隠れ家-かけらの世界-

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一生つき合いたかった人~姉、岸田今日子を語る(『朝日新聞』より)

2006年12月26日 19時05分16秒 | プチエッセイ
2006年12月25日(月)『朝日新聞』夕刊・芸能欄より
「ユーモア解し心の奥洞察~妹・岸田今日子を語る」

■「妖界」から来た不思議なおばあさん
  岸田今日子といえば、まず最初に「舞台の人」だが、その狭い世界に閉じこもることなく活動された女優さんという印象が強い。テレビドラマにも多く出演しているし、ムーミンの声も頭の中に残っている。
 バラエティーっぽいものにも出ていたが、そういう場にあっても、「岸田今日子」というブランドは決してくずさなかった。
 はじめてテレビで見たとき、私は幼心に、すでに「かなりの年配」の女優さんだと思っていた。失礼を承知で言えば、なんとなく「おばあさん顔」という感じ? でもふつうのおばあさんと違うことは子どもの私にもわかった。今なら「なんとなく色っぽさも漂っている」と表現できるけれど、当時は「妖界から来た人」という形容しかできなかったなあ。 それでも、しゃべり方といい、身のこなしといい、どこか普通じゃない品の良さもあったし。
 幼いのか、老獪なのか、微妙にユラユラ揺れながら、芸能界という特殊な世界を通り過ぎていったような…、そんな人だったのだろうか。

■もし他人だったとしても…
 この記事では、詩人で童話作家の岸田衿子さんが姉、岸田今日子を語っている。1つ違いの妹だそうだが、控えめな言葉と慎ましいためらいの中に姉への愛情と尊敬の念が感じられて心地よい文章だ。
 幼い頃からの姉との交流、そして姉が病んでからのつながりが、乾いた言葉の中に優しく浮かび上がる。衰えていく姉を見守り、そして亡くなった姉を淡々と見送るかのような思いの中に、成熟した姉妹の関係が垣間見られて、読んでいるほうも心が穏やかになる。
 「もし他人だったとしても一生つき合いたかった人」…、姉へのこれ以上の賛美はあるだろうか。こんな言葉に送られて旅立つなんて、ぜいたくすぎるような気さえする。
 私にはもうきょうだいはいない。もし弟が生きていたら、ずっと先になって消えていく私を、どんな言葉で見送ってくれただろうか、と思うと、せつないなあ。

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