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隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

記憶の中の愛すべき猫たち

2010年01月11日 18時49分00秒 | プチエッセイ
 「犬派? 猫派?」と聞かれたら、それはもう間違いなく猫派。間髪入れずに「ネコ!」と答える。
 計3匹の猫たちと寝食をともにした経験あり。
 
■美形な玉三郎■
 最初に出会ったのはオスのとら猫「玉三郎」。そりゃ、見事な美形だった。塀の上を歩く姿は堂々として、飼い猫ながら惚れ惚れ。
 友人の友人からもらい受けたときはまだ生後1カ月くらいだったか。海苔が大好物でカサカサという海苔の音を聞きつけると、どこからともなく猛スピードで駆けつけて、大きく鼻を鳴らしていたっけ。

 オスだから行動半径が大きくて、行方不明になること2回。最初のときは学校から戻ると夜遅くまで近所を探し回った。そりゃ、もう必死。あんなにせっぱ詰まった気持ちで誰かを探したことなんてあったかなあ、と思うくらい。おかげで町内のどんな路地にも詳しくなってしまった。無駄なことなんだけど。
 数日後、線路の向こう側の住宅の縁の下にそれらしき猫がいるという情報を得て、急いで駆けつけると、縁の下からは「ぎゃ~、ぎゃ~」という嗄れてしまった弱々しい鳴き声。こんな声じゃなかったぞ、と思いつつも名前を呼ぶと、中から出てきたのはまぎれもなくわが玉三郎。私と弟をめがけて飛んできた。そんなことはありえないんだろうけど、記憶の映像の中では、私たち三人はひしと抱き合ったはずなんだ。あわれなほどに痩せこけていたが、10日もたたないうちに元どおりの美形に戻った。だけど、彼の嗄れた声はそれ以来なおることはなかった。

 2度目の家出はそれから半年後。そのときも何日もかけて探し続けたけれど、結局彼は帰ってこなかった。しばらくの間、近くを歩いていて猫の鳴き声が聞こえると、しばらくそこから離れられなかったし、夢にも何度も現れた。
 そういえば、もう何年も思い出すこともなかったな。ゴメン。



■愛するタマ■



 私がいちばん愛したタマ。猫の名前が「タマ」って、サザエさんじゃないんだし、ある意味あり得ない…。玉三郎の行方不明から立ち直っていなかった私たちが最初冗談のつもりで「タマ」と呼んでいて、いつの間にか本当に「タマ」になっていた。

 こっちはメス、で、ノラ猫出身。
 実は、どんな高価な猫よりも、というか、比べものにならないくらい、ノラ猫がかわいい。みかけると、私はネコ語で話しかける。で、「アンタ、なに言ってるの?」的な高慢な視線を食らう。あの生意気さがたまらなくいい。たまに愛想よく近づいてきて「ゴロニャ~ン」なんてされると、うれしさ半分、「あなた、猫でしょっ! そんな媚び売ってどーするの」なんてお説教してしまう。猫にしたら迷惑な話だ。

 で、このタマはたぶん生後数か月で、わが弟の彼女に拾われた。彼女の家にはすでに数匹のノラ出身がいたので、急遽わが家に配属となった。
 愛想のないヤツなんだけど、さりげなく「キライじゃないよビーム」を送ってくる。そのさりげなさが猫としての品位を倍増させる。
 家族の誰に対しても微妙な距離を保ちながら、「それでもワタシは、実はあなたがいちばん好きです」をみんなに伝える。八方美人では決してないんだけど、その孤高な感じの陰で秘かに伝えてくれるんだ。
 晩酌をする父のひざの上に乗る。何かをせがみはしないけど、父が刺身の切れ端をくれることをちゃんと計算している。父はひそかに「タマは結局オレにいちばんなついている」と思ったにちがいない。「おまえは賢い」が父の口癖だった。
 私がいないときには、弟の部屋を訪ねていたらしい。ピアノの上に丸くなって,何時間もオレの演奏に聴き入っている…、弟は得意そうだった。
 ばらばらな家族だったが、タマの前では一つを装えた。

 私が出かけるときたいてい近くの橋までついてくる。短い買い物をすませて戻ってくると、橋の周辺のどこからともなく現れて、2、3メートル離れたところを「別にアンタを待ってたわけじゃないよ」という感じで歩いたりする。大学に行くときには、橋のところで「帰ってくるのは夜だからね。待ってちゃダメだよ」と言うと、「待ってなんかいないよ」と言いながら?家のほうに戻っていく。賢い猫だった。
 帰宅して部屋に行くと、5分くらいあとからやってきて、ドアの前で小さく鳴いたりする。ドアを開けてやると、別に私に関心を示すわけでもなく、ベッドの上にあがって、おもむろに身体をなめたり…。
 ときには屋根伝いに窓の外に現れ、爪でガラスをキーキーさせる。窓を開けてやると、同じようにそろりと入ってきて、ベッドの上で自分の世界に入ってしまう。
 たまに私が机に向かって集中していると、ノートの真ん中にお尻をのせて邪魔をする。抱きかかえて下ろすと何度でもあがってきて邪魔をする。

