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華撃団 ブログ (かげきだん)

埼玉のよさこいチームです
仲間を信じて前へ進む事を決め       
気持ちも新たに「華撃団」と改名しました

優しい心

2013-08-11 03:20:18 | 日常
ちょっと素敵な話を見つけたのでシェアしますね

当時中学生の弟が、
学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。


失恋でもしたのかと聞いたら、

「小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ」と。

彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。


「女子が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」

と弟は言っていた。


翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり

「同じ奴が一杯いた……」と。


なんでも優等生から茶髪問題児を含め、
クラスの男子全員が丸坊主か
それに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、

女の子の一人は
完全な丸坊主になってたらしい。

更に担任の先生(男性)まで丸坊主。

丸坊主だらけの教室で、
病気の子は爆笑しながら

「ありがとうありがとう」と泣いたという。


示し合わせたわけでもないのに、
全員同じことを考える弟のクラスに感動した。



「証拠」

2013-08-08 00:05:45 | 日常
素敵な詩を見つけたのでシェアしますね 


笑えるのは、楽しんでる証拠。

怒るのは、真剣だった証拠。

喧嘩するのは、一緒だった証拠。

つまずくのは、進んでいる証拠。

裏切られるのは、信じていた証拠。

失恋は愛していた証拠。

「疲れた」は、頑張った証拠。

「失敗した」は、挑戦した証拠。

「もう止めようかな」は、
まだ希望を捨てずにいた証拠。

「素直になれない」は、
それだけ愛している証拠。

もう良いは、
全然よくない証拠。

大丈夫は、
全然大丈夫じゃない証拠。

いつもヘラヘラしてる人は、
過去に何かあった人

よく笑う人は、
よく泣いた人

よく大丈夫と言う人は、
よく無理をする人

よく強がる人は、
よく我慢する人

幸せな人は、
幸せを知っているから
優しくなれる。

強くなれる。

努力する人は希望を語り、
怠ける人は不満を語る。

泣きたかったら泣けばいい

辛かったら頼ればいい

我慢できなくなったら我慢しなくていい
笑うのが疲れたら無理しなくていい


「明日笑えるかな」

って思うより

「明日少し笑ってみよう」

って思う方が辛くない。

立ち止まることは、
悪いことなんかじゃない。

辛いとき。

苦しいとき。

少し休憩して
またもう一度歩きだせばいい。




家路

2013-05-12 21:23:39 | 日常

人は、時として愛すること、生きていくことに悩み、悲しみを背負い、
自分自身を見失い、行く道を見失ってしまいそうになることもある。

「どんなに遠くても たどり着いてみせる 石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に」

自分が浜省の中で、一番すきな曲です。





青く沈んだ夕闇に浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を導くのか尋ねてみる
手に入れた形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名づけ 迷いの中さまよう

そして孤独なエゴは愛という名のもとに
俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている
心のすべてを奪い去るような真実の愛

悲しみ果てしなく 風は夜毎冷たく
人は去り人は来る でも気付けば
道標もない道に一人

そして夜が明けたら また生きてくために
生活(くらし)を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も
聞こえなくなる 感じなくなる だけど

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

青く沈んだ夕闇に 浮かぶ街を見おろし

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時の狭間にいつの日か
魂を解き放って

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所に

居場所

2013-05-04 04:41:53 | 日常
こんなコラムを読みました・・・



世の中にはいろいろな仕事がありますが、最終的には本気の人が生き残ります。

そして、本気の人だからこそ、仕事を楽しめるようになります。


ラクなことは、最初は楽しいですが、すぐに飽きます。

楽しいだけのことは、最初は幸せを感じますが、すぐにむなしさを感じます。

本当に幸せなことは、自分自身が喜びを味わいながら、他の人にも感謝されることです。


人生の鉄則の一つは、「自分の居場所は与えられるものではなく、つくるもの」ということです。

自分の持ち場を少しずつしながら居場所をつくろうと決めたとき、本気になり始めます。

そのときに、人生の本当の楽しさを味わえると信じています。


本気で生きている人が魅力ある人であり、尊敬や信頼される人。

それは決して難しくなく、自分次第でいくらでもできること。

生きている限り、自分にしか出来ない役割が、この社会の中で必ずあるのですから。

「15の春」

2013-04-06 15:49:26 | 日常
チョット 素敵な話を見つけたのでシェアしますね


巣立ちゆくあなたへ ~私からの最後のメッセージ~


暖かな日差しの中に(ひと雨ごとに)、
春の足音が聞こえてくるこのよき日に、
多数のご来賓、並びに保護者の皆様のご列席を賜り、
第65回卒業証書授与式が挙行できますことに対し、
厚くお礼申しあげます。

卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
みなさんとは一年間しか一緒に生活することができませんでしたが、
夏休みに行った面接や全校集会などでいろいろなメッセージを
みなさんに送ってきました。

全校集会では「世界中の人が幸せになる方法」を考え、
「恩送り」という言葉や「ペイフォワード」という映画を紹介しましたね。

また、「できないからやらないんじゃない、できないからこそやるんだよ」
というメッセージと共に「シーモ」のコンティニューという曲も聴いてもらいましたね。

三重県に住んでいる「中村文昭」さんの人生を紹介し、
人間どうにでも変われるということも話しましたね。覚えていますか?

いろいろなメッセージをみなさんに送ってきましたが、
私から卒業生のみなさんへ送るメッセージは今日が最後となります。

今、みなさんが手にした卒業証書。その卒業証書はA4判の大きさの紙です。
でも、その一枚の紙の中にたくさんのものが詰め込まれています。

自分の卒業証書をそっと開いて、見てください。

最初に、「卒業証書」と書かれてあります。
この証書は中学校を卒業したという証しなのです。

次に、自分の名前が書かれてありますね。世界であなただけの卒業証書なのです。
だからこそ、ここに、しっかりとあなたの名前が書かれてあるのです。

その名前をじっと見てください。その名前を中学校生活で何度呼ばれてきたでしょうか。
卒業証書授与の時、学級担任の先生がみなさんの名前をしっかりと呼びました。

みなさんはもう卒業です。
学級担任が中学生のみなさんの名前を呼ぶのは今日が最後です。
もう中学生としてのみなさんの名を呼ぶことはできないのです。

次には、あなたの誕生日が書かれてあります。
ここに書かれてある日に、あなたは生まれたのです。
そして今日まで生きてきました。いろいろなことがあったと思います。

でも、みなさんはどんなことも乗り越え、今日、義務教育を終えることができました。
ここに書かれてある日、その日はどんな日だったのでしょうか。

天気はどうだったのでしょうか。寒かったでしょうか、暖かだったでしょうか。
どんな日であっても、家族や親せきの人たちはあなたが生まれたことを
どれほど喜んでくれたことでしょう。あなたの命が生まれた日なのです。

今日までのことを振り返ってみてください。

どれほどの方に、どれほどのことをしてもらってきたでしょうか。
夜泣きをして寝付かないとき、ずっと寝ずにあやしてくれたのは誰ですか。
朝、なかなか起きられない時、大きな声で起こしてくれたのは誰ですか。
入学式のとき、みんなと同じようにと制服や通学バックを用意してくれたのは誰ですか。
風邪やインフルエンザで熱が出た時、心配してくれたのは誰ですか。
忘れ物をしたとき、そっと学校へ届けてくれたのは誰ですか。
部活動の大会や休日練習の日、お弁当を作ってくれたのは誰ですか。

あなたの命が生まれた日から、たくさんの方々があなたを見守っていてくれました。
あなたは、どれほどのことをしてもらったでしょうか。
そして、どれだけのことを返すことができたでしょうか。
あなたにとって、一番大切な人は、いちばん身近にいるのです。

卒業証書の真ん中には、みなさんが中学校の課程を修了し、
卒業したということが大きく書かれてあります。

そして、その日は、平成24年3月9日、今日です。

人生の中でいくつかの節目(ふしめ)というものがあります。
今日はその節目の一つなのです。次へのステップの節目なのです。
中学校を卒業をしたという日の意味を、心の中に刻み込んで下さい。
人生は節目があるからこそ、次の成長があるのです。

今日を境に、みなさんは新たなスタートをするのです。
人生これからです。勇気と自信を持って、すばらしい人生を歩んでほしいです。

次に書かれている番号は何でしょうか。
この番号はあなただけの番号です。

岡本中学校の第1回卒業生からずっと繋がっている番号なのです。
岡本中学校の卒業生は一万人以上いるのです。
そしてあなたが岡本中学校のよき伝統を受け継いでいるのです。
あなただけの番号、あなたは岡本中学校の伝統の中にいるのです。

