2020.04.12 21:00~
「草野マサムネのロック大陸漫遊記」
at TOKYO FM
オンエアよりもかなり前の段階で収録なので・・・といつもの導入。
「ラジオを聴いて少しでも息抜きになれば」と。
本当に、「一日も早く」と願わずにいられない状況。
今回はスタジオではなく「換気のいい部屋での収録」だそうです。
そういえば、ちょっと反響がいつもと異なる。
そして、今日のテーマは、「スージー・クワトロで漫遊記」。
この番組の第一回で、「ワタクシにとっての初のロックアイドルで紹介した」と。
(ホントだ! ココです。このころはかる~く書いてますね、ワタシ(笑))
草野「まだ女性ロックミュージシャンが少なかったころから先頭を走ってこられた方です。ガールズバンドからソロとして50年以上もリスペクトされているスージー・クワトロさん」
オンエア曲
01 優しいあの子(スピッツ)
02 48 Crash(Suzi Quatro)
03 What a Way to Die(The Pleasure Seekers)
04 Rolling Stone(Suzi Quatro)
05 Can The Can(Suzi Quatro)
06 Glycerine Queen(Suzi Quatro)
07 The Wild One(Suzi Quatro)
08 I've Never Been In Love(Suzi Quatro)
09 シネマドリーム(ピース)
漫遊前の一曲は、スピッツで「優しいあの子」(2019年、42thシングル/16thアルバム『見っけ』)。
朝ドラで使われて、早1年!
番組の『あいのり』で「スター・ゲイザー」が使われたときにエゴサしたら、「『I WiSH』のほうがよかった」というコメントが多くてショックを受けてエゴサはもうやめようと思った(笑)そうだけど、この曲はエゴサしたら案外評判がよくて「ほっと胸をなでおろした」って。
ちなみに、川嶋あいさんの「明日への扉 I WiSH」はこちら。
なんとも・・・。歌詞と優しいメロディーに、ちょっと立ち止まりたくなりますね。
「生の初々しさ」でしょうか。いやいや・・・かなわない。
明日への扉 - I WiSH(川嶋あい)
最初の曲は、「アメリカ生まれの彼女がイギリスにわたって」リリースした「48 Crash」(1973年、3thシングル)。
(全曲息もつかせぬハイテンションがかわいいなあ)
草野「オレの中で、スージー・クワトロさんと言うと、この曲がパッと浮かぶ。オレの中でのスージーさんの代表曲」
草野少年が彼女を初めて知った中学2年のころ。彼女の人気はすでに落ち着いていたそうだ(もうあの熱狂の時代は過ぎていたということか)。
通っていた学習塾の先生が彼女のファンで、自分で編集していたカセットを聴いていたんだとか。
カセットに貼ってあった写真がかわいくて(わかるわかる)、先生に借りて家で聴いて「びっくり!」。
写真からオリビア・ニュートン・ジョンやノーランズのような歌を想像したので、「シャウトするハードロック」に度肝を抜かれちゃった草野少年。さっそく中古のレコード屋で、「人気が亡くなっていたので叩き売られていたベスト盤などを購入して聴きまくっていた」と。
Suzi Quatro - 48 Crash Remastered HD Original Music Video RARE 1973
(リアルタイムで夢中だった男の子、周りにいましたね。これはライブというよりテレビ番組の収録かな)
スージー・クワトロの人となり・・・。
1950年、音楽家の父のもとにデトロイトで生まれる。
8歳のときに父親のバンドでドラムを叩き、テレビなどにも出演して人気者に。
14歳で、姉や友人とガールズ・ガレージ・パンクバンドを結成。
次は、そのバンドThe Pleasure Seekersの曲。スージー・クワトロの初期の音源と言える「What a Way to Die」(1965年、デビューシングルのB面曲)。
