隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

日の丸の重さ?~東京オリンピックのマラソン秘話

2006年11月29日 17時04分08秒 | プチエッセイ
  今日(2006年11月28日)の『朝日新聞』の夕刊「ニッポン 人脈記」より。

■走る楽しさなんて…
 どんなにつらいことでも、好きであれば耐えられることも少なくない。もちろん好きなことだって、あまりにキツイことだったら、たいていの人は逃げるかもしれないし、少なくとも好きではいられなくなるだろう。
 私はこの前の日曜に10キロを1時間+αで走ったけれど、これだって、キツイだけなら来年はやめるだろう。6回も続けて参加するのは、走ることより、走ったあとの爽快感と、友人との温泉と酒盛りがあるから、たぶん。
 そして、誰に強制されたこともないし、誰かのために走っているわけでもない。ただただ自分で決めて自分の満足のために走っている。だから続いているんだ。
 でも東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手は、そうではなかったんだな。今だって、金メダルの数で盛り上がるメディアやわれわれ国民からのプレッシャーに重いものを感じて「うざいな」と思っている選手はいるだろうけど、東京オリンピックの頃はその比じゃなかったのかもしれない。
 夕刊には「戦後の焼け跡から立ち直った日本を世界に誇れる晴れ舞台」と書いてある。その東京で開催されたオリンピックで、もともと日本のお家芸といわれていたマラソンでメダルをとることは、選手に課された使命だったようだ。
 円谷と同年代で東京オリンピックで8位に入賞した君原健二選手は、沿道の声援が憎かったと語っている。今のマラソン選手の何人かは、沿道の声援に後押しされて頑張れる、と語っているが、もう「隔世の感」という感じだな。
 それって、人それぞれ、ということではないんだろう。時代の違いとしか思えない。
 人間って、ときにはひどく過酷なことを他人に要求しちゃうんだ、怖いよね。今だって、決して皆無ではないだろう、こういう現象。

■もう想像するしかないけど
 円谷選手は次のメキシコオリンピックを目前にした冬に、自室で遺書を残して亡くなる。
 その遺書の中身は公表されて多くの人が知っているけど、あの「…、美味しゅうございました」という感謝の言葉の羅列の奥にどんな思いが交錯していたのだろうと想像すると、胸の奥が痛くなる。
 最後に書かれた両親への「もう走ることに疲れました」。原因は第三者にわかるはずもないけれど、生きながらえて逃げ道を模索することは、彼の生き方の選択肢にはなかったのだろう。
 君原は今でも円谷の墓参りを続けているという。競技選手として引退してからも、さまざまな大会に参加している君原は、そういう立場になってはじめて、走ることが楽しいことになったのだろうか。それとも「メキシコはつらかったけど円谷のために走った」というコメントにあるように、今でもきっとあの二人にしかわからない当時の苦しさを心のどこかに抱えているのだろうか。
 リレハンメル~長野の冬期オリンピックで、複合の荻原健司選手らの天衣無縫な活躍に心躍らせた私だが、そのかげには彼らにしかわからない苦悩もあっただろうし、スポーツはそのドラマで私たちの胸を揺さぶる。
 だけど、そういう十把一絡げの表現では語れない世界があったということなんだな。そういうことをこの記事を読んで感じました。


 メダルの数なんて、どうだっていいじゃん。ドラマはメダルのあるところにしかないわけじゃないし。

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