ただいま9時15分くらいかな。いまからKite.com家御用達の酒商・増〇屋へ、散歩がてら出掛けてこようと思っている。
昨夜で芋焼酎やら、日本酒やらが消滅してしまった。もちろん、こんな時間から飲むわけではないのだが、ないというだけで心寂しい気持ちになってしまう(←お前はアル中か~!)。
まぁ、猫の額の花も代り映えしないし、野の花を一つ、二つ調達してこよう。
ボタンクサギは、見ているだけで心を朗らかにしてくれる花だ。あちこちの林や藪の中で、ちょっとしんどそうな環境でも空を見上げて微笑んでいる。
だから、とあるネット上のショップで販売されているのを目撃した時、心底驚いたものである。「えっ、売ってんだ ⁉」なんて。「日陰に強いため、観賞用として高木の下や建物の北側に植栽されることが多い」(by 庭木図鑑 植木ペディア)--なるほどね。
野の花のように咲くトレニアの群生、確か、昨年も投稿したかな。自然交配でこれほどまで広範に咲いている。見事としか言いようがない。いつまでも、お達者で。
四万十町には知る人ぞ知る栗の焼酎がある。それが、(株)無手無冠の栗焼酎「ダバダ火振」である。
「夏の闇夜に松明を振り、網に追い込む伝統的鮎漁法「火振り漁」。
四万十川の山里で、人の集まる場所を意味する「駄場(ダバ)」。
「ダバダ火振」は、四万十を象徴するこの二つより名付けられました。」
栗焼酎「ダバダ火振」の紹介サイトには、上記のコメントが付されていた。
ついさっきまで、お気に入りの芋焼酎を手にするために勢い込んで家を出たが、あの栗の木を見たことで翻意した。また、増〇屋には、折よく「ダバダ火振」が目立つコーナーに置かれていた。もう、買うっきゃないだろう。
実は、数年前、土佐の花友さんに頂戴したことがあった。確かに、口に含むとほんのりと栗の香りがしたような。今日の晩酌が楽しみである。
13号とやらの先乗りの雨雲が、耳障りな音を立てて降りしだく。そのお陰か否かはわからぬが、妙に涼しささえ感じる朝だ。
ベランダにも、坪庭にも出ること能わず、所在ない朝となった。珍しく三脚を取り出し、室内から花を撮ってみる。でも、花は花だ。何も変わることのない花だ。ただただ雨滴が煩わしい。
昨日も投稿した八重のタマノカンザシやキキョウだが、今日はいささか表情が異なるようだ。
台風が襲来しようかという朝である。被写体自体の環境の違いによるところも大きいのだろうが、やはり見る側の心の持ちようが花の印象を変えてしまうのだろう。
いつもであれば、花が終わってしまうとそのままに放置していたのだが・・・。
今年の花後は、徒長したその花茎が鬱陶しく、だいぶ切り詰めてしまった。
そう、切り詰めた枝から枝葉を伸ばし、見事に二番花を咲かせてくれている。雨に打たれながら・・・。
主夫の朝は忙しい。炊事、洗濯、掃除と、次から次にミッションをこなしていかなければならない。あっという間に、時間は過ぎて行ってしまう。
居間の掃除の前にベランダを覗くと、いまにも破裂しそうな桃色キキョウのつぼみが目に留まった。パッカ~~~ンと破裂しそうなつぼみ、何度となく見たことがあるのだが、その瞬間に遭遇した試しがない。こやつらは、ヒト属の気配を感じ取るのであろうか。そうだからして、「決してお前たちに、その瞬間など見せてやるものか!」なんてことになる。
とはいえ、まだミッションの途中だ。気に留めて作業はしていたつもりなのだが、妻とともに朝食を済ませ一息ついていたら、もう9時を回っていた。後片付けをしベランダに出てみると、すでにバルーンは破裂していた。そう、また、見逃してしまったのだ。
すでに破裂してしまった桃色キキョウを撮っていると、ナニモノかの忍び笑いの気配を察知した。
「ナニモノであるか!」--誰何すると、それは紫キキョウであった。
キキョウ属は、どうもヒト属には冷淡のようである。
坪庭に仮住まいするタマノカンザシの八重である。早々に花茎を二本上げ、今年は期待できるぞと勢い込んでいると、ご存じの酷暑の襲来である。大きな葉が次から次へと葉焼けしたような状態となり、豆粒ほどのつぼみも成長することなく萎んでしまった。
来年のことを思い、「咲かぬと花茎をちょん切るぞ!」とばかりに2本もろともに剪定してしまった。
しばらくすると、3本目の花茎が上がってきた。気にする気配を見せると、どんなレジスタンスが惹起するか知れやしない。気配を消し、見るともなく見ていると、ご覧の通りの様相を呈してきた。右手を握り、「いけるかも!」と、小さなガッツポーズ!
