想を書きます。

私は、自分の国の天皇陛下の遺影が燃やされて踏まれたとか、
捏造された慰安婦問題を世界に発信する国の作った従軍慰安婦像など見たくもないし、
そういう展覧会を日本で開催すること自体許せません。

こんな展覧会に日本の税金が使われることなど言語道断です。

もちろん、名古屋まで見に行ったわけではありませんが、
ニュースや皆さんの書かれる記事を読ませていただいて思った感想です。

「じゃ、見てから感想を言えば?」と言われても、
そんな不快な展覧会に、わざわざ時間とお金を使って見に行こうとは思いません。

私には、
こういう展覧会を開催すること自体が非国民(古い言葉でごめんなさい)に見えます。

私は、こういう展覧会に対して、騒ぎこそしませんが、
黙っているから認めているわけではありません。

むしろ騒ぐ以上に怒っていると受け取ってもらったほうがいいかもしれません。

私は、自らの住んでいる国の心柱であられる天皇陛下を侮辱されたら、
自分が侮辱されたような気持ちになります。

だから、
もう終わりましたが、
愛知県で開催されていた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」は
絶対に認めることができませんでした。

避難していなかった女性にも事情があったかもしれないし

2019-10-14 15:27:06 | ブログ記事
まして救急隊員はわざとにしたことではないのだから、
私達外野席の人間は非難することを遠慮しましょう。

それは自分がその立場に立たされたときのことを想像してみたらわかることです。

亡くなられた女性は77歳と聞きますが、
77歳にもなれば、人によって、夜の避難など、かなり負担になる人もいると思います。

あれだけニュースで台風の警告が出ていたといっても、
最近の傾向として、
たしかに警告通りの台風がくることもありますが、来ないこともあったりもします。

ちょっとオーバーに言い過ぎだったのではと思った天気予報も無きにしも非ずでした。

それは、たまたま運がよかったと言われれば、そうですが、
しかし、避難しなかった人を非難するのは慎みたいと思います。

今は、ただ亡くなられた女性のご冥福をお祈りするのみです。

頑張っておられた救急隊員の方も、どうぞ、ゆっくり休んでください。

そして、しっかり休んで英気を養われたら、
今回の事故を教訓として、今まで以上に人助けの仕事に勤しんでください。

それが亡くなられた方への一番の供養になると思います。

*

それから、ネットのニュースに「77歳のおばあちゃん」と書いた記事を見ましたが、
77歳でも、ご本人は「おばあちゃん」とは思っておられないと思います。

見かけは77歳でも、心は乙女かもしれません。

かわいい孫に「おばあちゃん」と呼ばれることは嬉しいことですが、
赤の他人からは、70歳を超えても「おばあちゃん」とは言われたくないということを
現在、71歳の私は付け加えておきたいと思います。


大雨の体育の日・・・「体育の日」は10月10日に戻すべし

2019-10-14 09:48:16 | ブログ記事
以前は体育の日は東京オリンピックの開催された10月10日に決まっていた。

敬老の日も9月15日と私の頭にはインプットされていた。

が、最近はハッピーマンデー制度導入とかいって、祝日を月曜日にするように変えた。

だから、最近の敬老の日はまちまちになった。

そんなことをされたら敬老の日を忘れてしまうではないか。

老人を敬う気持ちまで忘れそうになる。

もうすでに自分が老人になってしまったから、こんなことを書くことは変だが・・・。

成人の日も1月15日と決まっていた。

が、これもその年によって変則的になったから、晴れがましさが減じた。

政治家には、「よけいなことをしないでください」と言いたい。

ハッピーマンデーなどという、国民の人気取りを狙った、ふざけた政策を実施するより、
国内のブラック企業をなくすことのほうが差し迫った課題ではないか。

政治家は頭のいい人がなるものと思っていたが、肝心かなめのところでは頭が悪い。

来年からは「体育の日」が「スポーツの日」と呼び名まで変わるという。

どういう理由があって変えるのだ。(怒)

「体育」という立派な日本語があるのから、変えないでいただきたい。

政治家の皆さんも、こういう余計なことに頭を使う間があったら、
もっと災害対策とか、近隣国家に対する防衛とか、
国民に必要なことに精魂を傾けていただきたい。

それにしても、今回の巨大台風の被害で、
日本株式会社の再建には、かなりの税金の投入が必要になってくるでしょうね。

こういう現在の日本の現況ですから、
私達国民も、
政治家の活動とか、
関電幹部の裏金不正受領問題などには、しっかり目を光らせているようにしましょう。

そして、日本株式会社が倒産しないよう、頑張りませう!!

