
6月8日、『モスクワからの退却』(加藤健一事務所) 於・本多劇場
加藤健一、久野綾希子、山本芳樹によるセリフ劇。
舞台には椅子とテーブルがあるだけで、それらを巧みに使って、場面転換や時間の流れを表す。
今回は加藤健一事務所の先行予約でチケットをとったためか、最前列のほぼ真ん中の席。ぜいたくを言ってはいけないけれど、芝居はもうちょっと後ろがベスト。三人の立ち位置のバランスがとても心地よかったので、その全体像を見てみたかったような…。
●どこまでも平行線
学校で歴史を教えている穏やかで常識人の夫、詩を語り(アンソロジーを編集している)、知的で少々エキセントリックな妻。
長い結婚生活の末、二人の間に生じたずれは、会話の端々に表れる。妻は夫の「君がいいなら」という言葉にもイライラする。「そうじゃなくて、あなたはどうなの? あなたは何をしたいの?」。 客席から聞こえる失笑…、みんな覚えのあることなのかもしれない。
妻に責められておどおどする夫。大好きなクロスワードパズルさえ、妻は気に入らない。「一日に30分するだけだよ」と言う夫に、「一日に30分ということは1カ月に…、1年で…、私と結婚して30年だから…」と責めたてる。
「私と向かい合って!」「あなたはいつも逃げてばかり」「本物の夫婦になりたいのに」
何もなければ、そういう会話をかわしつつも、二人の生活は続き、いつしか妻は責めたてることにも疲れ、「本物」ではなくても穏やかな暮らしが当たり前のように終焉を迎えるまで続いたのかもしれない。そうはいかなかったのは、夫に恋人ができたから。穏やかに「自分の暮らし」をしたいと決心したから。
ストーリーは、夫が家を出たあと、寂しさと怒りで妻が常軌を逸し、息子を巻き込んでいく。
妻には夫の望むことが理解できない。家庭という戦場から逃げ出そうとする夫と、そこにとどまって真の結婚生活を送りたいと切望する妻。
これはもう大変な状況だ。どちらにも悲劇。それでも幸せな時はあったと、それは二人とも認める。
出会った頃は、夫は若くて知的で活動的な妻に大いに刺激を受けたのだろう。インドを旅行したときのことを語る夫の目は懐かしさで輝いているし、息子が幼かった頃を語り合う夫婦は優しい穏やかな表情になる。
でも、それは長くは続かなかったし、もちろん「永遠」ではなかったのだろう。
夫には、自分が妻の望む男にはなれないことがよくわかっている。でも、妻にはわからない。だから「なぜ?」という問いかけが、ただただ空しい。
静かに穏やかに「自分のままで」暮らしたいと望む夫と、「本物」に到達するためならいつまでも右往左往することになんの迷いもない妻。
どちらも真摯に生きていることには変わりないから、この平行線は悲しい。
●父と母と息子の美しいトライアングル
二人には離れて暮らす32歳の息子がいる。この息子への愛情はどちらも深く優しい。そして息子が抱く父と母への思いも、限りなく優しい。
父の求める安らぎにも、母の熱望する「本物」にも、息子は理解を示し、受けとめる。二人の諍いに巻き込まれながら、そしてたぶん自分の問題も抱えながら、それでもバランスを保って、二人に愛を注ぐ。
家を出た父には母の寂しさを伝え、母には父がもう新しい道を歩み始めたことを諭す。二人にとって、息子はかつての幸せの象徴。そして、自分たちの犯した罪の犠牲者。
自殺をほのめかす母に息子は言う。「あなたはいつも僕の前を歩いていた。今も、きっとこれからもそうだろう。あなたが苦しみながらも生きてくれたら、僕はその姿を見て、人生を学んでいくだろう」 親というのは、子どもにとってそういう存在なのか、と心をつかれる思いがした。
最後の場面で、はじめて心を通わせた二人の背後で、息子は父と母を讃える言葉を並べる。彼にとって、父として、母として、どんなに魅力的で力強い存在であったか、そしてこれからもそうであろうという思い。それがまっすぐに伝わってきて、なんだか救われるような思いだった。
もう再び一緒に歩くことはない夫婦だが、夫が妻に投げかけた言葉に妻は言う、「そう、それが本物なの」。
二人は戦場から退却したけれど、違う世界に生きていくんだろう。
そして、夫婦としてはいびつな関係だったけれど、ひとたび息子が加わると、そこにはトライアングルの静謐な美しさが生まれる。それがひどく印象的だった。
「モスクワからの退却」は、ナポレオンがモスクワから退却した、あの歴史上の出来事からくる。
いつも思うのだが、加藤健一事務所の作品は翻訳劇でも翻訳劇臭さがない。日本語が生きている。
そして、深刻なテーマの中に流れる、ふとした笑いに救われる。今回もそのコントラストが絶妙だった。
三人の俳優の奇をてらわない、ごくごく自然な演技と、久野さんのかわいらしさがすてきでした。