ただし、バンドではベースを担当していたが、この音源のボーカルが彼女自身かどうかは不明だそうです。
(ノスタルジーさえ漂う音・・・)
その後もバンド活動を続けていたが、1971年、アニマルズやドノバンのプロデューサー、ミッキー・モストにスカウトされる。
ソロでの活動を決意した彼女はバンドを脱退し、単身イギリスにわたり、1年間の充電期間を経て、1972年、デビューシングルをリリース。
これが次の「Rolling Stone」(1972年、デビューシングル)。
草野「これは一般的なスージー・クワトロのイメージからするとおとなしめというか、カントリーテイストの曲」
草野くんはこの曲が好きだそうで、「スージー・クワトロさんの声の良さが伝わってくる佳曲」と。
(おとなしめだけど、でも軽くパンチもあり、いい声だなあ)
バッキングギターはピーター・フランプトンだそうですよ。
草野くんが言うには、「サビが1回だけしか出てこない。2回出てくればいいのに、と個人的には思うわけです」。そこがたったひとつ残念なところだ、と。
ただ、これはあまり売れなかったようで(なぜかポルトガルでは1位獲得)、プロデューサーからニッキー・チンとマイク・チャップマンによる、チン & チャップマンというヒットメーカーチームを紹介されて、セカンドシングルが完成。
このチームは、初期のスウィート(ココ)の曲も担当していて、「結構派手派手な曲を量産している」そうだ。
彼女にも「これ以上出ないよー」というくらいの高い声をむりやり出させて、「それが得体の知れない切迫感、高揚感を出すのに成功しているかな」と。
それが次の曲、「Can The Can」(1973年、2ndシングル)。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm1562290
ニコニコ動画で画質も悪いけど、これ、人気でなけりゃおかしいでしょ、というくらいキュートでかっこいい。
そして、メッセージコーナー。
コロナで大学が休みなって時間があるので、父親の古いギターを引っ張り出したリスナーの方、「左指が痛い!!」。
草野「最初はみんな痛いんです。それを乗り越えるとどんどん上達するんでがんばってほしい」
血が出るまでやる!んじゃなくて、痛いのがおさまったら練習して、痛くなったらやめて、また痛いのがおさまったら・・・くらいで大丈夫、と。
で、アコギのあとでエレキに挑戦すると、「エレキってこんなに楽なんだ~」と思う、と。
草野くんも、一週間くらいギターに触らないでいたあとに演奏すると、また指先が痛くなったりするそうだ。
今でこそ普通だが、70年代に女性ロックボーカリストは少なかった。
「歌うだけなら、ジャニス・ジョプリン、グレース・スリックらがいたし、ギタリストなら、ラマタムというバンドのエイプリル・ロートン(バンドのギタリストが女性!ってだけで話題になってたっけ。ドラマーの部分が聞き取れず)、スージーさんのお姉さんのバンド、ファニーなどがいたが・・・」
草野「エレキの弦楽器(彼女はベースなんで)を抱えてシャウトする女性ロッカーで最初にスターになったのがスージーさんではないか。その後のランナウェイ、日本で言えばプリプリ、ライオネットガール界隈のビキニ・キルなどの流れに通じる女性ロックミュージシャンの開祖のような方ではないか」
イギリスでは活躍していたけれどアメリカでの評価はイマイチだったので、5thのシングルで「大勝負に出る!」。プレスリーの「All Shook Up」をカバーするも不発に終わる・・・。
次の曲「Glycerine Queen」は、そのB面に収録されたもの(1974年、4thシングルB面)。
草野「これがなかなかイカしたハードロック」
Suzi Quatro - Glycerine Queen Music Video 1975 ULTRA RARE
(たしかにかっこいい!)