タマノカンザシの花期は、7~9月頃とされている。今日は9月7日、まだ大丈夫? 「もちろん、大丈夫よ!」 今後、35度越えなんてこともなさそうだし、いけそうだね。
神出鬼没! 水場の辺りで咲いていた斑入りツユクサであったが、なんと坪庭の方へも進出してきたようである。
そう、この種の植物は気を許してはいけない。それこそ、神にでもなった気持ちで厳正なる育成管理を心がけておかないと、辺り一面がこの種属に蹂躙されてしまう。
しかし、愛らしいね。ツユクサは。白花もいい。アッ、そう言えば、白花の斑入りツユクサはまだ見たことがない。もちろん、存在するのだろうね。
軽い気持ちでG先生に問うてみると、とあるオークション・サイトで3,625円という高値で落札されていた。う~ん、恐るべし。オークション・サイトにないものはない! 人の優しさ、そして、愛を探してみようかな。。。
「蒴果はわずかに扁圧し、」(三河の植物観察)とある通り、花のなかのあるものは蒴果へと変容する。
若草色の葉、同じように爽やかな花の色、そして、結ばれた蒴果さえ生命力に溢れた色味を帯びている。
それにしても、何故その学名が「Stemona japonica」なのだろうか。原産国は中国だというのに。
利休草が蒴果を育む頃、アカバナオケラのちょこんと覗いていた花冠が、白から薄桃色へと変化してくる。時とともにその色を深め、アザミのような赤紫色を呈する。
そう、いつもであれば秋を感じられる頃となるはずなのに・・・。
こんな雑草が生えているのだよ。猫の額には。
なかなか見ることができなくなったと思うタカサブロウ、もう数年前に、珍しかったし、寄って見るとなかなか得難い表情をしていたから連れてきたんだ。
情にほだされちゃいけないね。やはり、絶えることなく脈々と代を重ねている。いけてんじゃん、という思いは変わらない。だけど、気を許しちゃいけない草本の一つかもしれないよ。
キキョウ、秋の七草のひとつである。だが、今年の天候はというと、いまだ秋というには程遠い。残暑どころの騒ぎじゃない。夏、真っ盛りなのである。
夏に咲くという玉川ホトトギスも、本葉を枯らし、脇芽が出てきてやっと命脈を保っているという情けない状況である。白花ホトトギスや黄花ホトトギスも同様で、茶枯れた葉ばかりが目立ち、本当につぼみなど付けるのか疑わしい状況である。小さな鉢物などは、何鉢見送ったことか。
事程左様に、今年の夏は惨憺たるものだったのだが、このキキョウがきてくれたお陰でほっと一息ついた思いがするのである。
ハマトラノオ、九州南西部・奄美大島・琉球(慶良間列島の座間味島)などに自然分布するとされているが、絶滅危惧Ⅱ類 (VU)に分類されている。
もちろん、栽培品を購入した訳だが、坪庭の一角で主に踏み拉かれながら枯れるでもなく歳月を重ねている。
穂が経つ状態は、昨年と比べると2週間ほど遅いかもしれない。これも、暑さの影響なのか? そこここに爪痕を残しながら、今年の夏はまだ終わることを潔しとしていない。
どう、スズムシグサのつぼみ、いい味出してるでしょ!
生老病死--人生における免れることができない四つの苦悩を表した仏語とされる。文字通り、生まれること、年老いること、病に罹かかること、死ぬことの四つを指す。
だがね、生まれてより年を重ねることによって遭遇するかずかずの喜びを忘れちゃいけないね。そう、年を重ねるってことは悪いことばかりじゃないかもしれないよ。
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける
あっ、別に真宗に帰依している訳じゃないけどね。