加藤健一、久野綾希子、山本芳樹によるセリフ劇。
舞台には椅子とテーブルがあるだけで、それらを巧みに使って、場面転換や時間の流れを表す。
今回は加藤健一事務所の先行予約でチケットをとったためか、最前列のほぼ真ん中の席。ぜいたくを言ってはいけないけれど、芝居はもうちょっと後ろがベスト。三人の立ち位置のバランスがとても心地よかったので、その全体像を見てみたかったような…。
●どこまでも平行線
学校で歴史を教えている穏やかで常識人の夫、詩を語り(アンソロジーを編集している)、知的で少々エキセントリックな妻。
長い結婚生活の末、二人の間に生じたずれは、会話の端々に表れる。妻は夫の「君がいいなら」という言葉にもイライラする。「そうじゃなくて、あなたはどうなの? あなたは何をしたいの?」。 客席から聞こえる失笑…、みんな覚えのあることなのかもしれない。
妻に責められておどおどする夫。大好きなクロスワードパズルさえ、妻は気に入らない。「一日に30分するだけだよ」と言う夫に、「一日に30分ということは1カ月に…、1年で…、私と結婚して30年だから…」と責めたてる。
「私と向かい合って!」「あなたはいつも逃げてばかり」「本物の夫婦になりたいのに」
何もなければ、そういう会話をかわしつつも、二人の生活は続き、いつしか妻は責めたてることにも疲れ、「本物」ではなくても穏やかな暮らしが当たり前のように終焉を迎えるまで続いたのかもしれない。そうはいかなかったのは、夫に恋人ができたから。穏やかに「自分の暮らし」をしたいと決心したから。
ストーリーは、夫が家を出たあと、寂しさと怒りで妻が常軌を逸し、息子を巻き込んでいく。
妻には夫の望むことが理解できない。家庭という戦場から逃げ出そうとする夫と、そこにとどまって真の結婚生活を送りたいと切望する妻。
これはもう大変な状況だ。どちらにも悲劇。それでも幸せな時はあったと、それは二人とも認める。
出会った頃は、夫は若くて知的で活動的な妻に大いに刺激を受けたのだろう。インドを旅行したときのことを語る夫の目は懐かしさで輝いているし、息子が幼かった頃を語り合う夫婦は優しい穏やかな表情になる。
でも、それは長くは続かなかったし、もちろん「永遠」ではなかったのだろう。
夫には、自分が妻の望む男にはなれないことがよくわかっている。でも、妻にはわからない。だから「なぜ?」という問いかけが、ただただ空しい。
静かに穏やかに「自分のままで」暮らしたいと望む夫と、「本物」に到達するためならいつまでも右往左往することになんの迷いもない妻。
どちらも真摯に生きていることには変わりないから、この平行線は悲しい。
●父と母と息子の美しいトライアングル
二人には離れて暮らす32歳の息子がいる。この息子への愛情はどちらも深く優しい。そして息子が抱く父と母への思いも、限りなく優しい。
父の求める安らぎにも、母の熱望する「本物」にも、息子は理解を示し、受けとめる。二人の諍いに巻き込まれながら、そしてたぶん自分の問題も抱えながら、それでもバランスを保って、二人に愛を注ぐ。
家を出た父には母の寂しさを伝え、母には父がもう新しい道を歩み始めたことを諭す。二人にとって、息子はかつての幸せの象徴。そして、自分たちの犯した罪の犠牲者。
自殺をほのめかす母に息子は言う。「あなたはいつも僕の前を歩いていた。今も、きっとこれからもそうだろう。あなたが苦しみながらも生きてくれたら、僕はその姿を見て、人生を学んでいくだろう」 親というのは、子どもにとってそういう存在なのか、と心をつかれる思いがした。
最後の場面で、はじめて心を通わせた二人の背後で、息子は父と母を讃える言葉を並べる。彼にとって、父として、母として、どんなに魅力的で力強い存在であったか、そしてこれからもそうであろうという思い。それがまっすぐに伝わってきて、なんだか救われるような思いだった。
もう再び一緒に歩くことはない夫婦だが、夫が妻に投げかけた言葉に妻は言う、「そう、それが本物なの」。
二人は戦場から退却したけれど、違う世界に生きていくんだろう。
そして、夫婦としてはいびつな関係だったけれど、ひとたび息子が加わると、そこにはトライアングルの静謐な美しさが生まれる。それがひどく印象的だった。
「モスクワからの退却」は、ナポレオンがモスクワから退却した、あの歴史上の出来事からくる。
いつも思うのだが、加藤健一事務所の作品は翻訳劇でも翻訳劇臭さがない。日本語が生きている。
そして、深刻なテーマの中に流れる、ふとした笑いに救われる。今回もそのコントラストが絶妙だった。
三人の俳優の奇をてらわない、ごくごく自然な演技と、久野さんのかわいらしさがすてきでした。