最後に、私の名前があります。
私からの最後のメッセージがこの卒業証書でもあります。

最後にもう一つ、お伝えします。
忘れてないでほしい最後の最後のメッセージです。

手のひらを見てください。

小指、薬指、中指、人差し指、親指ですが、手のひらを広げ、
薬指・中指・人差し指を曲げてください。小指と親指が残りました。

小指はみなさんです。親指は、みなさんの親や担任、
親せきの方など、みなさんの周りにいる人たちです。

そっと小指と親指を近づけてください。
親指は自然と小指の方を向きます。

あなたがどこを見ているときでも、あなたの親や担任、
多くの人たちがあなたを見守っているのです。

これから、辛いこと、寂しいこと、苦しいことがあった時、
歯をくいしばり、手を握りしめ、そしてそっと小指と親指を立ててみてください。

どんなときでもあなたは一人ではないのです。
必ず誰かがあなたを温かく見守っています。

すばらしい生徒に出会えて、幸せでした。
ありがとうございます。

最後になりますが、保護者の皆様、本日はまことにおめでとうございます。
すばらしい生徒たちでした。

そして、どんな時でも岡本中学校の子どもたちを見守って頂いた多くの方々、
ご多用の中、ご臨席いただきましたご来賓の方々、
保護者のみなさまに感謝を申し上げ、学校長のことばといたします。





『1年3組の魔法』

2013-03-20 01:27:15 | 日常
ちょっと素敵な話を見つけたので、シェアしますね



お嬢さんの紗矢香ちゃん(七つ)は、この春、地元の高取小学校に入学した。

ダウン症という障害があるが、普通学級で学んでいる。

担任の先生は、ただ甘やかしたり特別扱いするというのではなく

「紗矢香ちゃんを応援しようね」とクラスのみんなに声をかけてくれた。

そのおかげで学校が大好きになった。


運動会を控えて、紗矢香ちゃんは何度も駆けっこの練習してきたがうまく走れない。

先生に手をつないでもらって後から一人で走った。家でも何度も練習をした。



さて運動会の当日。駆けっこの入場行進が始まっても、紗矢香ちゃんは一人だけ動かない。

音楽が入場の合図だとうことが理解できないのだ。

先生が手を取り、連れて行ってくれた。

山本さんは不安になったが「どんな結果でも受け止めよう」と心に決めたという。


「よーいドン」

紗矢香ちゃんはみんなと一緒にスタートした。

一生懸命に走った。

ずいぶん遅れはしたが、ちゃんとゴールできた。

席に戻ってくると、友だちが、

「今日が一番早かったね」

と褒めてくれた。

リレーの選手にもなっている足の速い友だちも、

「今日は紗矢香ちゃんが一番だったよ」

と言ってくれた。


閉会式の入場行進のとき、またまた動けなくなってしまった。

その時、隣のクラスの男の子が紗矢香ちゃんの背中を押して助けてくれた。

おかげで整列することができた。

「見えない所で見えない力が働いている気がします。一年三組の魔法かな」

学校の友だちからたくさんのすてきな宝物をもらって、

山本さんは涙があふれしまったという。

おかげで紗矢香ちゃんは「やる気」が

芽生えて楽しく学校生活を送っている。



ある美術学校でのエピソード

2013-02-23 10:06:48 | 日常
こんな話をみつけたのでシェアしますね 
(John C. Maxwell著 斉藤孝訳「一勝九敗の成功法則」)