最近は夫婦別行動ばかり

2019-10-14 05:10:10 | ブログ記事
昨年の記事が送られてきたので見ましたが、
昨年からそうなったみたいです。

夫が私に気を使ってくれなくなったともいえるし、
私が従順でなくなったといえるかもしれません。

この秋も、竹田城のツアーを二人分申し込んでありましたが、
夫が
「竹田城は夜明けにいかないと雲海の上に浮かぶお城が見られない」
というのでキャンセルしました。

最近は、そもそも夫と私の行きたいところが合致しません。

たまに合致しても、行き方で意見が異なったりして、結局取りやめることも多いです。

お互いに年取って、わがままになってきて、
相手に合わせるのが苦手になってきたといえるかもしれません。

仕方ないことなのでしょうね。

今年も、すでにいくつか一人旅をしました。


ツアーは独りで参加することにしました
夫を誘ったけれど、夫はその日は絶対ダメというので、一人で参加することに。もうずいぶん昔、一人で参加してつまらなかったことがあったのでしたが、今回のツアーはぜひとも見たい......

言葉もありません

2019-10-13 11:12:18 | ブログ記事
私は毎晩、宵の口に寝て夜中に目覚めるという一日ですが、
今日の夜中というか、超早朝というかの時間帯はテレビをつけっぱなしでした。

もう言葉がありません。

これほど広範囲に台風の被害があったことは今までなかったのではないでしょうか。

私は台風銀座と呼ばれている高知県の生まれですから、
大概の台風には驚きませんが、今回の台風には驚きました。

夜中に刻々と放映されるニュースを見ていると、
9月には行きたいと船の時刻表なども調べていた八丈島も映されていましたし、
この夏訪れた岩手県久慈市の久慈川の状況とかも映し出されていました。