その後結婚するバックバンドのメンバーとの共作だそうだ。
同名曲がクロマニヨンズにもあるけれど、「この曲が由来だそうです」。
「All Shook Up」には後日談があり、「このカバーをいたく気に入ったプレスリーが彼女を自宅に招待したが、それを辞退」。
草野くんはそれを知って、なんで?と思ったけれど、自分に置きかえて、とある大御所からお招きを受けたとして、「辞退する気持ちもわからなくはない気がする」と。
(いろんな理由が考えられそう)
その後もイギリスではヒット曲をとばし、「悪魔とドライブ」のヒットのあと、次の曲「The Wild One」(1974年、8thシングル)をリリース。
ちなみに、「悪魔とドライブ」もいい曲です。
スージークアトロ 悪魔とドライブ Suzi Quatro Devil Gate Drive
「The Wild One」は日本でも大ヒットし、日本酒の「大関」のCMにも登場。「酒ロック」って。
1978 サケロック大関
「星野源くんがいたバンド『SAKEROCK』の名前は、マーティン・デニーの曲名からきているそうです、余談ですけど」って(笑)
「The Wild One」はのちにBOØWYがカバーして、スージー・クワトロ & 氷室京介のデュエットもあるそうだ。
草野「この曲は榊原郁恵の『夏のお嬢さん』に似ている、と手元の原稿に書いてありますが、さあ、みなさんはどう感じたでしょうか」(笑)
その後もスマッシュヒットを繰り返し、Smokieのクリス・ノーマンとデュエット、セルフプロデュースした「Stumblin' In」をリリースすると、アメリカで初の大ヒット曲となる。
こうして、10年間の活動で確固たる地位を築いたスージー・クワトロ。
最後は、「I've Never Been In Love」(1979年、6thアルバム『Suzi...And Other Four Letter Words』/1980年、シングルカット)。
草野くんがリアルタイムで聴いたスージー・クワトロの曲と言えば、「これなのかな」と。
当時、ラジオで流れていたのを聴いていたんだそうです。
塾の先生のカセットを聴いたのはもっとあとのことで、あの曲を歌っていたのはこの人だったんだ~と。
草野少年の中で、時間がぐるっと回ったんだろうな。
その後は、インディーレーベルでコンスタントに新曲をリリースし、テレビタレント、ミュージカルの女優としても活躍し、2006年、メジャーレーベルに復帰。
昨年は息子さんとの共作によるアルバム『No Control』を発表。
草野「バックに流れているのはその曲で、現役!って感じですよね」
そして、今年1月には、女性アーティストを讃えるSHE Awardを受賞。
そのときのインタビューの様子も、新作を語るなどして、貫禄もありチャーミングでもあり、ステキです。
Suzi Quatro Interview at She Rocks Awards 2020
現役ロッカーとしてツアーもやっている、きっと草野くんとっては永遠のあこがれ、スージー・クワトロに、「いつまでも元気で活動していただきたい!」と。
特集の最後に。
彼女の誕生日は6月3日。プロデューサーの亀田氏も同じ日。
6月はレコーディングしているときが多いので、スタジオで「Happy Birthday !」とお祝いするときに、「スージーさんにも、おめでとう!」という時もあるとか。
そんなこんなで、「6月3日は特別な日」感覚があるんだそうです。
そして最後は「ちょっぴりタイムマシン」のコーナー。
曲は、ピースというアコースティック兄弟デュオの「シネマドリーム」。
2007年の曲だが、「初めて聴いたときに70年代の曲じゃないの?と思ったくらいにビンテージ感がある」と。
ヤマハ主催のティーンズ大賞の準グランプリを受賞。
曲もキャッチーだし、「もっと注目されてもよかったのでは? 残念ながら2009年に解散してしまったが、「埋もれさせるのは惜しい」と。
そして来週の予告!
「1995年、勝手にライバルバンドで漫遊記」!
前年にMr. Childrenが切り開いてくれた道を多くのバンドが走り始めた年。
「あの頃、草野が勝手にライバル視してたかな」というバンド特集だそうです。
これまた、セレクトが楽しみだし、懐かしい曲も聴けそうだな。
閉塞感の毎日に、すてきな風をもたらしてくれるかも。