隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「穏やかだけどキレることも…」~秋葉原通り魔事件の報道

2008年06月10日 00時58分30秒 | 日記
2008年6月9日 (月)

●安易なドラマ化
 秋葉原の通り魔事件。悲惨な状況がまるで映画のように流れる。
 ケイタイやデジカメによるにわかカメラマンによる映像がニュース番組に流れるということがいかにも“今”という感じ。
 事件について、ここで語る言葉を私はもっていない。ケイタイで実況中継をするかのような行為への戸惑いと、「誰でもいいから」発言がどこから来るのか ということがまだくすぶっているような状況だ。ただいつもながらのメディアの報道のしかたには、今回もやはり「?」を感じる。
 どれだけの人数を総動員しても、たった一日で一人の人間を調べ上げることはできない。どれだけの友人に取材して、「普段は穏やかだけれどキレることもある」という人物像を描き出したのか。その友人はどの程度の友人なのか、どの程度の同級生なのか。「普段は穏やかだけれどキレることもある」人の存在は、私の周囲でも珍しいことじゃない。私だって、たまにはキレる。
 被害に遭われた方、亡くなった方、その無念さ、ご家族の憤り、悲しみは私の想像をはるかに越える。
 それでも、私はメディアの作り上げるドラマのように安易な人物描写に違和感を覚える。まるで結婚式での新郎新婦紹介のような「いい人」で片づけられて(結婚式はお祝いの席だから、きっとあれでいいんだろうけど)、私が家族ならむしろやりきれない。ドラマは単に事件の残忍さ、悲惨さを強調する道具になってしまっている。
 ああいう作り方をするなら…、とふっと考える。きっと今回の容疑者が犠牲者だったら、きっとそこでもきれいなドラマが作られるだろう。そして、たとえだとしてもこんなことを書いてはいけないのかもしれないが、今回の被害者の一人がもし容疑者だったとしたら、そこではどんな偏執さが強調されただろうか。


●くだらない抗議
 「報道ステーション」での古館キャスターの発言を巡って、自民党は党役員会などの撮影の無期限禁止を通知したそうだ(コチラをどうぞ)。
 今夜、古館氏は「今、政治家が笑っていられる局面は何一つない。血の通った施策を行っているか、一つ一つの事態に真摯に対応しているか」とカメラをにらむようにして訴えた。自分は未熟でさまざまな批判を視聴者から受けながらここまでやってきた、これからもそうしていくだろう、ということも。
 自民党は抗議のための行動だけは素早いんだな。抗議されたときはのらりくらりなのに。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夏の終わりの子どものように | トップ | はじめての街で »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。