まったく他人事ではありません。

9月に八丈島を訪れることをやめたのも、伊豆諸島に台風が襲来したからでした。

今回の台風19号は伊豆半島に上陸しましたね。

人里離れた地域に暮らしておられる方々は、どれだけ不安な夜を過ごされたことでしょう。

これから、どんどん新たな災害状況が入ってくると思いますが、
被災された方々が気の毒でなりません。

いまテレビには千曲川が映し出されています。

私は、数年前に短歌結社の全国大会が長野で開催されたとき、
夫に同行してもらって、レンタカーで千曲川に沿って走ってもらいました。

千曲川は「ちくまがわ」という呼び名の語感が好きで、憧れの地でありました。

島崎藤村の「千曲川スケッチ」が念頭にあったということもあったかもしれません。

その千曲川が氾濫して、いまむごい光景が映し出されています。

もう、これ以上書けません。

なぜ日本は、
いまこんなひどい目に遭わないといけないのかと
神様にお聞きしたい気持ちでいっぱいです。

「塔」10月号に選歌されていた歌群

2019-10-12 10:56:47 | ブログ記事
今日「塔」10月号が届きました。

7月に出詠した歌群を記事にして、選歌された歌も記事にしますと予告しましたので、
お約束通り、記事にします。

つまらぬ作品ばかりですが、短歌に関心のある方にご参考にしていただければと思います。

選歌してくださったのは栗木京子さんです。



①晩年の義母は苛めし嫁われを頼りにせしよ認知症になり

②嫌なこと嫌とはつきり言へるひと羨(とも)しみながら眺めし日々よ

③若嫁のころのわたしはなにゆゑにあれほど義母に気を使ひしか

④学校でよい子よい子と褒められて悪い子供になり損ねたり

⑤もう少し羽目を外せばよかりしと気づくは古希を超えてこの頃

⑥難あるもよきか聞こえぬ辛さにて仲良くなれる難聴われら

⑦聞き取りの悪しき辛さで繋がれるわれら弱くて強き繋がり

なお、出詠してあった歌は次の10首でした。

1、難聴も困るが認知症もつと 困ることのみ増えて夫婦は
2、晩年の義母は苛めし嫁われを頼りにせしよ認知症になり
3、嫌なこと嫌とはつきり言へるひと羨(とも)しみながら眺めし日々よ
4、若嫁のころのわたしはなにゆゑにあれほど義母に気を使ひしか
5、言ひつけを異常に守る子でありし己と思ふ子供のころは
6、学校でよい子よい子と褒められて悪い子供になり損ねたり
7、もう少し羽目を外せばよかりしと気づくは古希を超えてこのごろ
8、難あるもよきか聞こえぬ辛さにて仲良しとなる難聴われら
9、耳のよき人らにいくら話せども耳の聞こえぬ辛さ通じぬ
10、聞き取りの悪しき辛さで繋がれるわれら弱くて強き繋がり

朝起きてみると

2019-10-12 07:11:10 | ブログ記事
我が家には勝手口が二か所あるのですが、
その二か所の勝手口が勝手に開いて、
裏側(北側)の勝手口から東側の台所の勝手口に向けて風が吹き荒れていました。

開けっ放しにして寝た記憶はないのですが、鍵はかけていなかったようです。

最近の私は眠くなると寝落ちするというような状態で寝入ってしまいますから、
眠くなると、そのままベッドインしてしまいます。

昨夜もそうでした。

昨日は、夕方から眼鏡屋さんと図書館に行きました。

眼鏡の耳にかける部分の🔩が緩んで、とれてしまったから、直してもらいに行きました。

その後、図書館に返却する本があったから、図書館に回り、
そのままその読み終えていなかった本を図書館で読み上げました。

最近は根を詰めて読書することすら疲れます。

が、とにかく読み終えて、その後、同じ建物の中にあるデパートも一巡りしました。

たったそれだけのことでも、ひどく疲れて、
帰宅後、デパートで買ってきたお寿司を食べて、
そのまま早朝まで眠ってしまったのです。

昨夜は夫の夕食がいらないと勘違いしていたため、
夫には大急ぎで残り物を並べて食べてもらいました。

だから勝手口のドアの鍵を確かめるゆとりなどありませんでした。

それにしても昨夜か今朝、
勝手口のドアが勝手に開いてしまうほどの風が吹いたのでしょうか?

幸い、雨は降りこんでいず、床が少し湿っているだけです。

関西直撃ではなかったから、これだけのことで済みましたが、
直撃されていたら、こんなことでは済まなかったと思います。

今夜からは、眠くても、きちんと鍵をかけて寝ようと思います。

*

①勝手口ひがしと北と二か所ある家なり我の今棲む家は

②嵐の日あさ起き見れば二つある勝手口たち勝手に開きて

③わたくしが眠りゐる間に勝手口かたみに口を開け風入れて

④風はいる勝手口あり風ぬける勝手口あり風は勝手に

⑤風たちが勝手に我が家を吹き抜けてゐるころわれは白川夜船

⑥朝おきて二つの勝手口に言ふ「勝手に口を開けては駄目よ」

⑦耄碌は戸締りにまで及びたるわれと思へば思はず吐息

⑧この嵐わが家を荒らし夕つかた伊豆半島にわつと上陸

⑨十五号被害の癒えぬ千葉県に食指伸ばすや十九号は

⑩神ほとけゐるならすぐに止められよ猛烈な風、豪雨、高潮

人に騙されることはあっても、人を信じる人のほうが人間としての価値が高いと思う

2019-10-10 04:21:11 | ブログ記事
タイトルにしたように、
私は人に騙されることはあっても、
人を信じることのできる人のほうが人間としての価値が高いと思う。

