家事塾ブログ~家のコトは生きるコト~

家事塾代表・辰巳渚の、講座日誌や家事エッセイ、お知らせなどを掲載します。

自分の主観をいったんおいて、物事ごとを検討してみる

2011年09月01日 | ニュース
このところ、私はディベートの手法を講座に取り入れることがあります。

なぜディベートなのか。

たとえば、受講生のみなさんと「捨てられるようになるには」という議論をするとき、
理屈はすべてわかっていたり、捨てたほうがいいともわかっているけれど、
思い出があって捨てられない、といったジレンマから、身動きが取れなくなっている人が
多い、とわかってきたからです。

身動きが取れなくなった段階で、多くの人は、「現状を変えない」方法を無意識に選びます。
つまり、判断しようとするのをやめてしまう。
だから、「片づかない」状態が変わらない。

あるいは、「捨てましょう!」と大きな声で言われるその勢いに押されて
自分で判断するのをやめて、誰かに従うことで楽になろうとする。
でも、結局は、「捨てたくなかった」という本音が残って、あとで後悔したりする。

「これを捨てる」のいいところ、よくないところ、
「これを捨てない」のいいところ、よくないところ、を
ざっとでも考えて、「じゃあ、捨てないで持っていよう」と判断できれば、
たとえ表面上は片づいていなくても、気持ちはとても楽になります。

どうしたら、そうやって、いったん自分の気持ちを客観的に見られるようになるのか、
いい方法はないかな、と思っていたときに、
ディベートという手法があった、と気がついたのでした。

ディベートは、議論で相手をねじ伏せる技術ではなく、
「ディベートは、主観的な意見をひとまず置いて、まず客観的に争点を両側から分析し、
問題の全体像を把握した上でその本質を探り、最終的に主観的な判断をくだす根拠を得るためのもの」
「ディベートで扱うのは二者択一まで煮詰まった問題で(中略)
意思決定、問題解決をその目的としているからであり、
あくまでもどちらがより優れた方策であるかを決定するためのもの」
(茂木秀昭『ザ・ディベート』ちくま新書より)
というように、要は問題解決のための手法なんですね。

講座でディベートを取り入れるのは、なかなかむずかしいのですが、
くりかえすにつけ、「これって、やっぱり学校教育の場でやっておくことじゃない?」と
思ったりしています。

口ばっかりの理屈屋を作るものではなく、
自分に責任をもって、しかも楽に生きられるようになる技術なのだから。

家事塾では、そういう練習を、とても身近で具体的な物を入り口に
やろうとしています。

たとえば、「一人暮らしのときにできないと困るのはどっち? 料理/片づけ」とか。
これを、中学生や高校生とディベートでやるのは、けっこう楽しいですよ~。


……

ところで、このところの原発に関する議論を見ていても、
ゼロか100かでしか物事を見られないのは、かえって危険だなと思います。

私は、原発については、こんなふうに考えています。
原子力発電には、よい面も悪い面もある。
そして今は、より悪い面に関する情報がたくさん出てきた、という状態で、
だから、1回、どうするかを見直さなければならない、
問題解決をめざしていまある判断の材料をよく検討しなおさなければならない、と。

そんななか、こんなサイトについての情報をもらいました。
真摯な意見が寄せられていて、「反対派」「賛成派」といった単純な対立図式が
いかに幼稚かと考えさせられました。

こういう、判断がとてもむずかしい問題について、自分の力で判断できる力は、
たぶん、日常の「できないと困るのは、どっち? 料理/片づけ」とか、
「お手伝いのときにお小遣いは? あげてもよい/あげないほうがよい」とか、
そんなことを判断してきた経験から、少しずつ身に付くのではないでしょうか。

上記のサイトは以下です。よければ見てみてください。

日本エヌ・ユー・エス(JANUS)
「ポスト福島」

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