 寒いときには、私のふとんに入ってきて、足のあたりで丸くなっている。朝になるといつの間にか、私の顔のわきにかわいい寝顔があったりする。私が起きてもそのまま眠りこけていて、「ずっとあとになって起きてきたわよ」なんて母が。
 子猫のときは小さな指の動きにも反応して、布団の中の私の足は傷だらけだったけど、そんな時間は短く、すぐに大人になってしまった。

 あんなに孤高なやつだったのに、思春期には私と弟を大いに悩ませた。奇妙な声をあげて、夜な夜な外に出ていく。一度現場をおさえたときには、「うちの娘になにをするっ!」てな勢いで、私たちは屋根伝いに相手の男(!)を追いかけたものだ。
 それでも「思春期の娘が親の思いどおりになるわけもなく」(ホント)、妊娠が発覚。相手は誰だ!と言いながら弟と何時間も盛り上がったのは、今となっては懐かしい思い出だ。

 そして階段の下の暗い戸棚の中で、愛らしい子どもたちが6匹誕生。その子どもたちの毛の色を見ながら、高校で学んだ遺伝の知識を引っ張ってきて、「タマの相手は例のノラ猫だったんだ!」と弟が解説していたっけ。
 タマはもともと虚弱体質で、本当は出産は難しいと言われた。だからなのか、そのかわいい子どもたちは1週間の間につぎつぎと息をしなくなった。獣医さんのアドバイスで私たちがミルクをやろうと1匹ずつ箱から出そうとすると、それまで見せたことのない形相で怒っていたタマ。そして次の日には、その子どもたちを1匹ずつ加えて、今度は廊下の奥の暗がりに住みかを移動させたり。子どもが1匹ずつ姿を消すと、タマは不安そうに家の中をウロウロしていた。明らかに子どもを探す母の姿だった。母性って、こういうことを言うんだ…、私はタマからそれを教わったことになる。
 再び妊娠したらどうなるか…と言われ、タマは避妊手術をさせられた。病院に向かう車の中で、バスケットに入れられたタマは途切れることなく、切ない声で鳴いていたっけ。あれは「泣いて」いたんだろうか。
 そしてまた、タマはもとのタマに戻った。

 何年も蜜月の時代がありながら、興味の対象が外に向かい私が家を飛び出したあとも、実家を訪れればいつも、タマは変わらず無関心さを装いながらも、いつの間にはかたわらにやってきて、「元気そうじゃない」というように私の手に頭をおしつけてきた。何より心が安らぐ一瞬だったように思う。

 そしてタマは突然に逝った。新しい命の誕生の次の朝、「もう私の役目は終わったでしょ」とでも言うように。まだ寒さの残る早春の朝、彼女の大好きな風呂場のフタから転げ落ちて、それきりだった。
 思ったほどの衝撃もなく、私はその知らせを聞いた。いとしいタマだったけど、その事実を冷静に受け入れられるほどに、ちゃんと時間が過ぎていたということだろうか。
 それでも、それ以来どんな猫に出会っても、私の中の「猫スタンダード」はタマであり、きっとこれからも変わらないと思っている。



■「バカな…ほど」■



 タマより遅れること数年でわが家に来たのが「ノンちゃん」。これも弟の彼女がどこからか見つけてきたノラ。
 「ノンちゃん」って…、今では考えられないような名前。でも写真の感じから明らかなように、この名前にぴったりの「気のいい猫」。家族はみな、「タマに比べておまえは…」という枕コトバで彼女を描写し、それが少々乱暴な愛情表現だった。
 タマのような利発な?反応はなく、何度言い聞かせても、父の膝に座ってテーブルの上のものに手を伸ばすのをやめることはなかった。父はそんなノンをこよなくかわいがった。

 タマとノンは同時期の同居猫だったけれど、コミュニケーションは皆無だった。はじめの頃はさすがにノンはタマにじゃれついていたけれど、出産で母性に目覚めたはずのタマは、しかしまだ子猫だったノンに反応することはなく、二人はタマが亡くなるまでの何年か、お互いに対してまったくの無関心を貫いた。
 ときおり、タマのエサの皿の前にノンが座ることがあったが、タマが黙って押し入ると、ノンも黙って引き下がった。
 見事なほどの、そしてどこかせつない無関心さだったように思う。

 ノンは本当に天寿を全うして、コタツ布団の上で静かに逝った。叱りながらもノンを膝に抱いていた父が亡くなったのはそれから1年後のことだった。
 ノンが亡くなったあと、父はこう言っていた。「これで留守を心配することなく出かけられる。もう生き物を飼うのはコリゴリだ」
 でも晩酌のときにはきっと、膝にのぼってきたノンの感触を思い出していたと思う。「コリゴリだ」は父特有の寂しさの表現だったのだろう。