先日、わざわざその家を訪問した高校時代の親友が、そういう人なのである。

彼女は、見方によればバカにも見えるくらい、いい人である。

彼女は料理が上手なので、
人においしいものを作って食べさせることが生きがいのような人でもある。

が、現在は、ほぼ失明しているから、昔のようなバラエティに富んだ料理はできない。

それでも、私が行くことが手前からわかっているときは、
今でも精いっぱいのごちそうの準備をして待っていてくれる。

天ぷらとかはできないから、
煮物、汁物がメーンになるが、おいしい刺身やかまぼこも準備してくれてある。

目が見えないから、白杖をついて買い物に行って作っておいてくれるのである。

まるで見えるかのように台所仕事をするから、「なぜ、見えないのにできるの」と聞くと、
彼女は、「慣れた台所だから」と答える。

それと、物を仕舞ったときは、全部記憶しておくそう。

家の中は、目が見えない人と思えないくらい、きれいに整えられている。

目が見える頃から家の中は綺麗にしていたが、目が見えなくなっても同様にしている。

それと感心するのは、目が見えないのに今でも明るいことである。

もちろん口には出せない辛いことはいっぱいあると思うが、冗談も言うし、よく笑う。

目が見えなくなった自分の失敗談も面白おかしく話してくれる。

対する私は、耳が聞こえなくなって、性格が暗くなった。

が、彼女は、相変わらず明るいのである。

私は、
目が見えなくなるほうが、
耳が聞こえなくなることよりも、生きていく上でのダメージが大きいと思うが、
彼女が、それに負けないでいることが私には大きな励ましになる。

彼女は、目が見えなくても、福祉の助けを借りて、めいっぱい人生を楽しんでいる。

読書好きだった彼女は、現在は図書館で音声朗読の小説を借りて読んでいるという。

彼女の弁によると、
小説は自分の目で読むより、耳から聞いたほうが、ずっと心に沁みるらしい。

声で聴いたほうが、目で読むより、直接こころに語りかけてくると言っていた。

前に行ったときは山本周五郎の音声朗読の本を借りてきて読んでいると言っていた。

日曜日に行ったときは、
私の参加している短歌結社の前主宰であった永田和宏氏の本を読んだと言っていた。

そういうふうに、
今でも、音声からではあるが、読書をする人なので、話題が豊富である。

彼女のお連れ合いは、新聞にも連載を書いていたような人なので、話題が豊富だ。

だから、彼女の家を訪問することは、私に、二重三重の喜びをもたらしてくれる。

と、
前置きが長くなりすぎてしまったが、
私が今書きたいことは、
その彼女の心の綺麗さである。

5人兄弟の末っ子に生まれた彼女は、
両親から特に可愛がられて育ったせいか、人を疑うことを全くしないし、できない人だ。

もともと私たちの母校はお嬢様学校だったから、
性格の悪い人は皆無といっていいような校風であったが、
その中でも彼女は群を抜いて”いい人”であった。

私たちがまだ在校中の三学期のある日、
登校すると、
彼女は、お年玉付き年賀状で当たったという切手を私に差し出す。

その頃は、切手が今よりずっと価値のある時代であった。

私が、「どうして?」と聞くと、
「これは、あなたからもらった年賀状が当たっていたのだから、あなたのものよ」という。

「え、それは、年賀状を受け取ったあなたのものよ。私はもらう権利はないわ」と言って、
お互いに押問答したことがあった。

が、結局、彼女の言い分に負けて、私は切手をいただいてしまったが、
それにしても、一事が万事で、彼女は自分が損しても人のためを考える人であった。

だから、ときには人に騙されるようなこともあった。

私は、そんな彼女のことを歯がゆく思うこともあったが、
しかし、他の友人たちも、そんな彼女の美点は見抜いていた。

それで、彼女は、友人間でも、抜群に人望があった。

私は、彼女には、人間的に、とても敵わないと思った。

どうして私が、今日、こんなことを書いているかというと、
昨夜、blog友さんの次のような記事を読ませていただいたからである。

「遠い日の記憶/追々補」

この記事に対して私はコメントを残させていただいたが、この記事の管理人さんには、
「反論は、この記事を引用してもいいから、ご自分のblogで、どうぞ」と
言っていただいたから、こうして記事に引用させていただいている。

