【今だからこそ箴言集からの一節の巻】
■彼の箴言集はどこから読んでも得心するばかりですが、一つだけ選べと言われたら、この一節。
さわりのみ抜粋・引用しますが、かみ締めてくださいませ。
痛烈な言葉で武装した「常識破壊の世界」をどうぞ。
高級で才能の優れた人は、人間に対する知識と処世の術とに著しい欠陥のあることを何かにつけて不用意に示すので、そのためだまされたり、そのほか人に迷わされたりしやすいことが非常に多く、ことに若い時にそれがはなはだしいが、これに反して低級な人間はずっと早く、しかも巧みに世の中に順応することができる。
いずれにせよ、知り合ったばかりの人間を非常によい人間だと思ったりしないように、細心の注意を払うがよい。そうでなければ、ほとんど全ての場合に失望させられ、われながら恥ずかしい思いをしたり、はなはだしきは損害をこうむったりするであろう。
ここで次の点をも考慮に入れておくがよい。すなわち緊張を要しないような些細なことに、人間はかえってその性格を現わすものだが、こういうときに、かりそめの行為やちょっとした態度に、他人をいささかも顧みない底抜けの利己主義を十分にうかがうことができ、後に大きな問題にぶつかると、事実その利己主義が、仮面をかぶっていても、おのずから現れるものだという点である。
だから、こうした機会は見逃さないようにするがよい。ある人が日常の些細な生活過程や生活状況の中で、すなわち「法律は瑣事を取り上げない」という原則の当て嵌まるようなことに関して傍若無人の振舞いに及び、他人を不利に陥れても自分の利益、自分の便宜のみを計らったり、みんなのために在る事物をわが物にしたり、そのほかそういったことをするようであれば、その人間の心には正義など少しも宿ってはいないのであって、法律と権力とで縛られなければ、たちまち大きな問題にも悪党振りを発揮する人間なのだと確信して、みだりに信用せぬがよい。げに、臆面もなくクラブの規約を破る者は、身の危険を招かずに済むなら、たちまち国の法をも破るであろう。
確かに、そうなのですが、しかし、騙されても人を信じるという生き方もあるかもしれません。
最初から人を疑ってしまうと色眼鏡で見るようになりがちです。
騙されても人を信じる生き方のほうがきれいです。
実は私の友人にそういう人がいて、どうしてここまでいい人なんだろうと思うのですが、それは私以外の人もそう思うらしくて、結局はその人の人望を高めて信用を得ているように見えます。
私は、その友人と比べると、人を疑って見るところがあるから、騙されにくいかもしれないけれど、それだけの人間だということだと思います。
人間の価値から言えば、騙されても、その友人のほうが、ずっと人間としての高いと思います。
この記事の趣旨からは逸れますが、私には、そういう友人がいるから参考のために書いてみましたが、この私のコメントは、削除してくださってもかまいません。