【番外編】
●縁の下の白グレ
 タマやノンがいた頃、わが家の庭先に現れた「きたない」ノラ。
 白いところが汚れてグレーになっていたから「白グレちゃん」(なんてセンスのない家族だったんだ!)。
 だぶついた肉と崩れた顔…。どこを見ても魅力のかけらもない猫だったけれど、でもノラとしてのプライド?だけは忘れない見事なやつだった。

 タマとノンは最初威嚇していたけど、「キミたちも同じ運命をたどったかもしれないんだぞ。そんな冷たいことしなくても」という私の嘆きが通じたわけでもないだろうが、そのうちに白グレが現れても無関心になった。

 白グレは決して私たちに近寄らなかった。最初はエサを置いても見向きもしなかった。何週間もして晩秋の風がどこか冷たくなった頃、初めてエサの皿が空になっていた。やった!と思った。
 エサの場所は最初は塀の近くだったが、それをだんだん近づけていき、最後は縁側の大きな石の上で食べるようになった。
 食べ終わると、縁側の向こう側でガラス戸に体を押しつけ、「食べ終わりました。ごちそうさま」とでも言うかのように合図し、誰かが気づいて戸を開けると、さっとどこかに去っていった。
 どれくらいの年月をノラとして生きてきたのかわからないが、体の芯まで「ノラ暮らし」がしみついていたんだろう。

 どう見ても老いぼれの猫だ。この寒い季節の夜をどうやって過ごすのだろうと思った私と弟は、縁の下に段ボールを置き、中に古いバスタオルを敷きつめた。そして、エサをそのすぐそばに置くようにした。
 白グレは縁の下まで入ってエサを食べたが、段ボールに入ることはなかった。毎朝、段ボールの中を見ては、私たちはため息をついていた。
 年が明けてからか、一晩中雪が降り続いたことがあった。ぬくぬくと暖かい部屋で丸くなるタマたちを見ながら、あの老いた猫はどうしているんだろう、と思いを馳せていたが、次の朝段ボールの中を見ると、白グレはいなかったけれど、たしかにそこに寝ていた痕跡があった。
 寒さに耐えられなかったのか、あるいは私たちを信用してくれたのか…。

 それ以来、ときどき縁の下を出入りする姿を見かけるようになった。
 その白グレがいなくなったのは、春の気配がし始めた頃だったと思う。縁の下を死に場所にすることはなかった。



●猫の一家
 2年前まで、古いアパートを貸切で仕事場にしていた。
 訪れる人たちがみな、「いまどきこんなところがあるんだね」と言い、安らぐと言いながら長居をしていく不思議な建物だった。

 私の仕事部屋の脇の塀の上が、とある猫のカップルの散歩コースだった。メスのほうが首輪をつけていたから飼い猫だったのだろう。
 通るたびに声をかけるのだが、最初の頃は脱兎のごとく走っていってしまった。そのうちになつきはしないけど、胡散臭いものを見るような目で振りかえるようにはなった。
 すごい進歩だ、と相棒が喜んでいた。
 そのうち、メスのほうのおなかが大きくなり、それでも午前中の散歩は続いていた。

 少しの間、そのカップルの姿を見ることもなくなったが,それからどれくらいしてからか、3匹の子猫が周辺をウロウロするようになった。それはかわいい子猫たち。
 アパートの入口はいつもオープンになっていたので、ときどき子猫たちが廊下にあがってくる。いつも積極的な子猫と、臆病なのか、入口からなかなか入ってこない子猫。
 私たちがドアから顔を出すと、さっと逃げていくのだけれど、そういうことを何日も続けると、安心して廊下で遊んだりするようになった。 
 そしてある日、あのカップルの猫がやってきて、私たちに敵意のある視線を送ると、子猫たちをうながして去ってしまったのだ。
 そしてそれからしばらくして、例の塀の上は親子5匹の散歩コースとなった。
 子猫たちは見るたびに立派になっていき、私たちが声をかけると、廊下で遊んでいた頃の幼さを少しだけ見せてくれる。ちゃんとお母さんのあとをついていく子、いつも後ろからやってきて、お父さんを待たせる子。

 古いアパートを立て直すために私たちは引っ越してしまったけれど、あの猫の一家はどうしているだろう。
 子どもたちはもう独立して、あの塀の上はまたあの夫婦猫の散歩コースになっているだろうか。




 「思い出は語らないと色あせてしまう」
 これが私のたったひとつの持論。
 だから、忘れたくない人や、忘れたくない出来事は、ときおり誰かと語り合うことにしている。
 ただ、いわゆるペットの話題で誰かの大事な時間を使わせてしまうのは申し訳ない。だって、見たこともないペットの話ほど退屈なものはないと、私自身が思うから。
 タマやノンを知る人がもういなくなった今、こうやって書くことで、記憶が鮮明になったり、忘れていたことを思い出したりできた。
 大事にしまっておこう。

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