goo blog サービス終了のお知らせ 

隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

すべては川の底に~『ミスティック・リバー』

2007年07月10日 19時07分25秒 | 映画レビュー
ミスティック・リバー』(2003年)
■監督■ クリント・イーストウッド
■出演■ ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケビン・ベーコン(アカデミー主演男優賞、助演男優賞)


★「ミスティック・リバー」に消えたそれぞれの人生?
 ジミー(ショーン・ペン)、デイブ(ティム・ロビンス)、ショーン(ケビン・ベーコン)の3人の少年がボストンの街角で遊んでいるところから、この映画はスタートする。3人のうちデイブだけが警官を装った男たちに連れ去られ、断片的に流れる映像で、残酷な性的暴行を受けたことがわかる。
 そして、物語は始まる。
 人生の裏街道を歩き、悪に手を染めつつも、今は家庭人として子どもを愛するジミー、幼い頃のトラウマに苦しみ不安定な精神状態はありながらも、幼い息子を愛するデイブ、そして今は刑事となったショーンは妻との問題を抱えている。
 ジミーが溺愛する娘が無惨にも殺され、その事件をきっかけに、その3人が再び関わりをもつようになる。
 誰が殺したのか、というストーリーのおもしろさは抜群だが、この映画は結局のところ、ミステリーじゃない。男たちの胸にひそむ悔恨や、家族への愛情、過去の出来事から解き放たれない心…、そういうものが三者三様にそれぞれを縛りつけ、新たに生きることを難しくさせている、そういう人間のドラマだ。
 あのとき連れ去られたのが自分でなかったら、とデイブは思う。そしてジミーとショーンは、自分が連れ去られていたら、と。そこから一歩も踏み出せずに、時に忸怩たる思いに自らを苦しめていたのかもしれない、無意識のうちに。
 最後は悲惨だ。犯人はほかにいたのに、結局デイブはジミーに殺され、それが暴かれることもない。
 「ミスティック・リバー」はボストンの川の名前だが(ボストンに行ったことのある友人の話では、別名があるらしい、ということだけど)、mysticは「神秘の、不可解な、謎の」というような意味だから、つまりは、その川の中に真相は隠されたまま流れてしまったということなのだろう。
 正義というものを考えれば、なんとも複雑な思いで映画は終わってしまうが、残された者たちが結局は何からも解放されることなく、この先も生きていくことを想像すると、善悪を越えた深い人間の業のようなものを彷彿とさせて、心に重いものが残る。

★三人三様
 あくの強い、押しの強い、時に不快になるくらいに濃いめのキャラクターを演じるショーン・ペン。憎らしいくらいに適役だと思う。
 一方、トラウマを抱え、不器用に暮らすデイブ役のティム・ロビンスは、すべてにおいて生きることの下手くそな男を演じて、悲しいくらいに迫ってくる。
 生きることにおいてはショーンがいちばんバランスを保てるキャラだと思うが、ケビン・ベーコンがおさえ気味な演技で救ってくれる。
 演技について、なんて生意気なことは言えないが、3人がそれぞれに抱えたものが観る者に静かに伝わってくる、という点で、映画の成功はこの3人の役者にあったと言ってもいいような気さえする。
 それにしても、クリント・イーストウッドはやっぱりすごいな。最近観た『ミリオンダラー・ベイビー』もおもしろかったけど(この映画は筋のおもしろさ、というより、クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマンの演技が秀逸で、「ん、アカデミー作品賞?」とは思ったけど)、まったく趣の違う映画で、今回はドーンと重くなってしまった。



 最初の場面で、デイブが男たちに連れ去られる前、3人はまだ乾ききっていない道路に自分たちの名前をいたずら描きするんだけど、ジミー、ショーンと書いて、デイブが途中まで書きかけたところで、男たちに「おまえたち、何をしているんだ!」と声をかけられる。
 道路に残された文字。デイブの名前が途中で終わっている、というのが、なんとも象徴的だ。
 あのときから、3人の時計は止まったままだったのだろうか。


 余談ですが、ティム・ロビンスはスーザン・サランドンのパートナーなんですね。それに、この前DVDで観た「デッドマン・ウォーキング」(よかったら、ココを見てください)の監督なんだー!!! びっくり。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。