私は、この親友のことを考えたとき、
たとえ人に騙されても、
人を信じることのできる人のほうが人間としての価値が断然高いと思うのである。

毎年同じことを書いている私

2019-10-09 18:38:14 | ブログ記事
が、毎年、そう思うから、また書くのだろう。


ブログを書くことで心の均衡を保っている私

ブログなんて書いて何になるの?と言う人も、心の中で思っている人もいると思う。私も、そう思わないこともない。だって、過去、ブログが家庭争議の元に何回かなったし、子供た......


死ぬのは怖くないけれど長生きするのは怖い

2019-10-09 07:02:45 | ブログ記事
もう何度も死にかけたことのある私は、
死ぬのは全然こわくないが、長生きをしてしまうのは怖い。

長生きをして、身体の自由がなくなっても生き続けることが怖い。

今でも難聴で、ずいぶん不自由があるが、
これが目が見えない、歩けないの不自由まで加わると、機嫌よく生きていられる自信がない。

もうすでに、目も強い近視であるから、かなりの不自由はある。

また現在は歩けているが、
しばしば腰痛や膝痛を起こすから、早晩歩くことにも支障が出るかもしれない。

長生きをすると、こういう不都合が強化されるのは自明だから、長生きが怖い。

もう十分生きたという気持ちもあるから、今すぐに死んでも悔いはない。

それと、もう一つ加えれば、
現在少子高齢化が叫ばれているが、
子供を急に増やすことはできないから、この少子高齢化を解決する一つの方法として、
年寄が早く死んでやるということも手っ取り早い解決策のように思える。

が、決して人生を悲観して、死にたいというわけではない。

私は、人の魂は永遠と信じているから、
この世から身体は消えても、私という魂は死なないと信じている。

だから、死ぬことは全然こわくないのだ。

この日曜日に実家の家族の墓参に行ったときも、
父、母、兄に、「私も早くそちらに行きたい」とお願いしてきた。

*

★死ぬことは怖くなけれど長生きをするは怖かりコスモスの花

★難聴の耳で長々生きることしたくなければ死を待ちてゐる

★結婚し子供も産みて育て上げこの上生きる必要ありや

★三人(みたり)子の子の顔も見て満たされてゐるなり今は 四人(よたり)の孫よ

★父と母たつた一人の同胞(はらから)も亡くなりしかば死に親しめり


通院日でした

2019-10-08 14:50:36 | ブログ記事
先週行ったばかりでしたが、
ワーファリンというお薬が効きすぎているから再検査するということで、
今日も行ってきました。

いつも病院に行く日は美容院に行くと決めているから、
今日も美容院に行き、カットしてもらいました。

どうしてこういうふうに決めているかというと、
心臓の検診日はお昼ごはん抜きで行かないといけないのに、
家にいると、つい何か食べてしまったりするから、
お昼前は美容院に行って食べないようにするためです。

と書くと、いかに私が意志薄弱な人間かわかっていただけると思います。

今日は、新しくできたショッピングセンターの美容院に行ってみました。

カットをお願いすると、丁寧すぎるくらい丁寧にカットしてくれただけでなく、
そのあとも、セットをお願いしたかのように、丁寧にブローしてくれました。

こんなに丁寧にやってもらえるのなら、
少し遠いけれど、今度からこちらの美容院にお願いしようかしら。

病院の検診のほうは、前回ワーファリンが効きすぎているということでしたが、
今回は少し薬の量を減らして1週間様子見をした結果、大丈夫だったようです。

が、実は、この1週間、ワーファリンを飲み忘れた日が二日ほどあるのです。

というのが、
いつもは、午前のお薬、午後のお薬と、それぞれ一袋に梱包してもらっているのですが、
この1週間はワーファリンだけ同梱されていなかったから、
惰性でお薬を飲んでいる私は、ついワーファリンを飲み忘れてしまったのでした。

だから、診察前は、どういう血液検査の結果が出ているか、ドキドキでした。

が、特に問題なかったようで、ホッとしました。

それにしても、お薬の管理もちゃんとできないくらい私も耄碌したのでしょうか?

