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織田信長はなぜ安土桃山城だったのか?  (琵琶湖は流通の大動脈だった)

2016年03月30日 | テレビや新聞の話題
☆ 太平洋から都へは大阪経由ではなかった  ☆

現在、静岡新聞の朝刊に連載されている小説
それは「安倍龍太郎」さんの「家康」だ
この小説が結構面白い
自分は毎朝楽しみに読んでいる

今朝の第209話
家康が信長に呼ばれて上洛する途中
信長の居城である岐阜城へ立ち寄り
信長とともに天守閣最上階へ行き
信長の野望を聞く場面だ

信長は
「あの山の向こうに琵琶湖がある。そこをくまなく支配し、畿内に流れ込むすべての商い物を統制下におかねばならぬ」
という
小説ではそのあとに、当時の琵琶湖が如何に重要地点だったかを説明してくれている
それを読んで、初めて分かった
そうか・・だから信長は安土桃山に城を築いたんだ・・と

日本海から都への流通路が敦賀湾からは海津へ、若狭湾から今津へ運ばれ琵琶湖の水路を利用して大津経由で都へ運搬された
うんうん・・それはわかる

一方、関東地方から太平洋で都へ運ばれるルート
自分は、当然大阪経由で川を遡上し都へ運ばれていたのだろうと思っていた
ところが・・当時は違っていたようだ
当時は伊勢湾岸で陸揚され鈴鹿峠を越えて大津へ陸送された
また大きなものは、揖斐川を遡り大垣から中山道の流通路へ乗せて琵琶湖の朝妻港まで運び水路で大津へ運んだというのだ

なぜ大阪経由じゃあなかったのか
それは、紀伊半島沖を黒潮が西から東に向かって流れている
当時の和船の操船技術ではこれを超えることが難しかった・・とのことだ

・な・る・ほ・ど・ね・~・

もちろん
西からのルートは瀬戸内海から大阪経由だった
よって琵琶湖は、太平洋・日本海と瀬戸内海を結ぶ、流通の大動脈だった

だから
「近江を制する者は天下を制する」といわれてきたというのだ

安土桃山城を建てたときの信長は、その大動脈の流通を支配していた
ということですよね・・

面白い上に
勉強になる


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