隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

そんなヤツにはなりたくない♪~「まがった僕のしっぽ」

2021年06月26日 15時45分03秒 | スピッツ

2021.06.26(土)


 朝、母の施設に届け物。
 緑はすっかり濃くなって、すでに鬱蒼とした谷戸のわきを通る。
 母からのハガキとケアマネジャーさんからの電話で、最近少し血圧が高めなこと、薬を1種類増やしたことを知る。
 もともと降圧剤を服用している人だったが、年齢とともに安定してきた・・・という時間が数年続いていたけれど。
 ワクチン2回の接種は終了。とくに異常もなく、と。


 ここにも何回か記したけれど、母の友人たちが4人も亡くなったこと、リモートではなく面と向かって会えるようになったら伝えるつもりであること。
 少し考えても、それはやはり気が重い作業だ。


■意を決して・・・
 帰り道、私の前を小学3~4年生くらいの女の子。小さなザックとラベンダー色のキャップからのぞくポニーテールの髪がかわいい。
 そういえば、ついこの間出会った忘れものをした女の子も、同じくらいの年齢だったなと思い出す。
 その女の子が下を向いて立ち止まる。しばらくして、反対側の舗道に移ろうかと迷っているみたいだ。
 どうしたのかなと近づくと、1メートルほど先にでかいミミズが息絶えて寝そべっている。いやあ、見事なミミズ!
 気味が悪くて跨げないでいるんだね。
 「すごいね~。こんなミミズ、見たことない? でもかわいそうだけど、もう生きてないから動かないよ。大丈夫」
 女の子は、ちょっと私を振り返って、意を決したのか、急ぎ足で跨いでいった。
 一人で街を歩けば、いろんなことにぶつかるね、と後ろ姿に無言のエール。
 こんな年齢の私の日常にだって、たまには気を決して跨がなければならないことの一つや二つあればいいけど・・・。かなり図太くなったせいか、気を決さなくても跨げることばかりか??


■彫刻??
 ちょっと前に、私は家族からの評価が低いのではないか?と相方に言ったことがある。
 相方は心外だ!という表情で否定していたけれど、昨夜、私がすばらしい彫刻作品を仕上げて、「この人、天才じゃないか」と思った・・・という夢を見たらしい。
 彫刻と私、という、現実と1ミリの接点もないことで「天才!」って・・・。どういう意味なんだ?
 私への評価が低いというささやかな抗議が思い当たったのか、それともそう言われたことを気にしていたのか。どちらにしても「彫刻」って・・・。
 夢っていつだって、突拍子もないことで笑わせてくれる。




                              


 この前のぴあアリーナMMでのNEW MIKKEのライブに行ってから、「まがった僕のしっぽ」がマイブーム。
 CDで聴いたときよりも、2019年暮れのMIKKEツアーでのカッコよさが鮮烈だったのだ(ココ)が、ちょっと忘れていた。
 曲調が変わってからの激しいサウンドと畳みかけるような歌詞の強さ・潔さと、ボーカルのどこまでものびやかな声が、微妙なアンバランスと気持ちのいい浮遊感をもたらしてくれる。
 「この胸で受け止めたいし 歓喜で咆えてみたい♪」(「吠えて」でも「吼えて」でもないんだね)
 「立ち上がるためだけに マシュマロ我慢するような♪」から「禁じ手の絵を描ききって 楽しげに果てたい♪」までの一気の「ダークなマニフェスト」がスピッツに新たな力を与える。
 ライブでの彼らは、まさにロックバンド!の線の太い男っぽさで魅せてくれる。
 この骨太感に対して、「まがった僕のしっぽ」というタイトルの緩さも、またいいではないか。
 ライブで映える楽曲がまた一曲、増えてしまった。


 さあ、アルバム『見っけ』をリピートしながら、夕方のウォーキングまでもう一仕事だ。


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