これは言い訳だけど、半分は疲れもあったと思います。

孫の運動会に行った日にそのまま高速バスで高知まで行った日も疲れましたし、
翌日のお墓参りも、へとへとに疲れましたから。

昨日も
疲れが残っている身体で神戸まで高速バスに乗り、その後、川西まで電車で帰りました。

さすがに帰宅後、旅行中着ていた服を洗濯をしたあとは、夜まで爆睡してしまいました。

夫は、夕飯を外食しようと私の起きるのを待ったようでしたが、
私がいつまでも起きないから仕方なく、スーパーでお弁当を買ってきたそうです。

夜中に目覚めて、そのお弁当を有難くいただいてから、また寝た私でした。

つくづく歳を感じました。

今朝は八割がた疲れもとれていたから、
午前中は美容院、午後は病院とハシゴもできました。

が、腰痛はまだ残っているから、歩くのはやめて、自転車で行きました。

*

★無理できぬ齢となりて帰宅後は晩飯食はず爆睡したり

★夜半おきて弁当食ひてまた寝たり二泊三日の旅の帰宅後

★だんだんと眠る時間は増えてきて彼の世近づく人になるらむ


*

そうそう今日の採血をしてくれた看護師さんは、
先週の看護師さんと比べて、とても上手な人で、
ほとんど痛くなかっただけでなく、採血後も青痣みたいな痕が残りませんでした。

上手な人と、そうでない人とは雲泥の差のある採血と改めて思いました。

帰途へ

2019-10-07 07:23:25 | ブログ記事
午前8時半のバスに乗るべく高知駅に向かっています。

駅前のホテルに泊まったから余裕です。

バスは景色を見るのが楽しみなので最前列にしてもらいました。

バスは大阪行きですが、神戸三宮までの切符を買いました。

三宮にはお昼前に着くので、三宮見物をしてから帰宅しようと思います。

が、まだ腰の痛みが癒えていないから、あまり歩けないかもしれません。

なら、おいしい中華料理でも食べて帰るかな。

実家には寄りませんでしたが、今バスは実家の側を通っています。


そう、はりまや橋です。写真ではわかりにくいかもしれませんが、観光用にと割合最近作られた赤い橋が見えています。

昨日行った友人の家の側も通ります。

私の実家と友人の家は近くなのです。

彼女の実家も近いのですが、彼女の現在住んでいる彼女の婚家も近くなのです。

昨夜はホテルに行く途中に私の実家の側を通りましたが、寄りませんでした。

寄っても義姉とは話すこともありませんから。

実家のビルを見上げると真っ暗でしたから、いなかったかもしれませんでしたし・・・。

義姉は私の母のことを嫌っていたから、「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」で、私のことも避けたいだろうと思います。

母は働いて働いて子供や孫の経済援助をしましたが、家庭的でなかったから義姉には嫌な姑だったのでしょう

左側の大きな建物は高知カルポートです。

横山隆一記念館です。

今の若い人達は横山隆一をしらないと思いますが、「フクちゃん」の漫画で一世を風靡しました。

高知県が漫画王国になったのには、この横山隆一の功績があったればこそです。

実は横山隆一は私の母方の祖母のふた従弟になります。

血の繋がりはそれほど濃くないですが、祖母と横山隆一は額のあたりがそっくりでした。

血は争えないと思いますね。
 
      ※

往きのバスでは気づかなかったのですが、「耳の不自由な方には筆記しますので、お申し出ください」というステッカーが張られています。☟

こういうサービスが増えると嬉しいですね。JR西日本バスです。

       ※

三宮でバスを降り、電車に乗り換える前にランチです。

卵と海鮮の炒めもの。680円でした。

探せばもっとおいしい店があったかもしれませんが、長く歩けない状態なので、適当なお店に入りました。

お墓からの帰り道〜ごめんまち駅で降りて親友の家に

2019-10-06 13:22:52 | ブログ記事
お墓のある山に登るとき、地元の人には祖父の実家だった家の前の道はなくなったと聞いたのでしたが、お墓の帰り道に昔の記憶をたどりながら降りてくると、祖父の実家のあった集落は無くなっていず、ちゃんとありました。



