隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

暴力に勝るものはない?~「タンゴ」

2010年11月24日 00時08分12秒 | ライブリポート(演劇など)

『タンゴ』 (2010.11.19 at シアターコクーン)

原作 スワボミール・ムロジェック
演出 長塚圭史
出演 森山未来/吉田鋼太郎/秋山菜津子/片桐はいり/
          奥村佳恵/橋本さとし/辻萬長


▼自由っていう名の不自由?(よく聞く言い草?)
  「タンゴ」は、1965年初演のポーランドではきわめてポピュラーな作品という。
 登場人物がそれぞれに、さまざまな世代や主義主張や生き方のステレオタイプを見せる。
 若い頃にそれまでの
古い体制を粉砕し自由を勝ちえた親世代。今では実験演劇と称して、こっけいなさまを見せつつ、ただただ過去の栄光をあらゆる言葉を駆使して語る騒々しい父親。女性としての自由を謳歌しつつも、母性ももちあわせる母親。
 過去の闘いの栄光に酔いしれるだけで堕落しきっている親の姿に、日々やりきれなさと怒りを抱える息子アントゥル。
 息子夫婦の日常に便乗してポーカー三昧の祖母。
 いちばんまともそうだけど、結局は事なかれ的に生きてきた日和見の大叔父。
 アントゥルが毛嫌いする母親の愛人エーデック。
 アントゥルが自分の計画に誘う込もうとする奔放ないとこアラ。
 いやいや、ほんとうに賑やかすぎる。

 自分たちの闘いで獲得した自由が満ち溢れる今の世の中なのに、なぜ息子がそんなに苛立つのか、両親には理解できない。好きなことをしていいのだ、自由にすればいいじゃないか。
 息子には、無秩序に自堕落に暮らす両親や祖母や、そこに寄生するエーデックが許せない。
 でももっと苛立つのは、何をしていいかわからない自分。何をしてもいいという状況の中では何をしていいのか・・・。そしてそういう自分が生きる今の世の中。だから彼は、いつも怒っている。誰彼かまわず、荒い言葉をぶつけ、息を吐く。
 抵抗し、楯突くする対象が皆無っていうのは、能動的に前向きに生きる力を削ぐことになるのだろうか。これは現代に通じる大いなるアイロニーか。(自由すぎると、退屈しちゃうって?)

 その中で、アントゥルは、いまいましい家族の中に「秩序」をもたらすためにアラと正式に結婚するという計画を立てる(これがなんだかおもしろい。それさえ既成概念にとらわれたことを、両親はそれなりにショックを受ける)。

▼独裁者と日和見
 そしてアントゥルは次第に独裁者の様相を呈していく。
 かつては闘士であったはずの父親は、妻の不貞(古いな)にも実は動揺を見せたりして、ただの「男」になり下がる。
 人間社会を支配し変革していくものは?と問われて、人はさまざまなことを思い浮かべるだろう。
 形式、理念・・・。
 祖母が死んだときには、その「死」という現象が社会を変革していくものにもなり得そうだったけれど、そんなものはたやすく却下されて、祖母はあっけなく退場(世の中から?)、すぐに忘れ去られてしまう。
 結局最後に勝った?のは、エーデックによる「暴力」。この愚かで圧倒的な「力」の前に、アントゥルも、彼の独裁にあえなく従った父親も、輝きやエネルギーをあっという間に失っていく。
 最後は、エーデックとアントゥルの大叔父が見事なタンゴを踊って、しばらくはこの「体制」が続くのかな、と暗示する(結局、それも泡のようなものなのか、それはわからないけど)。
 タンゴというのが、かつてアントゥルの両親たちが闘っていた時代の「自由と革命の象徴」だとすれば、あのラストシーンでの誇らしげに不気味に変身したエーデックの姿は大いに意味がある。

 大叔父の存在もおもしろい。
 自分の甥夫婦の自堕落な生活にも、独裁者と化したアントゥルのもとでも、不満を示しながらも順応に対応し、最後は暴力革命を成功させたエーデックのタンゴステップを巧みに受け止める・・・。
 うまく時代を生き延びる・・・、そういう多くの人間の生き方のスキルと情けなさを見せつけられた気分。

 演出家の長塚氏がステージ上にさりげなく現れ、小道具を移動させたり的確な位置に置いたり、ひっそり座って役者たちの芝居と見たり・・・。
 これって、時代の流れ、時代の変化を見守る大いなる目の象徴なのか。

 常に動いているみたいなステージ上の装置、シンプルだけど透明な素材のテーブルや椅子が、軽く安易に移り変わっていく時代と人間たちをあざっけているようにも見えた(考えすぎか?)

▼役者たち-ホントに片桐はいり??
 アントゥル役の森山未来。さすが舞台で培った素材の輝き。しなやかな身体。
 鉄砲のように発射される言葉の数々が前半では聞き取りにくいところ、滑り気味なところがあったけれど、終盤はすごかったな。迫力と悲しさ、伝わってきた。
 父親役の吉田鋼太郎。相変わらずの迫力。ずっと声を張り上げる場面が続くから、ときどき耳に入ってこない言葉があり、ちょっと残念。強さと情けなさ、それを併せ持つこの役は適役かも。
 大伯父役の萬長。口跡の心地よさは変わらず。
 祖母役の片桐はいり。ホント?って最後まで疑っていた。降板して誰か代役?とも思ったし。
 
終演後、ツレは、
 「片桐はいり? 違うでしょ、絶対」
 と言って、いまだにそう思っているはず。


 ちなみに今回の芝居は同行した人の好みではなく、
 「長塚は才能あふれる男だけど、才気に走ってないか? 『悪魔の唄』や『LAST SHOW』みたいなのが観たい・・・」
 そう言ってました。
 私も、それはどちらもまた観てみたいけど・・・。


       ◆       ◆       ◆

 仕事帰りに携帯に「北朝鮮砲撃」のニュース。
 砲撃された韓国の島のほんの10数キロ先に見える北朝鮮の陸地に衝撃。
 無理な三代世襲制の揺らぎを隠すために外での緊張を求めたとか、韓国の軍事訓練への敵意ある抗議・・・とか。
 だけど繰り返されるこぜりあいの根の根には、朝鮮戦争どころか、列強による南北分断があるんだよな。


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