ある美術学校でのエピソードである。

陶芸の授業のとき、最初に教師はクラスを2つに分けた。

左半分の生徒には作品の量によって、

右半分の生徒には作品の質によって採点すると告げた。


採点の日が来て、興味深い事実が明らかになった。

優秀な作品は、すべて、“量グループ”から生まれたのだ。


量グループの生徒は、たくさんの作品をつくっていく過程でいくつも失敗し、

そこから学ぶことでいい作品を次々と生み出すことができた。


しかし、“質グループ”の生徒は、完璧な作品について理屈をこねるだけで

手を動かさなかったために、成果として残ったのは、

壮大な理論と作品になりそこねた粘土だけだったのだ。


あなたの目標が、ビジネス、スポーツ、芸術、人間関係など、

どんな分野であろうと同じこと。


進歩する唯一の方法は、「トライ・アンド・エラー」をくり返すことだ。

そして、そこでの失敗を経験という財産に変えていくのだ。



Pドラッカーは、次のように言っている。

「間違いや失敗をしたことのない者だけは信用してはならない。

そのような者は、無難なこと、安全なこと、つまらないことにしか手をつけない。

人は優れているほど多くの間違いをおかす。


安全や無難なことを目指すなら、何もしないことだ。

何かにチャレンジすれば、何回かは必ず失敗する。

人間がやることで、100発100中の成功など、この世にありはしない。

失敗を恐れない勇者だけが、成功を手にすることができるのだ。

「倒れたら起き上がる」何回失敗しようが、そこから起き上がり、

あきらめずにチャレンジし続ける人に勝利の女神はほほ笑む。

「我 」

2013-02-07 06:50:02 | 日常
こんな記事を読みました、シェアしますね 


自分の気持ちに素直になるのは大事だけど
人の意見に耳を傾ける素直さも大事なんです。

たとえば
「俺はこのラーメン、絶対うまいと思う!」
って始めたとしても
売上が上がらないんだとしたら
それは世間に受け入れられてないということなんだよ。

運が悪い人って
そこに素直さがないんだよね。

自分の好きなラーメンをお客さんに食べさせようとするのと
お客さんが喜ぶラーメンを食べてもらおうとするのとでは
志の高さが違うんです。

自分のためにお客さんがいるんじゃないの。

お客さんのために自分の店があるとしたら
そのお客さんが喜ぶラーメンってなんですかってことなの。

それを売上も上がらず
そのラーメンを出し続けてるんだとしたら
それって我が強いんだよね。

そして、その我が運を逃がすんです。

商売人でもサラリーマンでもそうなんだけど
おおよそ、仕事って修行なんです。

それでお店はお客さんから支持されないといけないんだけど
サラリーマンだったら自分の上司が支持してくれないとダメなんです。

たとえばあなたが平社員だとしたら
係長はどうしたら自分のことを支持してくれるだろうかって
じっと見ていればわかるの。

それをたった一人の人も満足させられないとしたら
それは修行が足りてないってことなんだよね。

神様が「目の前のその人を満足させなさい」って言うのは
なにも「おべっか」を使いなさいって言ってるんじゃないの。

その係長の任されている係の成績を上げればいんだよ。

それで明るく返事して
隣の人の仕事も手伝ってあげてってやっていると
必ず次の人が現れるんです。

それで、その次の人って
次の修行なんです。

たとえばそれが今度は課長だとすれば
その課長を満足させる方法を考えればいいの。

課長って課全体のことを考えてるから
課を盛り上げるようなことをして
仕事が順調にいってると課長は喜ぶんだよね。

それで「ウチの課長はボンクラでやんなっちゃう」って言う人がいるんだけど
いくら課長がボンクラでも
あなたががんばって課全体を盛り上げて
仕事もできるんだとしたら
絶対それをほかの誰かが見てるの。

それにその人が本当にボンクラなら
誰が見たってボンクラなの。

それなのにその課の成績が上がってるんだとしたら
絶対あなたががんばっているからだって
誰から見てもわかるんです。

だから、まずは目の前の人を満足させる。

そして、次はこの人、次はこの人ってやっていくと
最後には全体を満足させられる仕事ができるようになってくるの。

そうやって人生の階段は1歩、1歩、登っていくものだと思っている人が運のいい人なんです。




錯視トリックを駆使して描かれたイラスト

2013-02-05 21:38:35 | 日常
こんな記事を見つけたのでシェアしますね 


不思議な3Dアート

ただの絵なのに飛び出して見える!

イラストは1つの視点から見たとき、立体的になるよう歪んで描かれています。

恐竜はテーブルに置いた1枚の紙と、壁に立てかけた1枚の紙の2枚にわたって描かれ、

立体的に見えるよう、歪み方や影の方向が1枚ずつ描き分けられています。

複数枚の紙を横断して描いていることも、錯視効果のポイントのようですね。


こんな感じです 


















今日は、心をみつめる日

2013-01-23 18:11:50 | 日常
こんな話を見つけたのでシェアしますね 

今日は、心をみつめる日 (衛藤 信之 : 薯)