登り口が、車用に拡張されていたから見間違ったようでした。

昔は人が2,3人が歩ける程度の幅で石畳の道でしたから。

父の従兄が定年退職後に帰ってきて住んでいた家はまだ十分人が住めそうな家だったのに、「とりこわし決定」という張り紙が張られてありました。

祖父の実家だった空き家は、ぼろぼろになりながらも、まだありました。

このあと、ここから下道に降りて、日陰のない田んぼの中の道を駅まで歩くのが苦行でした。

この赤野という地区は何で田んぼは下の平地にあるのに住宅は山にあるのか子供の頃から不思議でしようがなかったのでしたが、東北大震災の津波のニュースに接したりして、この赤野も、大昔の南海地震のとき、津波に遭った過去があったのかもしれないと思い至りました。

親戚の誰にも、そんな話は聞いたことはありませんが、私がそう直感したのです。

やっと赤野駅に。

運良く電車は、すぐ来ました。

田舎では、電車が出た直後だつたりしたら一時間待ちはザラですから、よかったです。

が、このまま高知駅まで直行で行ってしまうと駅前のホテルのチェックイン時刻に早すぎるので、いったん義父の実家のあったごめんまち駅で降りました。


駅の向こうの田んぼの中に我が家のお墓はあるのですが、今日は、もう歩けません。


ここでお墓の方向を拝んでから、また電車に乗って高知駅まで戻ることにします。

と書いたところで、やはり親友に会いたくなり、夫にメールして電話で親友の都合を聞いてもらいました。すると彼女もぜひ会いたいと言っているというので、くろしお鉄道で高知駅に戻ることはやめて、後免町から土佐交通の路面電車で親友の家に行くことにしました。

なぜ親友に会うのにこんな手間がかかるかというと、親友は、現在、ほぼ失明していて、メールのやりとりができないからなのです。

そういうわけで急に行くことに決定して、向こうでは夕飯の時間になるから、南国市のスーパーでお惣菜をいくつか買いました。

本当は後免駅の近くに適当なお店があれば楽だったのですが、後免駅も昔の賑わいはまったくなく、開いているお店すらない状態ですから、仕方なく少し離れたスーパーまで歩いて行きました。

既にお墓参りで疲れ果てていた私は、腰の痛みに耐えながらの歩行でした。

田舎に暮らしていたら、年を取るほど車がより必要になるということがよくわかります。

このあと路面電車に乗って高知市内の親友の家まで行き、積もる話をしました。

ホテルには午後6時チェックインの予約をしてあったから、目は見えなくても耳の聞こえる親友に、ホテルには夜遅く行くことを電話してもらいました。

結局、午後9時までお邪魔してしまいました。それでも話し足りなかった!

親友のご亭主が「なんでホテルの予約をする。うちに泊まってくれたらいいのに…」と怒ったように言ってくれましたが、親友はほぼ全盲だし、そのご亭主はクモ膜下出血の後遺症で障害者なので、泊めてもらうのは遠慮してしまうのです。

ちなみに、この御亭主は私の兄の高校時代の同級生なのです。

そういう事情で気兼ねがいらないから、以前は実家があっても、この親友の家に泊めてもらったりしていましたが…。

しかし、それにしても、高校時代の親友同士、かたや高度難聴で、かたや失明寸前とは、いかなる神の配剤でしょうか。

赤野駅

2019-10-06 10:28:07 | ブログ記事


海と逆の山沿いに、わが祖父母の育った村があります。

写真の真ん中辺りの道を歩いて山の麓まで行き、お墓のある山の中腹まで登らなければなりません。

10月6日の今日も夏日になる予報の高知県。

果たしてわたしはお墓までたどり着くことができるでしょうか?