ある企業のトップセールスマンたちの集まりに講師として招かれたときのこと。

そのなかでも一番のセールスを上げる女性と隣接する機会がありました。

失礼ながら 見た目はごくふつうのおばさんです。

その人が休んでいるのを誰も見たことがないといわれるほどのすごい働きぶりに加えて

同僚や部下の面倒もよく見て、彼らの売上にも協力を惜しまないのだそうです。


そのせいで 周囲から母親のように慕われ

頼られながら謙虚で少しも偉ぶるところがない。

そんなすばらしい人柄が
少し会話を交わしただけの私にもよく伝わってきました。

彼女は自分の生き方 働き方について、こんなふうに語ってくれたのです。


「私の母はよく『1年に3日だけでもいいことがあったら、その年は最高の年だよ』といっていました。

その母に育てられた私も『生きるのは苦しいのが当たりまえ』と思って生きてきました。

ですから3日いいことがあれば 残りの362日がたとえ つらく苦しい日でも 私は十分、幸福だって…

ですから、こうしてみなさんとおしゃべりして おいしいものを食べられる

ただそれだけで私は幸せすぎるくらい幸せなのですよ。

幸せすぎて母に申し訳ないくらいです」


足りないことがあって当たりまえと考え むやみに幸せを欲しがらず

ありきたりでささいなことにも深い喜びを見出す。

そんな“賢者の知恵”が彼女に確かな幸福をもたらし 彼女のトップセールスウーマンとしての

心の支えになっているのです。

このように、人間の幸と不幸はどうやら「苦労を引き受ける心が幸せを引き寄せ

幸せを求めすぎる心が不幸を生む」という皮肉な逆説の糸で結ばれているもののようです。


今の時代、多くの人が「あって当たりまえ」の世界で「うまくいって当然」という価値観の中に生きています。


水道の蛇口をひねれば水が出て当たりまえ 電車は時間どおり発着して当たりまえ

約束は守られて当たりまえ 欲しいものはお金を出せば手に入るのが当たりまえ。


万事、自分の思いどおりに進んで当然と 多くの人がそう思っているように感じます。

だから、その当たりまえが少しでもうまくいかないと それがそのままストレスや不満になってしまう。


常に「ない」のがふつうだと考えれば 「ある」だけで幸せなのに

「ある」が当たりまえと思っているから 「ない」ことがたくさんの不満や不幸の種になってしまう。


何かの本で読んだ話だが…

昔の人は「一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズして、結婚したという。

今の人は「二人で幸せになろう」と言って結婚する。

苦労しようと言って一緒になれば 苦労するのが当たりまえとなる。


しかしその逆なら

ちょっとした苦労や困難があるだけでも それは約束違反となり、苦痛となる。

だから、今は昔に比べ離婚が増えているという話だった。


「ないことが当たりまえ」と思えば ただ「ある」だけで有り難い。

当たりまえの日常に感謝できる人でありたいですね。

川柳

2013-01-21 22:01:41 | 日常
川柳は、俳句と同じく五・七・五の十七音の定型詩。

川柳は、世界で一番短い定型詩のひとつですよね。

最近は、一般公募による川柳「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など

おもしろい物もたくさんありますね・・・

この間、見つけた シルバー川柳には思わず笑ってしまいました。


・お迎えはどこから来るのと孫が聞く  (女性/愛媛県/73歳/主婦)

・誕生日ローソク吹いて立ちくらみ   (男性/大阪府/63歳/会社員)

・飲み代が酒から薬にかわる年     (男性/滋賀県/72歳/会社役員)

・延命は不要と書いて医者通い     (70歳/男性/宮城県/無職)

・目覚ましのベルはまだかと起きて待つ (71歳/男性/神奈川県/経営コンサルタント)

・遺影用笑い過ぎだと却下され     (50歳/女性/愛知県/パート)

・LED使い切るまで無い寿命     (78歳/男性/京都府/無職)

・厚化粧笑う亭主は薄毛症       (男性/大阪府/58歳/音楽家)

お父さんの携帯

2013-01-14 06:22:56 | 日常
ちょっと 素敵な話を見つけたのでシェアしますね 


嫁さんのお父さんが亡くなった・・・

癌だった。

嫁さんは最後の一ヶ月付きっきりで看病し

病院で寝泊まりしていた。

嫁さんにしてみれば、それほどに愛したお父さんだった。

葬儀が済み、四十九日も済んで納骨した後

彼女はお父さんの携帯の解約に行った。

それに俺も付き添った。


携帯ショップに到着し、書類を書いて店員さんが解約の手続きを行う。

「ではこれで解約となります。よろしいですか?」と確認したら

嫁さんが「チョット待って下さい」と言い

自分の携帯からお父さんの携帯に電話した。


誰も出るはずがない電話。

そのうち留守電に切り替わる。

「お父さん今まで本当にありがとう。

ワガママな娘だったけど、許してね。

私 お父さんの娘で本当に幸せでした。さようなら」

と留守電に登録した。

嫁さん・俺・ショップの店員さん

みんな泣いてました。

手をとりあって (Queen )

2013-01-09 22:18:07 | 日常
今日、なにげにテレビを見ていたらCMでこんなフレーズが流れてきた

手を取り合って このまま行こう

愛する人よ 静かな宵に 光を灯し 愛しき 教えを抱き

めっちゃ懐かしかったです。

クイーンが1976年に発売したアルバム『華麗なるレース』の結びの曲として収録され、

1977年に日本国内限定でシングルとしてリリースされた曲。

曲中のサビの一部に日本語が使われていることで、当時話題となりましたよね