地元の人に現在地元の人たちの使っている道を教えていただいてから登っています。

途中で一休みした場所からの眺めです。

太平洋が盛り上がって見えます。

やっと実家のお墓に到着。

お寿司と田舎まんじゅうをお供えしましたが、線香に火がつかず、あまり長いあいだ炎天下に生ものを晒すのはよくないと片付けました。で、写真を撮ることを忘れていました。



兄のお墓も同様です。

お昼を過ぎたから、お墓の前で、仏様から下げたお寿司とおまんじゅうをいただきます。


お寿司がおいしかったです。味噌まんじゅうというのは一個だけ食べましたが、これも素朴なおいしさでした。

わたしは、この田舎寿司を食べたくて帰省したのかもしれません。

午後一時になりました。

こんなに長い時間お墓の側にいたのは初めてです。

そろそろ帰りますが、あとの時間はどうしようかな。

高校時代の親友に会いたくもあるけれど、連絡してないし、私は電話ができないから、こういうとき困ります。😔

それにしても暑い!
____

*安芸を出て球場前の駅すぎて穴内駅を過ぎて赤野に

*わが父祖の眠れる村はわが父母も兄も眠れる山沿ひの村

*父方の祖父の実家に登る道なつくさ茂り蜘蛛は巣を張る

*サンダルで来たりしわれの足を刺す蔓草のあり祖父の田舎は

*一族のいち人すらや棲まざれば墓のみ残る古里の村

_______`

お墓から遠く木々の合間に見える太平洋です。



父も母も兄も太平洋を見ながら眠っています。

土佐くろしお鉄道に乗ってお墓参りに

2019-10-06 07:34:45 | ブログ記事
高知駅から土讃線安芸行きに乗ります。

私は安芸までの直行の電車に乗るのは初めてです。

目的地の赤野駅に行くには普通に乗らないといけないのですが、いったん安芸市の安芸駅まで行って戻ることになります。

赤野も一応、安芸市になるのですが…。

快速とあるから、どんな電車かと思ったら1輌電車だったから、びっくり。

1輌だけですが、トイレもついているから、安心です。😊

電車の中は、こんなふうです。

右奥にトイレがあります。

後免駅からは土佐くろしお鉄道になるのですが、この沿線の眺めの素晴らしいことといったら、もう百万ドルです。😊

写真を写せたら写しますが、進行している車窓からの撮影は至難ですので、ご期待に添えない可能性が高いです。

土佐大津です。

むかし紀貫之が土佐に赴任していたころは辺りは海だったようですか、今は面影もありません。

後免駅です。

義父の実家のあった街です。

私達が子供の頃は、それなりに賑わっていた街でしたが、今は駅前も閑散としています。

ごめんまち駅です。高知からくる土佐交通路面電車終点駅への乗り換え駅でもあります。

ここで降りれば、我が家のお墓に行けますが、今回は行きません。

香長平野真っ只中の野市町の「のいち駅」です。

 
どろめの街である赤岡町の「あかおか駅」を出ました。


ここからは海沿いを走ります。

夜須駅、和食駅と海を見ながら走ります。


昔ながらの松林のある海岸線です。

次は球場前駅、そう阪神タイガースのキャンプ地「安芸ドーム」のある駅です。


童謡の町、安芸駅に到着。


安芸市は広田龍太郎生誕地です。



弘田龍太郎の作品です。


お墓参り用のお寿司、お菓子、お花を買うため、駅にある市場に。

最初は高知のお城下の日曜市で買っていこうと思っていましたが、日曜市は広くて時間をとるから、安芸駅で買うことにしたのです。

お寿司です。


お菓子も。


まあ、自分が食べたいものを買うということですが…。

お花も買います。



      *

車中に貼ってある広告を見ると、ごめん、なはり線乗り放題切符というのがあるようです。1670円とありますから、高知、安芸間片道1100を往復二枚買うより、そちらを買ったほうが安かったようでした。